いつもの通り・・・を忘れていました。なんだか違和感をずっと生きていました。別の自分を生きなきゃ、変わらなきゃ、と、潜在的に自分を追い詰めていたのかも、と思いました。
実行動、としては、なんのこっちゃない、簡単な事♪
前髪パッツン☆ ちょっとアシンメトリーにしていたのですが、やっぱりピグちゃんみたいにしました。
あ、これから、プロフ画像のように、戻すと思います。ずっと馴染んでいた自分なので。
ま~ちゃんの手足の毛もパッツンしました。嫌がられました(^^;)
ま~ちゃんは怖がりさんなので、強烈に拒否しませんが、それでも手足を力いっぱい抜きます。
小さいから無理に抑えつけたり引っ張ったりできないから、なんとか速技でカット☆
十二分には出来なかったけど十分は出来ました♪
危なかったり、衛生上の問題なんだよ、ごめんね、ま~ちゃん。
今日もま~ちゃんは大人しいです。時折ザッと降ったりする天気です。
今年は自分に宗教的な事を強いていた事に気付き、気にしないようにしました。
今月は殺生しない(蚊もNG)とか、旧い言い伝え的なものに縛られている自分を解放してあげました。
すると楽になってきました。京都はいい意味でもそうでない意味でも古いので、なかなか縛りがあって、いつの間にかキツイ状態に追い込まれています。
今回、ふたたび、声楽に戻って来て、そうじゃない時には、文句を言われていたり嫌悪されていたコデブちゃんを、やっと自分で受け容れられるようになって来ました。
身体を楽器にするので、共鳴させないと行けません。勿論喉で歌ってはNGなので、腹式呼吸は当り前なのですが、身体を声楽的に空洞にする技術を身につけないと行けません。
となると音大の声楽家を受験する人は敢えて身体を声楽的に大きくする必要があって、上半身はストレッチで緩和されていても、丹田あたりからはしっかとしていて、何時間か歌っても声が出なくなるなんて事はないのです。
そのためには上半身は共鳴のために結構ふくよかに映る方が多いです、オペラ歌手さんはほとんど大きいです。
そう思ったら、それを知らない人の、体型を揶揄する声に心を痛めていたこれまでの長い期間を卒業したいと思いますし、多重的に思考するとこの身体を最大限に活かす活動は声楽だったのだという事は、灯台もと暗しだったのだと思います。
実は実母も歌をやります。若い頃はプロの歌い手になろうとフェスティバルホール界隈の先生について訓練していた頃もあったようです。
そんな母にがぶりよった父の力技で結婚に至った訳ですが、その癖父はいっぱい遊んでくれました。あ、この話はあまりするつもりはありません。
お嬢様が好きな男性は多いです。最初の大失恋はお医者さんのお嬢さんに対してだったそうですから。身の丈を知れー!!!(苦笑)
歌なので言葉がついてきます。クラシックは宗教的な側面を持つので、語学の勉学とともに、歴史も知る必要があります。
心を打つ、つまり、心は思考(潜在的でも顕在でも)なので、思考は言葉で表現されるものですから、残念ながら言葉をかみしめるように深く理解する事も声楽の勉強のひとつです。
人生ずっと勉強なのですから、大学の学部レベルで止まっていては、意を成しません。まだまだ進む必要があります。私はそのために生きていて、生き続けるために、それに身体を使うために、バテるわけにもいかないし、楽器にしない訳にもいきません。
だから、自分の身体の特徴(遺伝子レベル)を知って、それを限りなく有効な適応方向にしているのだから、コデブとか言われたくないです、誰からも。
そうでない人がただ肥っている人もいるのかもしれませんが、それは私の責任の範疇では無いので、知り得ませんし、知る必要もありませんし、ハッキリ言ってしまえば関係の無い事です。