くーちゃんのブログ。素敵なんだ。ほんわかしていて、質素で(ごめん^^;)。http://ameblo.jp/yumega-areba/entry-12056451800.html
子ども達と御縁がある生業の人なんだけどね♡
だからなのか、正直な想いをちょこっとだけ吐露したよ。
正直12月の第九も、今、意味を咀嚼中。勿論ドイツ語は大学の時に第二外国語を「可」で単位取得した人なので(男性名詞と女性名詞の変格活用が覚えられなかった・・・^^;)、
もちろん第九の意味を歴史的学術的に忠実に翻訳をし続けている人の日本語で時代背景も並行して学びながら頑張ってるんだけど、
それでもヴェートーベンの激情型のアプローチは私にはかつてのそれで。
本当に焦ってたし、苦しんでいたし、世の中から取り残された感もあったし、今でもお茶する友達さえいないし。
今年は高校卒業して30年目で、大規模な同窓会があるんだけど、一応進学校だから、同年代の男子はすごい重役になっていたり、奥さんになっている女子は、教授夫人とかね。
子どもが沢山でも全寮制の進学校@全国に散らばらせてね、そうでなくても実家のお義父さんやお義母さんが甲斐甲斐しく孫を看てね。
趣味にも御主人の財を投資出来て、本当に羨ましいというかなんというか・・・そんな子が幹事を申し出たんだけどね、
三年前の7/28の同級生の御葬式に「時間無いからイカナイ」って言った子なんだよ。
その時天に昇ったアサコは、喪主がお父さんだったし苗字が変わらなかったから、おそらくそんな人生では無くて、で、そのアサコには「時間無いからイカナイ」って。
高校の時からお嬢様で我儘だったけどね・・・お父さんも勿論旧帝大の教授でね。学歴があるから、あるいは能力があるとみなしたからか、理想通りだからか、周りがホイホイって甘やかした結果の人生。
羨ましいと私は思っているんだろうけれど、そうじゃない人の命との今生のお別れに「忙しいからイカナイ」って言った、その高校の幹事を引き受けられる神経が全く解らなくて。
だから、私はずっと笑えなくて。なんだか笑えなくて。自分、自分、な人が、本当に見ていて辛くて・・・。
だから、くーちゃんにこうコメントしたよ。
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依怙地になっている訳じゃない。
でも今は笑えない。
宇多田ヒカルちゃんの「誰かの願いが叶うころ」じゃないけれど、
誰かの願いが叶った時、別の処で誰かが泣いている事を忘れちゃイケナイ、って思って。
それが解っていると手放しで能天気に喜べないんだ。
噛み締めるように感謝の気持ちを持っている『笑み』というのは、
その泣いている誰かが頭の中に無い状態で発散している笑いじゃない。
世の中の、特に、多くの笑顔は、乗り越えるとか、その向こうに、とか、泣いている人との距離と取って反映される『笑み』という意味が殆どだから、私は共感なんてとてもじゃなくて出来なくて、そういう意味では笑えない。
忘れられる人の事、割り切れる人の事、が、羨ましいより嫌悪する気持ちに近い。
命を手放しに喜ぶよりは謙虚に噛みしめながら生きたい。
く~ちゃんの言う処の笑顔のメッセージはそういう意味では、待ってくれるから、私なりでいいから、受け取れる。
ありがと。いつか笑える日まで。
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なぜ書いたかというと、くーちゃんは、子どもちゃん達と向き合うという、本当に忙しい中でも、そのうちだけど、真正面から受け留めて、コミットしてくれて、御返事くれるからなんだ。
スル―とか放置とかがない。命にちゃんと向き合ってくれるから。