
木版画で有名ですね♪原版もお持ちです。

大好きな版画。これも有名ですよね。かたつむりを見つめる仔犬。自分より更に小さく機能や資質が違う生き物「生」に対する興味を表現しているようで何とも幻想的で惹かれます。
で、フェミニンリーダシップはどこいった?ですよね(^^;)
オーラソーマ、嫌いじゃありません。ただ押し付けられるのが嫌で、距離感が時にガブリ寄りなのが圧迫感が強く感じて、おおっぴらに言ってないだけです(^^;)
このフェミニンリーダシップは、「リーダーシップの女性的な側面を伸ばす。ハートの教訓」なんです、って。へぇ・・・と言いつつ深く洞察してみます。自分の深層と対峙する、という事でしょうか。

このボトルのメッセージは知識と記憶の統合を促し、ボトルの使用者がそれを実践できるように助けます。自然の奥深くにある、法則やハーモニー、根本に存在するパターンを認識できるように刺激します。方向性を、明確に保てるように助けます。希望をもたらし、新しい決断の可能性に気づかせてくれます。人生に歓びを見出すことができるように、ゆとりとスペースをもたらします。だそうです。
☆深部に関わる話は大好きです。なんでも真ん中の深部で物事を捉える(捉えたい・捉えるしか出来ない)ので☆
対応するタロットは

タロットは殆ど知らないのでDEATHと言われるとちょっと驚きますが、メッセージはスペースの中で、自分自身を見出すこと。それは、家族、友人、学校、仕事など、自分のまわりに存在する人々とのかかわり方や、まわりの環境の中で、自分自身であることを、教えてくれます。それは、柔軟性、ハーモニー、協調性、相手に共感する質をもちながらも、あなたはあなたとして、自分の価値を見いだしていくことが出来るのです。それは、決して自分を粉にして相手のためにつくすことを意味するのではなく、あなた自身の中にスペースがあることに気づいて欲しいと、あなたの魂は願っています。そのスペースの中ではエネルギーを受け取り、そして与えるという流れが、自然に起きています。そのことは、人々との関係の中に調和をもたらし、お互いのユニークさを尊重し合える、素晴らしい関係を作り上げているのです。その素晴らしい質、あなたにとっては当たり前だと思っていること、そのことに再び、価値を見出してあげてください。それは、あなたが与えられた、素晴らしい贈り物なのです。だそうです。
これが直結するかどうかは判らないですし実際に輪廻のようなものがあるのかどうかも判らないのですが(信じるかどうかという問題意識も含んでいると思います。)、小さい頃から内的に大改革というか大きな変化というかまるで別人のように生まれ変わるタイミングが来たというか、そのような事は感覚的に理解していました。
こう書くと気持ち悪がられたり(特に現実主義の親に)するので、言葉にして来なかったし胸に秘めて来たのですが、そう思う事はたびたびありました。微細な変化なら常時。ちょっと大きな変化なら結構悩んで悩んで悩み切った後に、
そうして生死に関わる程の鬱状態になる事は10年~12年に一度あるかどうかだったように思います。発狂しそうになる怖さと闘う時もあるし、ガチで廃人みたいになった事もあります(すごいカミングアウト!!!)。
自分の身体が勝手に凄い勢いで精神的に生きる事を止めて行くにつれ本当に身体が退化していく怖さを体感しました。(専門的には「退行」といいます。)食欲は当然わかない。全ての意欲もわかない。カーテンが開けられない。動けない。トイレに行けない(恥ずかしい話ですが失禁した事もあります)。当然水も欲しないので、瞬く間にガリガリになって行きました。
10年~12年の波は規則的ではなくて、
①下の子が生まれたのに配偶者が全く迎えに来なかった時、真剣に不倫が本気になって私や上の子下の子やそれまでの生活を全て捨て(しかも一番身動き取れない時に)、相手の下に走ろうとした時と、
②父が亡くなって家族や親族の確執が醜いほどに露呈された時(ちょうどそのころ御付き合いをしていた人も浮気というか本気で別に何人かいました)、
③京都大学大学院で知能水準が高い集団でありながら道徳観が低く保身的という意味で無理解な人が多すぎて傷ついた時、に関しては、
4,5年の間に集中していたように思います。他にも、
④息子への学校を含む無理解と集団イジメ、
⑤娘へのそれからくるろっ骨骨折と止まらないリスカと遂に瀕死重傷なほどの自傷、
これらがもその後に集中し、この12年で何度瀕死になって、価値観を異次元にまで変革しないともたないというか、「無」というか「虚」というか「寂」というか、空白と言うか、窮鼠だけれど反撃してはならない状態がずっと続いて、本当に私は廃人状態を繰り返したと思います。
その間に東日本大震災もありましたね。それで知り合った人との壮絶なお別れもありました。誤解されたままです。音信不通です。阪神淡路大震災の時に赤子だった娘が生きて二十歳を迎えられました。全身ケロイドの傷だらけです。美しく生まれた愛されるべき娘は自分を傷つける以外に術が無かった傷跡です。生きている限り刻まれているリアルで目にする事ができる無数のケロイドです。
そうして今は息子の発達障害とトラウマと自閉症スペクトラムではあるけれど知能が高いばかりに誤解される日々を送っています。
長くなりましたし、論点が分散していますね。明日は一番に京都大学病院に飛びこみます。期待していないつもりかいつしか期待していた息子の高校卒業認定も、こんな時代と環境と身体とメンタルではどうしようも無いのかもしれないと、改めて思った昨日今日でした。
いざ、というときに、実際に命や心を救ってくれるのでは無い人の貧相で人を卑下する語彙に傷つく必要は無い!!といくら言っても、私も含め、言葉を理解する訓練を認知行動療法でしてきてしまった人間にとっては否応なしに特に音声で抑揚や感情も含めて意味が入って来てしまうので、実際に身体が壊れて行くのです。
本来なら、能天気な誰が見ても楽しい、表層的なブログを書いた方が読み手も楽だろうし、アクセスも上がるだろうと思います。ある人にそう言われた事もあります。長い間心酔していた人で信頼していた人なので、特に影響がありました。今でも影響があります。
SMAPの中居くんが演じたATARUのように「あれは今となっては間違っていたと思う。だからリセットして。」あるいは「正しく情報をアップデートして。」と明言されないと私の思考や心は前のままで、特に言ってくれた人が大好きだからこそ、その人が言ってくれた事に従順で、最早今では現実では通用しない身体を壊してしまう乖離している概念でも、慕っているからこそ順守して自分の中で矛盾が生じ混乱し乖離し自分が壊れて行きます。
それでも、この「あれは今となっては間違っていたと思う。だからリセットして。」あるいは「正しく情報をアップデートして。」の明確なる指示がないと、止まれないのです。
それが「私」。
だから凄い、専門家が手をこまねくような実体験をして、やっとやっとちょっとずつ何人もが集まって来て下さって「当時言われた事を守らなくても良いんだよ。もう充分頑張ったんだよ。こんなに身体や心を壊してまでも尽くしたんだよ。もういいんだよ。」と、その大勢の人に何度も何度も促されて、実際にケアを受けて、そうしてやっと、ちょっとずつ変われるのです。
その前と後では、壮大な時間や体験を経て、内的に生まれ変わったようになるのだと思います。
その変化をしなければならない分、IQは自分で言うのもなんだけど相当高いけれど、そうでない人に辛辣な言葉を受けてから、その人の顔を立てるために、自分の身体を自分ではコントロールできなくしてしまいます。そうして壊れて行く。今では本当にコントロールできなくて自分の人生を生きているのか、生きて来れたのか、全くわからないのです。
好きなものは本当に好きなものなのか。
誰かに刷り込まれた好みでは無いのか。
そう思うと、好きという感情に自信がもてないのです。
そうして亡霊のような心の感覚が人生の殆どです。感情はそうだけれど、知識は積んで来てしまったので、知識はかなり厳密で大量で正確です。
一体、私は、私の中のいろんな私を統一できるんでしょうか・・・
だから面白いと思って記事にしても読み手が面白いと感じるかどうかはわかるはずもないので、楽しいブログを書け、という事自体が見えない正解のないタスク(するべき強迫的な事)になってしまって、書けなくなるのです・・・。
これは良い・・・いえ、私は佳いという言葉を使いたいので、自分で修正しますが、「佳い一日」を過ごせたのでしょうか。
うんと深層のど真ん中を考えて考えて考えて考えて尽くして、リアルで火事があってシンプルにいくら考えても、一酸化炭素中毒なんかはものの数分で亡くなってしまう事も解った日でした。
佳い日だったかどうかは、まだ自分では答えが出せません。基準がないから出せないと思います。