また不調になるのでは、と、睡眠を取らなかったそうです。こういう過ごし方を彼はします。
その間、また違う絵を描いていました。思えば、学校で集団イジメに遭い、外が怖い、人が怖い、となった時、夜中じゅう、し~んと静まり返った空間で、彼は一心不乱に絵の世界に入っていきました。
絵と同化することで不安を忘れていたのだと思います。朝方になって空が白々としてきたころ、ようやく怖くなくなるのか、床に就きます。破ったり丸めたりして捨てた彼にとってのボツの絵が散乱するなか、彼が描き残した作品を見る時、「まだ脱皮した」=「絵が変わった」と解るのでした。
私はそれを決して止めませんでした。ただ動画を作成してはその出来を都度都度見て欲しいと朝まで何度も呼びに来る事が何日も続いた時は流石に参りました(^^;)
今回もそうだったようです。続きの絵はいつもストックしているファイルの中。そうして早朝に娘の方に叩き起こされた私を傍において、また続きをはじめました。
一年前と比較するとやはり独力で進める力が備わって来たようです。課題はそれぞれの単位でプリントで出されるので、各先生のキャラクタを読む事も必要となってきます。出題の仕方や、回答欄の論理的つながりなどにそれは顕れるのですが、中には癖が強かったり(笑)論理が破たんしていたり(笑)先生もいます。
前の彼ならその都度パニックを起こしていたでしょう。何せ規定がてんでバラバラなんですから。そのような乱雑、いえ、もうこれはカオスともいえるような先生の質問に対し、これから習うはずの生徒である息子が回答の質を一定に保ったり、網羅的に施したりする事が、暗黙で求められているのです。
そう、おそらく出題側は自覚していないです。他の先生の作品を拝見したり、参考にしたリする事が無い、つまらないルールなのかプライドなのかで、それぞれが独立している分、生徒の負担は膨大になり、息子の様な自閉症スペクトラムの子は、ついていけなくなります。そういう意味ではどちらが自閉的か解りません(笑)
通院して精神医学やコミュニケーションを治療の一環で学んでしまったからこそ、健常と言うある意味枠の中でずっと生息していて他人から指摘を受けなかったり、指摘して頂いても耳を貸さず修正してこなかった人は、自己が正解だと思い込んでいるので、生徒側としては、先生方まるごと、質(精度)や回答方式がてんでバラバラ(指導要綱の理解の大枠から逸脱しているという意味)である事が多く散見されます。
それで帳尻を合わせられない、と自分の事はそっちのけで、生徒の側だけを評価するのはどうかしていると強く思います!!!!
実は社会的横断的コミュニケーションスキルがあまり育って居ないのは、この手のタイプの特に男性教諭に多いと感じるのは私だけでしょうか????