やっとゲット。鳥好きにはたまらんプレゼントだね♪ | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~


せせらぎが好きです♪

実は数日前から不調だったんですが(←いつもの事だけど^^;)、ちょっと酷くなって、知らないうちにストレスがかかっていたようで、最初は左の下の奥歯が痛くて、てっきり虫歯?とか思っていたら、広がって来て、耳の中まで痛くなって、ほぼ左頬が全部痛いでつ( ´(ェ)`)

鎮痛剤も安定剤もま~ったく効かない・・・苦肉の策で顔にロキソニンテープを貼ったのですが、ちょこっと大きかったのか貼る角度が悪かったのか、目も口元もしみまくりです(T▽T;)

連休明けらたいつものメンテナンスがてらヤギせんせーのところにいきますが、歯医者さんは頭部の神経がどのようにはりめぐらされているかを学んで御存知らしいので、この変梃りんな状況を教えて貰って来ます。

それにしてもロキソニン二つ、コンスタン一つ、そうしていつもの胃腸薬。

効かない・・・( ´(ェ)`)いひゃい☆

まあ脈打つごとにがーんがーんしなくなったから、マシなんだろうけど、

痛みも発達障害で強く感じるので辛いです・・・そういえば三日ほどまえから、服のタグが痛くて仕方なかった・・・

昨日から女子デーなのも関係あるんですかねぇ・・・( ´(ェ)`)

まだしっかりあります。潜在性高プロラクチン血症にもストレスが高いとなってしまうので、ストレスが脳下垂体にいってしまうのが本当に辛いです。ホルモン分泌めっちゃくちゃ☆

は~あ(´・ω・`)

ホルスタインの様なおっぱいもそのせいなんですよね・・・若い頃は通勤電車に乗れなくて、父が特急停車駅から徒歩圏内に家を建てたのに各駅停車で通勤していました。実家のとなりのオバちゃんは同じ病気です。発達障害ではないのですけれど、プロラクチン血症で、子どもを産んで毎日1リットル以上もの母乳が溢れて溢れて、いくらなんでもオカシイと病院にいったら脳腫瘍が見つかって。良性だったけれど悪さをする事には変わりなくて。以来ずっと通院してコントロールされたいたのだそうです。

だから実家にはあまりいなかったんだけど、たまーの里帰りで辛そうな様子を見ると、気にかけてくださいました。「異変を感じたらすぐ病院いきや!腫瘍が悪かったら手術するんやで。」って。あれからオバちゃんは三人の子どもを育て上げ、更年期になり、そうして子宮がんになってしまいました。腫瘍を身体が創り易いのかもしれませんね。リンパ節をかなり取ったので、浮腫が酷くてバンデージとリンパマッサージが大変そうです。

本当に苦労なさって今に至っておられるので健康であってほしかったんですけれど、見た目は身長があるので、一見頑丈そうに見えるんですけれど、本当に頑張って生きて来られています。そうして解るからこそ、実母が理解できないから口をつぐんでしまう私にも、たまに帰ったらおばちゃんはとっても優しいです。だからいつも実母に内緒で(きっと実母はご近所にも歯に衣着せない事をいってしまっているでしょうから)、「いつもお世話になっています」と実家にはもっていかなくても、御隣には御土産をいつも持参します。

関西一円にある塾の経営者だったオジちゃんは数年前に亡くなられました。私の父の方が早くに旅立っちゃったんだけど、まだ御通夜の段階でご家族で手を合わせに来て下さいました。生前、親に早く旅立たれ、新聞配達から始めた子どもの頃が似ていて話が合ったのだそうです。

オジちゃんのところは長男さんが後継者になっています。家はサラリーマンだったので、跡を継ぐも何もないのですが、オジちゃんの処は経営が大変だと思います。凄い資産なのでそこだけ考えたら羨ましいですが、それを維持して、あの若さでたくさんの従業員の事を考える立場になるというのは大変だと思います。早くにとても知的なお嬢さんとご結婚されて、しっかりなさっているので、奥さんがバックアップしているようですが。

あ・・・また脱線しました・・・実母はそれらをすぐ羨ましがるので、彼女のタイミングと彼女の期待の大きさを直ぐ実現しないとずっと寂しそうに言われるので、今、こんな身体と解り、加齢で症状がどんどん出て来ている現実を、申し訳なく思い、実家の敷居が高いのです。せめて博士号を獲れたら御仏前に報告できたのに・・・

でも最近注目されているバンド「ゲスの極み乙女」のボーカル兼作詞作曲をしている人も、東京農工大の大学院で教授が怖くて休学をどうしてもしたかった・・・今でも何にでもすぐ怖がる・・・のはとーーーーーーーーーーーーっても解ります。教授は専門的すぎて、本気で世界を獲ると思っていて、それこそ私の実母の気性が男性で肩書もあるので、本当に怖いんですよ。私もあとちょっとで、本当に叩かれました。ボスが叩くから殆どの学生はビビって、誰もフォローなんてしてくれず、精神的にどんどん孤立して行きました。

どこでも当たり役というのはあるのかもしれないけれど、頑張ったら「実は・・・」という形でそれなりに認知してくださるのが世間かも知れませんが、教授というのは、ある意味、とっても偏屈なので、そうする事など全く念頭にないし、そういう素養が欠損していて、まったく御自身がイケナイ事をしたとか御考えではありません。大学院の教授というのは個人商店のボスみたいなもんで、困った事にこれに加えて、理論武装がとんでもなくて、飴と鞭はなく、鞭だけで扱くという古い慣習が残っているのが国立大学の特に古い先生です。

勉学は好きだったし、日本で認められなくても、特に欧州で共感してもらって、たくさん共同研究者が増えそうだったのに、ボスは米国好きなので(というか米国に留学していたし、専攻は米国主導とも言えるので)それすら御気分を害されたのだと思います。私は子どもがいたのでみんなのようにシリコンバレーに連れて行って貰えませんでした。

羨ましかったです。グーグルの本社とかスタンフォード大にいけたとか、中には、博士課程の最中に留学させて貰えるんですもの。短くて半年、長くて一年。日本から話して雑用から話してあげるという策を取る事もあります。ボスの御眼鏡にかかった子だけね。私と一緒に入った子たちは、地味なスタイルだったので、声がかかりませんでした。研究室の運営に関わる雑用に忙殺されながら、後輩の面倒を見ながら、自分の研究をしなければなりません。私はこれに加えて子ども達の事がありました。誰にも預けられませんでした。そうしてイジメに遭い精神疾患に追いやられて(親子ともども)不登校にもなっていき、通常の普通と言う生き方が出来ず、まだシステムが無い社会に対して、奔走してどうにか居場所を確保し、理解を求める事に人生をかけてはじめて皆さんと同じスタートラインに立てるかどうか、という人生になりました。

もったいないから戻れ、という人は沢山いますが、じゃあバックアップを実際にしてくれるのか、となると、口だけで身内は特に誰も助けてくれません。だから私は家族に実は心を開きませんでした。子ども達も成長してひとりの成人予備群と認知してしまった途端、緊張が始まってしまうのです・・・・

ただ一緒に生活するだけで、神経をすり減らしてしまい、しんどくて仕方ないです。これが男性なら、仕事だ、とかいって、出張する仕事を優先していれて、それで成立するのでしょうけれど。

あーあ。もうちょっと読んで楽しいブログが良かったですよね。ごめんなさい。でも嘘つけないし。そんなお気楽な人ばかりで社会は構成されていないし。事実だし。

なんてたって、この世そのものが、男性が創った社会ありき、ですからね。

男女雇用機会均等なんて、本当に実現したんでしょうかね・・・・これ以上はおかしくなるのでやめます。(既にオカシイ?^^;)

息子君、今日は痛みが増すだけで、勉強を一緒に出来なかったね、ごめんね・・・これが一番ショックなのかもしれないなあ・・・社会ってLD(LearningDisorder)なんだよねぇ・・・
( ´(ェ)`)