実は本格的に息子の課題が始まりまして、履修単位の都合上、何故か私が当時苦手としていた分野ばかりを彼は選択する事になりました(^^;)
直ぐ気負うのはもう家系ですね(^^;)4月に入って暫くして学校から年間予定表を掲示されてから、既にとってもプレッシャー(T_T)昨年度頑張ってしまちゃったがために先生方に『なんだかんだでこの子は投げ出さない』『やればできる子だ』という考えが入ってしまったようで、今年度は好意的な言葉が散見するようになり、これがまた次の次元の気負いとなって攻めてくるんですよね~(^^;)
自閉症スペクトラムの人間にとってはこれはとっても重圧で、気負うから緊張し不安も出て来ます・・・要は身の丈以上の期待をいっぱいバースト的にされるという事で、それを敏感かつ繊細に感じ取ってしまう素養だからこそ起こる事なんですよね~・・・
で、実際に机に向かって一問解くまでがすーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっごい大変(^^;)
お尻に火がついて、それでもプレッシャーで動けなくて、ついに学校を止めるのかどうなのか、という段階になってやっと「それだけは嫌だ!!!」と通してしまうお腹と向き合いながら進めて、どうにか締めきりに全部纏めてドカッ!と提出のパターン。
その中でどうすればいいのかな~・・・あ~でもない、こ~でもない・・・と思考錯誤するんですけれど、その思考錯誤した可能性のいくつかを試すのに前準備が必要なのです。そう、
『彼(息子)を安心させる事』
さり気無く隣に居ます。向き合うと心理的には敵対の位置になってしまうため横に添うようにいます。
私はこうしてブログをしていたり自分の調べ物をしたり家の事をしたりするんですが、出来るだけさり気無い距離で傍にいてあげます。
すると、とーーーーーーーーーーーーーーーっても時間がかかった後で、やっと身体が動きます。
安心にそれくらいの時間を要するのですね、その点は東田くんと同じです。何もかもが刺激的過ぎて、反応してしまい、それが落ち着くまで待ってあげる必要があるのです。根競べみたいなもんです(^^;)
で、訥々と遣り始めるのですが、ちょっとした事で不安になるので、一緒に課題を解く事もあります。当初は私が先に回答して指導していましたが、今は、もうちょっと、というところまで誘導し(教育学上は「誘引」ともいうようです)、後は、
「えっと・・・どこかなあ???もうちょっとなんだけどなあ・・・よぉ~く探したら見つかると思うんだけど・・・・」ってところにとどめておいて最後の最後は本人に見つけさせます。
自分が見つけた答えは覚えているからです。これは意図的にしている事でもありますが、実はこうせざるを得なくなってきた、というのもあります。
前に書いたかもしれませんが、息子に発達障害がある、という事は親のどちらか、あるいは両方に因子がある、という事です。特に発達障害に関しては遺伝確率は30%ということで、これはもう降水確率を考えていただければ解ると思うのですが、まずほぼ遺伝しちゃいます。
という事は息子が苦しい状態を私も持っている、という事になります。
で、ここまでの説明だとどうしようもないかもしれませんが、自閉症スペクトラムの人間に共通している素晴らしい資質があります。それは「道徳心が高い」という事です。東田くんも彼への直接の治療には繋がらないけれど、10年後の自閉症の治療に効果がある可能性がある、とお医者さんに意図を告げられ、だからこそMRIを撮らせてくれませんか?と東田君はいわれました。
東田君は10年後、20年後の同じ障碍を持った人に貢献できるのなら、と、快諾しました。
これが凄いのです。
自閉症(スペクトラム)の人間にとって約40分、あの独特な金属音と共に、暗くて狭いところへ押し込められるのは苦痛以外の何物でもない、というのにです。
東田君は睡眠導入剤を使ってまでMRIを受けてくれました。
彼の脳の特徴は番組内で説明していたので割愛しますが、この例のように道徳心に火がつくと、どうにか動けちゃう事があります。だから今夜も私はずっと傍にいました。
不安が強くなると横から質問が飛んで来ます。唐突です。そうして不得意分野(^^;)でも、一生懸命探します。「御母さん学生の時不得意だったから響きは覚えていても内容が整理されて理解できていないままだから、今から同じスタートだから、一緒に探してくれない?」ってします。
当初はそれでも大変で拉致が開かなくて、学校長に相談にいったり、医療機関に相談にいったり、発達障害者支援センターに18歳になる前には相談できなかったので私が自分を被験者にして飛びこんだり、もうクタクタになるまで調べ倒しました。
それがようやくここにきて、自主性が出て来たのと、息子の能力が育ったのと、実際に出来るようになったのだと思います。私より問われているモノが何か、対象を見つけ出す事が速くなりました!!!
素直に「カッコイイ!!!」って思いました。
とーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっても時間がかかって、地道で大変だし、いちいち自慢しないからスポットライトが当たる事も無いけれど、でも自分を高めたくて息子はふんばってます。
時に見ていて眩しいです。私もこれで、社会関連の科目の学び直しが出来そうで、しんどいけど、思考はスッキリするし、何より、勉学を通じて、息子とコミュニケーションが出来るのが嬉しいです♪
(一校公立高校を卒業しているので、必須モノは全て履修していて、レベルは共通一次を受けた世代なので、網羅的に基本は全部勉強しました。社会科は二科目必須だったので。今の子どもと比較にならない勉強量でした。歴代でも、共通一次世代は、すごい勉強量らしいですよ。なので、この時代に、東京大学や京都大学に進学した、とか言う人は、しっかり足切りも経験されているので、素直に超尊敬しちゃうのです。)
長くなりましたが、今日は随分長い間頑張ったので(しかも教科書字が小さくていっぱい!!^^;)、集中力が切れてしまいました。途中で糖分(脳は糖分しか栄養にしない)を補給したのですが、ダメでした・・・(苦笑)
だから今夜はこのへんで。これ以上やっても効果は認められないでしょう。それより脳を休める事が先決だと思います。
ほんのちょっとの違いですが、昨年度よりは、色んな素養が僅かながら成長したように思います。
・・・てなわけでGWとは名ばかりで、お勉強とそれが出来るようになるまでやわらかでそうっと傍にいる安心を提供する日々なだけなんです(苦笑)
振り返るとずっとそうです(苦笑)認めるのは偏見がまだあるから辛いですけど、物ごころついた時から自閉的だったんでしょうね。あ、私の話です(^^;)お正月も連休も御盆もな~んにも一般的な遊びをしないで(私の場合)、準備(緊張と向き合う時間)にとっても時間がかかるので、そのような遊びに興じる余裕が全くなかったのと、違う事をするとまた一からなので、同じ事をずっと継続している方が負担が無いのです。
ならば、博打とか遊興とかよりも、勉学の方が建設的じゃありません?生き方として。←あれ?おかしい???(^^;)
これだけいっぱい時間がかかるし、なかなかそれは社会では実現できないので、そうなると体調が芳しくないから、こんな特徴を持っているからこそ、勉学というか知的好奇心を育てる方向性が必要というか拠り所なんだと思います。
時に必要以上の波長が密集した時間は私達を苦しめます。なので大きな音は怖いし、せかされていることを強迫的に受け留めてしまうし、シンプルに情報量が過多なんです。
このように静的な文章から、時間の流れも場面も雰囲気も想像する方が、どこまでも想像でいけるので自由なんです。
ラジオから聴こえてくるDJの人の声。音楽。それで充分なんです。それを思うと、今のDVDもライブ映像は、映像だけでも過多なのに、音もノイズ(観客の音)まで全部拾っているし、それだけでもあたふたしちゃうのに、エフェクトまでかけちゃう・・・・
要らんのです、そんなもの。アナログで充分です。勿論デジタルが支援するところは多いです。介護の現場、障害者の現場、とくに元気とは言えない人のアシストなどに利用されて欲しいというのが本音で、それで修士の研究はずっとやっていました。
それでもその費用はどこから捻出するのか、となると、大変申し訳ないですが、スマホ(私はガラケーですが)でゲームなどの娯楽に興じてくれている人が課金してくださるからこそ、どうにか障害者割引などが実現するのです。
経済的には社会主義のような色んな支援を手厚くしすぎると国が破たんするので、支援を受ける側も受けながら、ちょっとはリハビリをする事が必要です。オムツをしなくてはいけなくなったご老人に対して、今は吸水が優れているから、とオムツばかりにしないで、数回に一度は自分で尿意や便意を感じて、なんとかトイレで排泄が出来るようにアシストする事も、立派で素敵な「成長」なんです。
ちょっと御話が多岐にわたってしまいましたが、未だに障害者は健常者が決めた枠の中で生きざるを得ない部分がまだまだあるので、やはり健常者にこそ理解していただきたいのです。
そもそも健常者でいられるのも、人生のうち、若い一瞬の間です。初老になればどんな人もつきあっていく病気のひとつやふたつ、出来るもんです。それがたまたま早い時期に発症したり、理解が難しかったり、というだけです。
だからそれらが理由で、同じ人間の尊厳を蔑み、自分こそが狭い思考なのに(うまく言っていると見える人の方が自分の生き方こそが正解と思いこむエゴが出来やすい!)ドヤ顔して生きている事が余りに考え無さ過ぎるように見えるからです。
そのような人こそ「障害でもないのに他人に関心がないんだなあ」と映り、悲しくなるのです。
宝をいっぱいもっているのに使っていない。人を想い、実行できる身体があるのに、関心が無い。
・・・なんともな~、ってカンジです。
政治経済の後は倫理なので、思考が倫理モードになると思います(^^;)真剣に考えると周りが変な娘呼ばわりしたので生きるために杭を出しませんでしたが、勉強すべきことなのは解っていました。30年ぶりにもう一度息子と一緒に、やっていきたいです。
政治経済を学ぶと、いかに心理を政治や経済に利用した先人がいるか、ということが解ります。
ファシズムなんて悪しき方向という意味では最たるものですよね。言葉を久しぶりに思い出しました。内容は厳密には覚えていなかったので(たぶん教科書読んでショックで覚えるのを無意識に拒否したのだと思います。だって余りに酷いやり方なんだもん。)、詳しく読んで「そりゃ私はこれを健忘しちゃうわ」と思いましたとさ☆
書くのが止まらないので、意識してこれで止めます(^^;)
おやすみなさい・・・。オバサン、くたくたです~☆