・・・と思うようにしました。

美幸さん、いつもやわらかい、優しい、深い愛のある、なんというか、えっと・・・


慈しみに満ちた言葉がけを有難うございます。


受け取るのに慣れていないですが、それでもすーーーーーっと沁み入ってきます。


有難うございます。



やっと巡りあった精神科医が、この春、八年の診療の後、移動されました。


移管された先生もやさしい先生です。でも私の障害というかトラウマというか、そんなこんなで、


緊張と不安に押し潰されてしまいます。



今日は安定剤も効きませんでした。


SSRIを始めるのに相当抵抗したのですが、大学関係の知り合いは、知識優先なので(そりゃそーですけど・・・)、


「え。そんなの飲んだらいいのに。なんで直ぐ服用して復帰しないの?」と言いました。


子育ての背景というか、子ども達の心の回復にとっても時間を要したのですが、


それは急ぐものでは無いし、これまでシングルマザーで人の何倍も孤軍奮闘していた分、


普段は疑似科学的な事に懐疑心を持つ私ですが、


「これは、神様が、”今、子どもさんと、じっくり一緒に居る時ですよ”と、プレゼントしてくれたんだ」って思いました。


食べる為に早くから自立させて保育園に0歳から預けていました。


お迎えに行って抱きかかえた時、おおきなため息をつく乳児である我が子を見て、


「赤ちゃんでもとっても神経を遣っているんだなあ・・・そりゃそうだよね。家じゃないもんね。」と思いました。


学業では三歳児神話を習って勿論知識としては持っています。けれど、


実際に私の腕の中で、子どもはため息をついた。


当時の事情から、働かざるを得なかったんだけど、小学校に上がる時には、しばしの間、専業主婦をさせて欲しい、と懇願したのだけれど、


元の配偶者はそれに全く気付かず、自分本位だったし、それが通らないと、元配偶者が育った上で身についてしまった色んな力で色んな事を一方的に抑えつけ、そうして、


例えば性別で非力である事や、真面目なために散らかしたもの(御膳をひっくり返すとか、子どもが大切に育てていた金魚鉢を投げつけて、金魚さんにも可哀相な事をしてしまったり)を、


慌ててケアするために膝まづく私がそこにいるわけですが、それを見て、


「そうやって、這いつくばって生きていけ。」と高笑いしていました。


もちろん、子どもへの今で言ういろんなハラスメントはありました。


それで結論したんです。これはダメだ、と。もう頚椎もズレてしまっているし、これ以上は、と思いました。


それでも逃げるように、進学し、学歴を高くすればするほど見つかり難いと考えました。


けれど、自然科学の人間で、しかも身体が自由なためにそれを利用する日常があって、ついに、


去年、16年ぶりにフェイスブックで見つかってしまいました。


すくさまアカウントを削除して、現住地管轄の警察に報告しました。画面のショットを撮り、それを警察がデジカメで撮る、という対応でした。


そのとき忘れかけていたと思っていたのに、急にフラッシュバックが起こり、身体がガタガタ震え、全く傷が癒えていない事を思い知らされました。


なので、基本的には、成人男性が怖いのです。しかも勝気で荒っぽい男性はもう本当にダメで。


主治医の先生でも怖い時は診察室のドアのところまで椅子を持って来てそこでしか座れないし、


指導教官も学業で厳しく教えていただいているにも関わらず、身体がフリーズして。


最近では、大人になってきた、娘や息子が体調が悪くて余裕がなかったり、思春期だったり、で、


誤解されたり、ちょっと声高だったり、早口だったり、抑揚が必要以上にあると、


怖くて倒れてしまうのです。


それを、思ったら、そうなってしまったような事実を経過してきたんだから、


タマネギが上手く切れなくても、もう暴力を振るう人がいないんだから、


そんな私でも安心して私にしがみつくんだから、出した食事を身体に入れてくれるんだから、


もう大丈夫、とは言わないけれど、あの究極な状況ではない、と、


もう、元配偶者より、息子は大きくなったんだから、と、


そう思う事にしました。


まだ、前回の、花燃ゆ、の、吉田松蔭のセリフ「人の役に立てない事が怖くて仕方ないんじゃ。死にたいじゃ。」に、驚き、


「どうして、同じ思いなの!?」と共感したままですが、


今は多感過ぎる自分を抑えようと思います。


金彩工芸士のふらんきょうとの廣岡先生とひょんな事から御縁があって、お話させていただくようになりました。


先生は命をよくみていらっしゃって、全部お見通し、で、何もお話ししていないのに、


「やさしすぎる人はな、吸い取り紙みたいに全部人の苦しみを吸い取ってしまってな、自分がなくなってしまってな、ぐちゃぐちゃになるんやで。


たまには、ぐうたら、っていうか、いいかげんでいいんやで、そんな人は。


感受性が高過ぎる人はな、自分を責めて、もっともっと、と、自分を追い込んでな、


もうええのにずっと刀を研いでる状態や。


モノ凄くよぉ切れるねん。でもな、そんな研いでばっかりの刀はよう切れるけど、そのうち研いでばっかりやから、薄ぅなるやろ?


そうしたら、そのうちちょっとしたはずみで、ポキーンって折れるんやで。


せやから、もう、研がんでええんやで。自分にやさしいしぃな。


気を付けて行ってらっしゃい(病院に通院に行く途中で逢いました。)。」


そうして、先生の御店の天井に書かれた、満天の花鳥風月の画を見て、


全ての命に心を洗っていただいて、また泣いてしまって(心を許したから泣くんだと思います)、


それでぐっ!と拭いて(見られると恥ずかしいから^^;)、のたのたと病院に歩いて行くのです。


そうして、いつまでも慣れないから、診察室に入って、緊張して、椅子を部屋の端っこにずらしてずらして(笑)


息子の主治医を始め、話に耳を傾けられない人から、「話が長い」「要領を得ない」など言われて気にしていて、


今回までの体調を時々刻々と冷静に、専門用語というか、先生に通じる言葉を探しながら、報告するのですが、つい心配になって、


「通じます?」「伝わります?」「言ってる事変じゃないですか?」と言ってしまいます。


その度に『とっても解り易いですよ。大丈夫ですよ。冷静に捉えられていると思いますよ。治そうととっても努力されているのが伝わって来ますよ。』と言って頂いて、


それでもまだ次の診察で同じことを言って頂いて、何度も何度も確認して、


そうしてやっと「そんなに酷い状態ではないのかもしれない・・・」って思えるんです。


そういう意味ではちゃんと物理療法(投薬のことです)以外に、診察での言葉の交流によって、


こころを癒していただいていると思います。


薬剤部の薬剤師さんも優しいし、病院内の売店のスタッフさんも優しいし、


ほんとホスピタリティって、それが身についている、って、凄いと思いました。


中にはそうでない人もいるけれど、それに対してパニックを起こして、そのせいで大変怖い目に遭った、というと、


本当は先生が悪いんじゃないのに、代わりに謝ってくれるんです。


それも懐っていうか凄いな、って。


中村美幸さんもいつも変わらず、あたたかい言葉を、くださって。


同じぐるぐるしちゃう御仲間さんです(相手の命や心を優先に考えた時、そういう論理の展開になるかなあ???と考える人、という意味です。)。


当り前が当り前じゃ無い。


世の中にもしかしたら、やさしいことばとか慈愛にみちたことばって種類があるとも思うけど、


とってもやわらかいことばで、こんな私の事も認知してくださって、


有難いな、ってカンジです。


奈良女子大学の卒業式に学長が(女性です)仰った事と共通していると思いました。


学長は「あなたたちは女性という性を持って生まれて来ました。この性は慈愛に満ちています。最先端の研究をしたからこそ、この慈愛の目で、実用の方向性を見極めて下さい。」という言葉をくださいました。


いわば倫理観ですね。命を身ごもり産み育む性。決して力づくでは無い性。


私は生育上、女性に生まれた事は、子どもへの御縁以外には、存在価値を見いだせなかったのですが、


このような出逢いがあると、本当に嬉しく思います。


そのママ達を育ててくれたのが、天使になった子どもちゃんたち。


命の大切さを教えてくれた天使ちゃんたち。


・・・ありがとう。


そうして、みなさんも、今は、困った人も、かつては、子どもだったんですよ♪



・・・おやすみなさい・・・☆