今日は(今日も?^^;)弱音、吐かせてください。
私はとっても傷つきやすいです。言い換えると衝撃を受けやすいです。単なるヒロイン思考と呼ばれるものではありません。持って生まれた気質なのだと思います。
幼い頃は怒号が飛び交う家でしたし、祖父が兵隊さんに行った経験があったせいなのか、時代がそうだったのか、親の気質なのか、そのへんは複雑に絡まって、子どもでは全く理解できませんが、兎に角、辛い事しかありませんでした。
父は両親を早くに亡くしています。身体が丈夫な家系でなかったせいか、上二人の兄は幼くして亡くなっていて、三男でありながら末っ子でありながら、長兄の役割を背負った人でした。
妹が生まれた直ぐ後、産後の肥立ちが悪く、そのまま祖母は亡くなります。この末の妹に対して父はどんな想いを持っていたのでしょう。祖母の生まれ変わりとでも思ったのでしょうか。
この小さな末の妹と父は歳が近かったので、いつも一緒に居て、家の手伝いを一緒にして、まだ不器用で慣れて居なくてもみじのような手ではどうにもできないことを、お兄ちゃんとしてしてあげていたそうです。
その妹が小学校の時に病気で亡くなったのだそうです。この妹の話は父が酔った時にしかしないのですが、延々と同じ想い出話をしながら、赤子のように泣いていました。まるで娘を喪ったように号泣していました。
私は、仕事柄接待で、飲めないお酒を飲んで帰って来て、何かをきっかけに思い出した時は、ずっとずっと、泣き寝入ってしまうまで、聴いていました。
苦労に苦労を重ねた人でした。
母は長姉の子どもが小児白血病で病院で壮絶な治療の末亡くなった様子を知っています。その伯母も今は亡き人ですが、本当に苦労をした人でした。自分の娘がそのような境遇にあった事、時代柄娘たちが嫁ぎ先で苦労をした事、祖母はどんな想いで見守っていたのでしょう。
やさしいやさしい、そうして、辛い事を顔に出していたのかもしれないけれど、強い抑揚がある笑顔ではなく、穏やかな優しい笑顔をするお婆ちゃんとして、私の記憶にはあります。
この複雑同士の両家がひょんなことから御縁を結ぶようになって、それでも互いの家が、互いにそれぞれに苦労して余裕が無かったですから、こころの支えが頑強であったために、その価値観が違うこともしばしばで、それはそれはぶつかりあいの毎日でした。
伯父も伯母も若かったし、死のギリギリのところで生きて来た人たちだったので、人さまを思い遣る余裕が無かったと言うか、兎に角、身体を動かして収入を得る仕組みしか、世の庶民には無かった時代を生きたので、冒頭のような感受性を産まれながらにして持つ私にとっては、申し訳ないんだけれど、生き地獄でした。
どうしても、時系列で、子どもの時代には、あるいはもう少し待つと、有効な治療法ができるやもしれないし、それが安価になるかもしれない。世の庶民に手が出るかもしれない。あるいはメディアでたまたま取りあげられて、助かるかもしれない。
けれど・・・そうでなかった、メディアがなかった、交通網が発展しなかった、通信(ここではインターネットの意味が強いです)が整っていなかったあの時代に、田舎の貧乏な親を亡くしていた父たちは、どんな想いで、生き伸びて来たのでしょうか・・・
きっと、高度成長期以降に生まれた子ども達に、親たちのインナーチャイルドはヤキモチを妬いたと思います。至極当たり前の反応だと思います。
私も結構いっぱい規制されて育った人ですけれど、あの時代はもっと男尊女卑だったろうし、選挙権もなかったろうし、嫁は誰より先に起きて、誰より後に寝て、誰より粗末なところから始まって、しかも家父長(父親や長兄)が、婚姻から何から決めた。日本だって姦通罪があった。
だから、もう、生きていて、クタクタなんです。
恵まれた側の存在が疎ましいんです。そう思うくらい余裕のない日が殆どです。やせ我慢してこらえてアウトプットしていないし、ブログにこんなことを書いちゃイケナイ、評判が落ちる、など、沢山のステレオタイプの人に言われてきたし・・・
『じゃあ、今からでも、同じ体験してみてよ!』と言っても、皆尻込みして逃げる。今までね、自分の子ども達だけですよ、それでも逃げなかったの。だから子ども達は同士であり、同志だよ。
よく、こんな親になれていない親についてきてくれた、というか、見棄てないでいてくれた、というか。
それをね、同じ様な生育の人が、なぜだか差別したり、上下関係をつけたり、する人がいるの。
そう、昔の、価値観を、そのまま、継承してしまっている人。もっと厳密に言えば、その人の幼き頃の価値観、もしかしたら真の意味を咀嚼して昇華した意味ではなく、今で言う「とりま」な浅い意味のまま、攻撃する人。なんと多い事か。
ニュースの見出しも事実を淡々と書けばいいのに、読者獲得のためかショッキングに脚色して、内容も淡々と伝えて、それから自分たちの子どもも、寸分違ったらそうなったかもしれないから、その内容をどう捉えて、どう生きればいいのか、の話題にするに至らなくするためとしか思えない表現の仕方をしていて。
どんなメディアのどんな記者やライターでも、その最低限のプライドは持って居て欲しい!!!
みんな、こころに対して、真摯じゃ無い。こころを表現するのはことば。言葉に対しても真摯じゃ無い。どちらが欠損しても、それは成立しない。
それらが今、今生になくてね・・・例えば昨日息子がある動画サイトでトレーディングカードの開封動画というのを視ていたの。
それは知ってた。よくアップしている人のそれは、自分が嬉しいけれど、人にも公開するから、自分が興奮状態である事をしっている・・・けれど、乗せる音声の周波数を気にしていたり、抑揚を気にしていたり、あるいは無意識じゃないかもしれないけれど、ここちよさ、を知っていて、「いい声」なんだよ。
でも、昨日の動画は、どうも息子も初めて視た動画らしく、聴こえて来た音声は、独り善がりの耳に心地よくない、内容と抑揚と周波数と・・・
それにビックリしてパニックといわれるものを起こしたのか、つまり、とても不快を通り越して、「お願いだから、音量下げて!」ってお願いした。
すると息子は相当な勘違いをして、それを視聴している事そのものを否定されたと思い込んだ。それからの彼の糾弾は凄かった。自分が否定されたと勘違いした。カードをしちゃダメって言われたのだと思い込んだ。(だったら、これまで集めたカード、誰がプレゼントしたのよ・・泣)
この「部分的理解」がどうもできないみたいで、汎化・・・えっと・・・どう書けば伝わるかなあ・・・ほら、あの、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってアレ。あんな態度になって、ただでさえ音声が辛い状態の私に、それこそ訓練が出来ていない息子は、60文字/分を逸脱して、抑揚も激しくなって、なんなら理解が本当に乏しくて、
「音量を下げて」→「お母さんが僕(のこれまで)を全否定した」に意図変換してしまった・・・orz
これまで、ことばや、こころや、がいねんを、ほんとうにたいせつにしてきたつもり。
こうこうも、そんなにつらいなら、からだにでるなら、ゆっくりいきればいい、どうにかおやとしてバックアップしていく、と、なんどもとめたのに、ふりきってがっこういきたい、そうでないとばかにされたままだ、って、わたしをけっかふりまわしていても、それなら、と、もんくをいわず、せつめいを、かくぶしょに、わかりやすく、こんきよく、ずっとずっとずっとしてきたつもり。
そんな私の気質が真に解っていたら、「音量を下げて」→「お母さんが僕(のこれまで)を全否定した」という誤変換は起こらないんだ・・・息子がそれなりに知能と技量と冷静さを持って居たらね・・・
でも、そうじゃなかった・・・
冒頭に書いた私の特徴、困った事に、それが長く継続してしまうんです。ショックが大きくて、時間がうんとかかるんです。その間に、先方が待てなくて、動きだしたり、ガサガサし出すと、またそれにショックを受けて倒れてしまう・・・
どうにかそれじゃ社会で生きていけないと、健常者がするように頑張って来ました。身内に障害者がいると、遺伝するだの、全ての人が発症するだの、なんの根拠もない、言われの無い、偏見を受ける・・・そう、
世の中の殆どの人こそか、「汎化」つまり、事の一端を見ただけで全てがそうであるとしてしまう短絡的思考なんだ。それに気付いてさえいない・・・悲し過ぎる。
家の前は路地で狭い。近所に越してきた女の子が本当に毎日テンション高くて、ずっと大きな声で音痴で歌詞も覚えていないのに、歌いまくる。感情を出しまくる。泣く時は大声で泣く。金切り声で泣く。家でなら結構。ライブハウスでもOKな状態なら結構。
でも、真に社会性、というなら、社会性を子どもに教えられるだけの技量を身につけなければ、と、先ずは親が勤勉であって欲しい・・・
子どもにとって、親って、生まれて初めて見る、万能な人。そう、神様みたいなもんなの。
その子どもの期待を、せめて、子どもが、夢と現実を分けて考えられるようになるくらいの脳の発達年齢まで、頑張って欲しいんだ・・・それも解って、家族計画を立てて欲しい・・・
いくらなんでも自我を解放しすぎる大人が多い。程度、っちゅーものが、あるだろうに・・・
以上の事が、普段からのストレスなんです・・・これにこころを痛めない人、創意工夫する事に人生の時間をかけられない人・・・つまりいかに生きれば出来る限りの人さまへのストレスを発信する側にならずにいれる人間になれるのか、が、生きるということだと、私は考えています。
それでもまだ足りないので、熟考したいんです。
騒音を立てて、それを邪魔しないで欲しいです。既知なことを何度も言わないで下さい。私はそこで止まっている訳には参りません。音声で私に伝えたら、音にひっぱられて、随分昔に戻ってしまう・・・
それから身に付けた事を一瞬で落としてしまう・・・ビックリしてモノを落とすみたいなもんです・・・止めて下さい。いい大人がガサガサしないでください。
晴耕雨読。そう、御自分のこころという畑を耕してください。(物)欲に目が眩んでしまわないでください。
物理と論理はパラレルです・・・味噌も○ソも一緒にする人が多いし、TPOを弁えない人が多いし、親からして注意しない・・・自分で見ないのに子どもを産む・・・もう本当に勘弁して下さい。
自主自立(律)
孤立しろと言っているのではありません。交流されたら宜しいです。けれど、依存的に、あるいは身の丈を大きくみつもって、吸い取るかの如く、人を頼るのは(人に我慢させるのも含めて)如何なものかと思うのです。
これでもかなり辛抱強い気質なので、こうして書くという事自体、相当な状況である事を御承知置き下さい。
それでも、これだけの、文章を質を保っているつもりです。一応公開されるブログですから。
以上。