シナモンコーヒーを覚えたの、っていつだっけ?
大学生になろうかという頃、まだ慣れないお友達との喫茶店でのおしゃべり会(^^;)で、
サラッと友達が「私、シナモン」「私、ウィンナ」って。
シナモン?それなぁに?
しばらくするとスティック状のモノが一緒に来て。
太いプリッツみたいなお菓子かな?と思っていたら、
それをなんとコーヒーに突っ込んじゃった☆
(え!)
そうしてそのスティックでコーヒーをぐるぐるぐるぐる・・・
(食べないんだ・・・)
「そ、それなあに?」って訊いて。
「シナモン。」
「へ~・・・」
それがシナモンとの出逢いでした。
私はそんなハイカラな喫茶店に入った事なんてなかったので、
市販の粉状の瓶づめを安価で買ってきて、
こうして振り入れてお試しするようになりました。
別の御友達に関しては、
「ウィンナ?」というテッパンの反応をし(苦笑)、
運ばれて来たのがモリモリのホイップクリームがこんもりしたカップ!
多感な頃の出来事って思いだせるもんですね(笑)
今朝はとっても寒かったのでカフェオレにシナモンを入れました。
少しは温かくなるかな?って思って(笑)
・・・ホッコリ♪
末端神経や末端血管が細いという体質上、どうしても冷えてしまって、
これは亡き父に似てしまって、
どうにも母が対応出来なくて。
浅田飴のCMのニッキの事を何かと質問したら、それには母は応えてくれたけど、
効能については???だったので、
それから覚えて、急性劇症妊娠中毒症で娘を出産した時は、
ネフローゼから腎不全に陥りかけて、タンパク質が身体からタンパク質そのものを点滴で補充しても僅かしか出ない御小水に全部漏れて出ちゃうみたいで、
身体も顔も誰か解らないくらいに浮腫み上がって、網膜は剥離を起こし視野が歪んで、
高血圧になるし、弛緩発作は余談をゆるさないし、我が子をこの手でだけないし、
色んな科の先生が、順番に私のベッドに来る度、
重篤な様子が解ってしまいました・・・いつもは辛口な主治医がやさしくなったりしたりね。
そんな時、読影術が素晴らしいと言う泌尿器科の先生が、決断して、西洋薬を全部東洋薬、つまり漢方に切り替えた。最後の手段だったらしい。
それが冬帰芍薬散と加味逍遥散。ツムラの袋は一回が多くて水分制限を一日に800ccにされていた私には辛かったけど、そんな事言っている状態じゃなかった、っけ。
それから水分が怖くて、重湯から復食になっても、手がでないし、そもそもお腹が全く減らない状態を、これまた「悪いようだなあ・・・」って解って、
食事指導されている1600kcalも殆ど食べられないまま数か月の入院。
たんなる出産・・・のはずがこうなって。
子どももまともに産めないのか、って、心配し過ぎた実母に言われて相当傷ついた。
無能だな~・・・って。身体の臓器の機能が全く機能していかなくなって、
身体が肉の塊になっていって、何度も覚悟をした。
毎晩深夜まで看護師さんが廊下を走って駆けつけて来て、
色んな点滴や舌下剤や器具を走って持って来てずっと暗室状態で。
それを思ったら生きているだけでも不思議で、発達障害でも二次うつ病でもいいんだけど、
でもメディアでイベントを目にする度、人生の殆どをおとなしく過ごしていてもこういう状態を、
つい憂いてしまう・・・でも、憂いてしまうほどには回復した、って事だよね。
ゆっくり、ゆっくり。
お姉ちゃんは無事に帰って来ました。化粧を落としてのっぺら古風な日本人顔に戻りました(爆)
・・・ちょっと仮眠を取ろうと思います。