私は、この人生の中にある「変化」に気づき、そして、その変化の中で真の自己に目覚めたいと願っている。そして、自分には、人生の中に、新たな「変化」をもたらすための勇気があることを知っている。 そして、自分が体験する全てのことに意味があり価値があること、生きることを通して、真の知恵に目覚めていくことを知っている。思考では、理解の出来ない「神秘」に対して、私は、いつでもオープンで学ぶための準備ができている。わからない、目に見えない、何もないところから、人々の目に見える、わかることのできる、そこにある確かなものへと導くことが、私の使命であると強く感じている。「ヒーリング」の持つパワーを知り、そして「ヒーリング」の本当の意味を人々に伝えることを、私の魂は選択してきたのだ。バラバラに見えるひとつひとつの個が、互いに共鳴し、ひとつの大きなエネルギーを生み出すことを、美しい輝きを放つことを私は知っている。
~http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-B018.html~
おつきさまね、ちいさいころはね、いつまでもついてくるでしょ? あれがね、
なんだかくすぐったかったりしたんだけどね、それより、
いまでいうストーカーみたいでこわかった。
よなかにおきちゃったとき、かげんのつきだから、
しずんでいくほうこうにね、くちをへのじにまげているようにおもっててね、
「おこってるよ~、こわいよ~、こんなじかんにといれにおきちゃったからだ~・・・」
ってね、おもってた。
ようちえんの、ねんちゅうさんくらいだったんじゃないのかなあ・・・
それいらいね、よなかのおつきさまは、こわくてね、
いまでも、おもいだして、こどものこころのもーどのときはね、
こわいときがあるんだ~・・・
ようちえんのねんちょうさんのときにね、とうきょうにひっこしてね、
すぐに、げっしょく、ていうのをみたの。
おかあさんが、よなかに、おこしたの。
よなかに、にしよりのまうえに、おおきな、あかぐろいつき。
もっと、じげんのちがう、おこりかたをしているきがしてね。
「こわいよ~、おつきさま、もっとおこったよ~・・・おかお、まっかにしておこってるよ~・・・」
っておふとんかぶって、なきながら、いつのまにか、ねて、
つぎのひ、たしか、ようちえんだったか、しょうがっこうだったかにいったとおもう。
おかあさんは、のんきでね、”きれいね~、おおきいね~、ほら、せっかくだからおきてみなさい”っていった。
おとうさんが、よっぱらって、ぎんざのおすしをかってかえって、よなかにおこして、むりにたべさせて、よくじつおなかこわしたときのは、おこるくせに、
かおをまっかにしておこるおつきさまは、みせるんだ、おこして。
おとうとは、いつも、ねてた。
おおきなじしんのときもねてた。
おつきさまが、まんげつのとき、うさぎさんや、かにさんや、おんなのひとや、あと、あながみえるときは、へ~、っておもうけど、
とくに、すーぱーむーん、の、ときの、げっしょくは、こわい。
まっかなかおをして、ひとばんじゅう、おこられているかんじで。
だから、おつきさま、ふたつのかおがあるの、しってるよ。
ちいさいときから、しっているよ。
だから、こういうの、よめないときがあるんだ・・・
わたしのかくこと、ながくて、せんもんようごがおおくて、わかりにくい、っていうひとがおおい。
でも、わかってしまうけれど、みじかいけれど、しょっきんぐなそれで、いんぱくとがあって、
ちいさいころにみたそれは、ずっとこわく、あたまからはなれないから、
ほんとうは、どっちがいいのか、わからないとおもうんだけど、
おとなになって、とくにわたしより、としうえのひととか、まけんきのつよいひととか、
がんこなひとは、
わたしのかくことを、どこかしら、うらでいやがってる。
わかるんだ。 わかっちゃうんだ。 でもね、やっぱり、それって、ふしぎすぎる。
あの、まっかなかおしておこっていたおつきさまを、こわいとおもったわたしは、
やっぱりあたまがおかしいの???
さんたさんを、いつまでしんじてた?
うちは、こなかったいえだから、ぷれぜんとはくれないけれど、かおをみにはきてくれているとおもってた。
しんじてた。
こどものこころで、みなくなったのは、だあれ???
わたしじゃないよ。
もう、みんなして、どこかで、ばかにしたり、へんだっていったり、せめたり、しないでほしい。
まっかなかおしておこらないでほしい。
わたしがどうであっても。
~http://artbeing.com/aura-soma/reading/tarot-B018.html~
おつきさまね、ちいさいころはね、いつまでもついてくるでしょ? あれがね、
なんだかくすぐったかったりしたんだけどね、それより、
いまでいうストーカーみたいでこわかった。
よなかにおきちゃったとき、かげんのつきだから、
しずんでいくほうこうにね、くちをへのじにまげているようにおもっててね、
「おこってるよ~、こわいよ~、こんなじかんにといれにおきちゃったからだ~・・・」
ってね、おもってた。
ようちえんの、ねんちゅうさんくらいだったんじゃないのかなあ・・・
それいらいね、よなかのおつきさまは、こわくてね、
いまでも、おもいだして、こどものこころのもーどのときはね、
こわいときがあるんだ~・・・
ようちえんのねんちょうさんのときにね、とうきょうにひっこしてね、
すぐに、げっしょく、ていうのをみたの。
おかあさんが、よなかに、おこしたの。
よなかに、にしよりのまうえに、おおきな、あかぐろいつき。
もっと、じげんのちがう、おこりかたをしているきがしてね。
「こわいよ~、おつきさま、もっとおこったよ~・・・おかお、まっかにしておこってるよ~・・・」
っておふとんかぶって、なきながら、いつのまにか、ねて、
つぎのひ、たしか、ようちえんだったか、しょうがっこうだったかにいったとおもう。
おかあさんは、のんきでね、”きれいね~、おおきいね~、ほら、せっかくだからおきてみなさい”っていった。
おとうさんが、よっぱらって、ぎんざのおすしをかってかえって、よなかにおこして、むりにたべさせて、よくじつおなかこわしたときのは、おこるくせに、
かおをまっかにしておこるおつきさまは、みせるんだ、おこして。
おとうとは、いつも、ねてた。
おおきなじしんのときもねてた。
おつきさまが、まんげつのとき、うさぎさんや、かにさんや、おんなのひとや、あと、あながみえるときは、へ~、っておもうけど、
とくに、すーぱーむーん、の、ときの、げっしょくは、こわい。
まっかなかおをして、ひとばんじゅう、おこられているかんじで。
だから、おつきさま、ふたつのかおがあるの、しってるよ。
ちいさいときから、しっているよ。
だから、こういうの、よめないときがあるんだ・・・
わたしのかくこと、ながくて、せんもんようごがおおくて、わかりにくい、っていうひとがおおい。
でも、わかってしまうけれど、みじかいけれど、しょっきんぐなそれで、いんぱくとがあって、
ちいさいころにみたそれは、ずっとこわく、あたまからはなれないから、
ほんとうは、どっちがいいのか、わからないとおもうんだけど、
おとなになって、とくにわたしより、としうえのひととか、まけんきのつよいひととか、
がんこなひとは、
わたしのかくことを、どこかしら、うらでいやがってる。
わかるんだ。 わかっちゃうんだ。 でもね、やっぱり、それって、ふしぎすぎる。
あの、まっかなかおしておこっていたおつきさまを、こわいとおもったわたしは、
やっぱりあたまがおかしいの???
さんたさんを、いつまでしんじてた?
うちは、こなかったいえだから、ぷれぜんとはくれないけれど、かおをみにはきてくれているとおもってた。
しんじてた。
こどものこころで、みなくなったのは、だあれ???
わたしじゃないよ。
もう、みんなして、どこかで、ばかにしたり、へんだっていったり、せめたり、しないでほしい。
まっかなかおしておこらないでほしい。
わたしがどうであっても。