ブログ記事の削除と摂食障害について。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

「餅は餅屋に」のタイトルの記事、削除しました。私は驚いて過剰反応してしまいました。発達障害の症状です、ごめんなさい。


その方には、直接メッセで返信しました。こちらこそいきなりブログにアップするという行為に至り申し訳ありませんでした。なので、「餅は~・・・」の記事は削除します。


その上で敢えて書かせてください。

その方の返信にも書きましたが、私は摂食障害を持っています。3次か4次かもしれませんが、もっています。

発症は16歳のころだったと思います。

生まれて弟が生まれる3歳になる直前くらいまで、食が細くガリガリでした。原因は幽門狭窄症です。

胃の入り口が肉厚で狭く、嚥下したものが、胃に入らない疾患です。成長とともに胃も成長して外科的処置をしなくてもよくなったのと、弟が生まれ、飲み残したミルクが欲しいと言ったのだそうです。

いきなり弟が生まれ、周りの全ての皆の期待が彼に行きましたから、心が飢餓状態だったのだと思います。

そんな生育環境の第一歩でした。

まあ、要するに、周りが短気で極端な考え方でそれを強いる人(特に母親)ばかりだったのです。

父は昔食べるのにも辛かったので、私によく食べさせました。食べられるようになったのも嬉しかったのだと思います。

幼稚園の頃には生まれて直ぐの面影もなく、ぽっちゃりしていきました。世間はまだ食に贅沢な人が少なく、小学校の先生に、母が「この歳(6歳)で肥っているのは親に責任がある」と叱責されたのだそうです。

その後、母は私を叱りました。人に叱られる事は誰だって嫌だと思います。たとえ小学校の先生でさえ、いずれ大変な想いをするのは母親なんだから、自分の理想やその実現時期を押し付けないで下さったらいいのに。

でも、当時は学校の先生は絶対。

それ故、私は今度は「何で肥っているのよ!」「お父さんが夜遅くに帰って来て起こしてお寿司があっても、つきあって一緒に食べないの!」と叱りました。

父は母の言う事など聞きませんでした。母で止められない人を幼い私が止められるはずもありません。

お腹を壊して翌日下痢になったらまた「お腹壊すまで食べるってアホや!」と人格を卑下されました。

母は部分的に困った行動があった場合、その人を全否定します。坊主にくけりゃ袈裟まで憎い、って言葉ありますよね、アレを地で行く人です。

それからは、食べる幸せがなくなりました。でも、夕食はカロリー計算などしていないこってりしたものが出て来ます。

矛盾をつきつけられていました。

そうして周り(母のママ友)が思春期になる頃の私に、おせっかいにもどうにか痩せさせるように、と、食事に漢方の下剤などを使うようになりました。

とってもお腹が痛くなったので、私は飲みたくありませんでした。

で、進学校への受験勉強で、四六時中机に向かっているうち、肥っていく訳ですが、高校に受かった途端、私もいくらなんでも周りのお洒落に対する感度が高くなっている学齢であることを認知しました。

痩せたい、と思いました。

今度は自分の意志で、母に、「どうしたらいいかなあ」と言いました。

母は自分オリエントでないと嫌な人なので、『ウルサイ!!他人より食べて肥ってんから絶食せえ!!そんな気概で痩せるか!!』と精神論で来ました。

知識もなく、実行力も無く、経済力もない私は、母の言う通りにし、絶食しました。ほんの二カ月くらいで10キロ痩せました。貧血で倒れまくりましたが、母の「肥っている人間に貧血なんかない!」と言葉を信じ、倒れてもいいませんでした。

そうして、今度は、大学受験が来ました。国立大学に現役で入る、しかもトップ校。当時の周りには大阪大学があったので、そこに受からなければならないと潜在的に刷り込まれました。

そもそも親戚にそのように学業が出来る人間がいたわけでもつてもなく、過去問題とか、感覚もありませんでしたし、受験に集中しようにも、身体の見栄えの事を言われたので、気が散って仕方ありませんでした。

近所は優秀な人が多く、地方だけと国立大学や、それこそ大阪大学、有名私立大学など、受かった人だけ話題に出し、どうしてお前は出来ないんだ、寝ないで勉強しないからだ、ずっと100点だけとっていたら、東京大学にだって現役で入れるはずだ!と追い込まれて行きました。

そうして、また受験勉強で肥って行きました。

大学は全部転んで、滑り止めの私立大学と、一番ランクの低い(受験校の中では)お嬢様学校に受かりました。

私立大学では、かろうじてやろうと思える数学を専攻できそうだったのですが、それでも周りの目があったので、二浪をお願いしました。事実、高校の同級生で二浪して早稲田に受かった子が一緒に頑張ろう、と言ってくれました。

けれど、今度は父も、女性が年齢を重ねても、と言いました。世の中は、総合職が出来、二浪くらいまでは関係なく一般企業が採用することを、父も知りませんでした。

そうして、私学へ進学します。滑り止めですから、内部進学や推薦が多く、二月の早生まれで4月生まれの級友と変わらないのに、そのちょっとの差を恥ずかしく言われ続けました。

勉強が出来る、という価値観から、どれだけ可愛いか、の価値観を強引に押し込めれらた瞬間でした。

その当時の同級生に他に摂食障害の子が二人いました。ひとりが過食嘔吐になってしまい、手に吐きタコが出来ていたのです。私はその時まで拒食は知っていましたが、他は知りませんでした。

すると、もう一人の子が(この時カミングアウトするまで知らなかった!!!)「早く痩せられるよね、吐くと。」と言いました。

それを聞いた女子仲間は驚きました。

好きな人にぽっちゃりしていると言われた子は、出身の高校では始まって以来の優秀で真面目な子で推薦で入学してきた子でした。周りの期待を背負って来た子でした。けれど、出身高校では履修していない箇所はもう済んだものとして、大学の授業や専門課程があるので、ついていくのが大変そうでした。

進学校の高校の問題集をいつも参考書として脇に抱えていました。この時、かつてない優秀な子だったかもしれないけれども、入った先でいくらなんでも、閾値を超えて大変なら、薦めるべきではなかったのではないか?と思いました。

さて、摂食障害の話に戻ります。

一度クラスの女子で、その子を諭しました。もう充分可愛いよ。なんならやり過ぎ。もう、骨盤の骨、服の上からでもわかるよ、などなど。

今思うと、精神医学の知識が無かったのだと思います。彼女はもう戻れない処に行ってしまっていたのかもしれません。

就職したメーカが同じ地域にあるので、電車が同じになる事が多かった、社会人一年目をようやく終えようとしている・・・

・・・偶然!!!

丁度今ごろです。

二月の頭が誕生日だったのに迎えられなかったように記憶しています。

彼女は、静かに、22歳の人生を終えました。

前日具合が悪い、と会社を早退したのだそうです。そのままベッドで寝る、と家族に言い、そのまま起きては来ませんでした。

急性心不全。

この時、摂食障害で、本当に人が亡くなるのだと目の当たりにしました。

それ以来、ちゃんと学んで、ちゃんと治療して欲しい、と思うようになりました。

私もそれから、今の通院に至るまで、人生に必死過ぎて、30代ももうすぐ終わりになる頃まで、精神神経科には継続してかかれませんでした。

親から聞いて育って精神疾患に対する偏見が、潜在意識に刷り込まれていたのだと思います。

こうして改めて文章にするとそれがよく解ります。

そういう意味では、メッセをくださった事で、私がまた目覚めて行くきっかけになったかもしれません。

驚いたからと言って、へんてこりんな反応をしてしましました。ごめんなさい。

だから、是非、受診してください。

そうして、佳いお医者さんかどうか見極めてください。

そのために目を養って下さい。

そのためにどうぞ知識獲得をいとわないでください。

私もともすれば直ぐにステレオタイプという、優位な人に都合のいい型にはめられようとしてしまっている事に気付けないので、

これを機に、精神疾患への意見をブログに書こうと思います。

もう御存知だとは思いますが、

物理療法と認知行動療法の両方を、両輪にして、自分のペースで自分の姿へと進んで行きましょう♪

人の理想に合わすことなど無いのです。

特に、精神疾患になってまでは。

特に女性や、弱者さんは、色んなステレオタイプを強者から押し付けられます。

是非、是非、御自身を護って下さい。

他の誰でも無い御自身で。

支援はいくらでも出来ます。

けれど、それはヒントでしかありません。

最後の最後は、自分が頼りです。

なので、自分を労わって、自分にどうぞ智慧をお与えください。

全ての弱者の方に。



よこしま☆