メンバーさんたちにとってもとっても歓迎されたので、
嬉しくてそのまま入団?
と思いきや、翌日か翌々日かに先生からお断りのご連絡が。
人と声を合わせて作り上げていく醍醐味を知っているので、
大変大変ショックでした。
歓迎してくれた人たちにも申し訳無い気持ちになりました。
今日偶然スーパーでお会いしました。
ちゃんとご挨拶しました。
あ、確か来てくれた人ね、でした。
断った側はそんな程度なのだ、と悲しくなりました。
「被」という漢字が持つ意味を知りたい、と思いました。
あなた、若すぎるのよ、若いんでしょう?まだ早いわ。
だ、そうです、
確かに発生して直ぐに自分の声だけ質が違うと感じ、周りに合わせました。
けれど、出演出来ないにしろ、すぐ本番があるので、どこからか、プロの声楽家の先生がいらした特別授業だったので、
ちゃんと…つまり初めてであろうと、初見で声を出し、先生の解釈に出来るだけ沿った表現をしないと、
お忙しい中きていただいた意味も、お連れした先生のお顔も潰す、と、生徒側としては、そう考えました。
先生は声楽家の先生に謝礼をお渡しになっていました。
もしかしたら、普通は、それでもういいのでしょうか?
お渡ししたからそれでいい、ではなく、それで、音一つもリズム一つも取れないのでは、
直前に迫ったコンサートに出るにも、聴いていただくにも失礼だと思ったのです。
だって、椅子に座って声を出す、それで質を高くする、って、声楽の経験をされた人はご存知だと思いますが、
立って声を出すよりかなり難しいです。←身体が筒状にならないから。
だから椅子といっても、ごくごく浅く腰掛けて…と思いきや、
…もう止めます。
先生が発する指導に応える、と言っても、どうやら私の解釈が違ったようです。
見た目が若くても声質はコントロールしてました。ピッチは安定、リズムも安定、
何の問題があったのかなぁ、と振り返ってみると、
私の感覚ではただ楽しく歌いましょう、に特化しているだけに修正できます。
成果の質を求めないなら、あのような真面目な言葉を使ったり、声楽家の先生をわざわざ呼んだり、
なんだか飛び交う言葉と実演の差が著しくて、研究者あがりの私には、
リップサービスや冗談を通り越して、滅茶苦茶にしか思えませんでした。
だからこれで良かったんだ、と思いました。
断るにしても普段の会話にしても指導の時の言葉にしても、そのような語彙しか持たない方の指導を賜ると、
心が毎回すり減り混乱すりだけだと今日の言い訳にしか過ぎない上っ面の生き方に、
全く尊敬が出来ませんでした。
それでも私は礼節を尽くしました。
ですので恥じてはいません。
嫌悪はするけれど(笑)
同じコーラスでも水が違い過ぎるのだと思いました。
佳い指導者とのご縁があるまで、
今は時期ではないし、
もしかしたら方向が違うのかもしれないと思いました。
誰や


…言えないわ(笑)