このところ、関西では特に、阪神淡路大震災20年の色々な特集が組まれていまして、

時に、あの映像が流されます。

風化されてはイケナイのは解っています。

風化しちゃイケナイのは解っています。

けれど、個人的には、まだ、あの映像を視る事は本当に辛いです。

当時、毎日毎回、報道してくださったアナウンサーさんは、

退職され、御住職さんになられたと伝え聞いています。

赤子を持っているお母さんだった人なら、

誰しもが覆いかぶさったと思います。

私もそうでしたから。

けれど、今日の成人を、喜べない。

きっと晴れ着を着ても(他の方の心は解りません…千差万別ですから)、

もっと「着れない子がいるんだもんね」と思ったでしょう。

それを手放しのような態度なら、もっと自責したと思います。

私の人生の中で、大きな衝撃で、何度か時計が止まり、

止まり方もそれぞれですが、

五感が全て瞬時に止まってしまった止まり方を経験したのは、

阪神淡路大震災が初めてだったようにも思います。

これ以上は今は思い出せません。

もし、思い出しても、またフラッシュバックを起こして、

脂汗かいて、夜中に、ガバッと起きる日が再来する気がして。

・・・ごめんなさい・・・