でも、親というステレオタイプを強迫的に宛がわれている自分を脱出することは、当初の人生の目標そのものが潰えてしまう気がして、どちらにしろ、平常心ではいられませんでした。
幾つものバインドがあり、そうして『私がオバサンじゃなかったら、男性だったら、若かったら、背丈ががっちりしていたら、後ろ盾があったら、こんな目に遭っていたのだろうか・・・』と考えると、現実は余りにも余りにも残酷だと理解しました。
既に心は大きくかなりの勢いで崩壊していたのでしょう・・・明らかに様子がオカシイと察知した息子が、突然、『センセーのところに行こう!!!連絡していないからいてはるか解らんけど。』って、私をアトリエに連れて行きました。
運良く先生はいらっしゃいました。アトリエショップの方に、偶然、雀ちゃんの掛け軸がありました。明治のものでした。素敵でガラスの外から、センセーが出ていらっしゃるまえに、『すずめ!すずめ!』と鼻息で曇らせて掛け軸をガン見していました。
先生はショップに入れて下さいました。先生の超専門は銅板ですが、洋画の御名前ももっていらっしゃいますし、日本画の御名前ももっていらっしゃいます。掛け軸を拝見しながらも、目線の向こうに緻密な洋画があり、惹かれて仕方なく、『この○○さん、ってどなたですか?』と訊くと「あ、それボク(笑)」とおっしゃいました。先生は京都市立芸術大学の特待生で履修されています。
☆私が存じ上げないだけで、業界ではかなりの大御所なのではないでせうか・・・☆
そうして、お教室にあげてくださいました。そうして、道端で、もう倒れそうになって、車道にはみ出ているのにも気付かなくて、そのままゆぅ~っくり、かつ、ふらふら、と、ボソボソ錯乱状態だったそうです。
息子に何度も服をひかれていた事を息子からお知りになると、
『はい、この間の絵、まだ途中ですよ♪』と出して下さいました。
土曜日も日曜日も今日もダメージ・・・『最近は言葉遣いというかデリカシーの無い人が増えたね。ほら、僕も一応教える立場なんだけど、何だか学ぶ姿勢より、早く教えろ、みたいな子どもが増えてビックリするから、お母さんがショックを受けたのは至極当然だし、相手は経験が無いから相手の事を思えばこそ、もうハッキリそれはいくらなんでも失礼だ、と教えた方がいいと思うし、そんななるまで我慢しはらへん方がいいと思うよ。』と言って下さいました。
有難かったです。
そうして、ふ、と前の描けていた部分を見てみると・・・なんだか全く魅力的に感じない・・・そりゃ素人の絵だから当たり前なんだけど、どう言えばいいのか解りませんが、なんだかしっくりこない・・・そうして、もう一度絵に向き合ってみました。
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何度やってもうまくいかなかった雀の目。もう一度入れ直しました。小さい頃、怪我をした雀を助けた事や、セキセイインコを飼っていた事があり、瞼のカンジや微細なまつ毛が生えているのが解っていました。
まだ教科書の「写し」(和の写しは先駆者への尊敬をもって行い、ほんの微細な部分だけ自分のオリジナルを入れるところから修業が始まります)なんですが、その目がどうしてもどうしてもどうしても描けなかった事と、線が画一、つまりのっぺらぼうで奥行と言うか豊かさが無い事に前回描いた後で理解しました。
けれど、実際にどうすればいいのかが、全く技法が解りません。けれども一生懸命虫めがねごしに、とても緻密なサイズで描き込みました。すると足の節や爪のカンジ、鳥さんの肉球(←こういうのかなぁ・・・)まで全部質感を描き替えました。
そこで解ったのです。前回は心眼で絵を見て居なかった。拙過ぎた絵でした。今日は、絵を通じてですが、あたかも雀が生きているように描きたくて、『お願い、お話して♪雀さん出て来て♪』って一生懸命お願いしながら祷りながら描きました。
目入れと羽根と足だけで、どっぷり集中2時間です。今日は鉛筆ですが、もし集中力がチャージできたら、色をつけて、やっぱり羽根などこまかな部分は面相筆で、羽根を一本一本描きたいです。
そうしないと私の雀ちゃんは私の絵で息をしないと思いました。心臓が動かないと思いました。生きていないと思いました。
やがて、心が落ち着いて行きました。
混沌とし過ぎた師走の人間界の俗世に、心が壊れてしまったのですが、どうにか私自身息を吹き返したようです。
息子に感謝、なにも言わず受け容れて下さったセンセーに感謝です。
今日はこのままの感性で休もうと思います。
絵に命を吹き込みたいんです。