医師に鬱病だと診断されてから、
『頑張る』が禁句になりました。
辞書にはどう解説してあるのか知らないけれど、
私の頑張る、は、辛抱するに近いと思います。
もう少し正確に表現すると、
『大きな嵐が来ているけれど、水深に行き、然るべき機会が来るまで、振り返り修正し次に対応できる様に準備を怠らない地味な日々に集中する。』
です。これが今考えられる中では一番近いと思います。
今日は既に気温が急降下して来ました。
実は連日息子の課題を見ています。
ベッタリ君から普通君になって来ました。
彼の方が気付くのが早い事も出てきました。
10年以上かかっていて閉鎖空間的な関係性に、
嬉しかったり辛かったりして来ました。
しかし、(後で別述します)そのお蔭で10年以上かかって暗中模索していた解法の糸口も偶然発見されました。
ですので『私なりの、私が思う、私がデザインした頑張り』は、やっていいのだと思いました。
他にも何十年とひっかかっている事がいくつもあります。
地味に脇に抱えながら、突発的に直面せざるを得ない、困難と評価を受けている事象から、逃げないで来た御褒美だと思っています。
時間はかかるかもしれないけれど、自分を後回しにして、奮起した結果の御褒美。
つまりそもそもこれだけ時間がかかるものであった、と。
京都大学の人は、スマートな人が多いので、
私のように汗と泥にまみれているスタイルを、
『頑張るだけじゃあねぇ』と、
能が無い、と、あからさまに言う先生や先輩や周りやスタッフも多いです。
あの時の私は潜在的な京都大学の権威に萎縮して、
私がいう頑張りとは何を指すのか、など、寸分の説明もできませんでした。
ただ、ただ、サンドバッグでした。
でも今なら経年実体験を後ろ楯としてお話する事が出来るかもしれません。
少なくともこうして書けました。
二月のモデル務めに、このひ弱な身体をひ弱なりに、作って行きたいと思います。
ぼちぼち頑張ります。
今は子ども達の身体や学業や就業やメンタルが最優先です。
それが私なりの親にさせて貰った感謝の顕れであり、社会的責任です。