私は生育上、いろんな暴力を受けてきました。中年以降の女性は、かつて辛い状況にあったのではないでしょうか。
私は感情のコントロールが下手な両親のもとでそだちました。子どもは親の機嫌を取らないと生きていけないのは本能的に知っているので、親の機嫌を取る子どもだったように思います。
どれだけ人権を損害されても、辛い目に遭っても、迎合してきました。
世間もそうでした。男女雇用機会均等法で総合職に就いても昇格が違うし、22時以降オフィスに残っていたら、警備員のオジサンに(そうはいっても早く帰ってくれ)と明言され、諦めて、翌朝、始発で会社に戻って仕事をした事も何度もあります。
今でこそ、色んなストレスで海馬が委縮して、自律神経制御や、思考の緻密さを保てなくなる事が発見されてきましたが、当時は「気力でどうにかしろ」が当り前でした。
今になって、PTSDに襲われ、難治性の疾患を抱える事になるとは・・・それでも、自分を責めるのです。当時の『そんなもの、頑張りが足りないからだ!』という言葉が基準になっています。
自分を護ってくれるはずの両親に理解されなかった思春期までの私の人生の価値観は、全て親のもので塗り替えられました。親こそが正しい。親の言うとおりにすることが親孝行である。親を立てる。抜いてはイケナイ。でも世間様に自慢できるくらいの有能な人間になれ。
・・・私は崩壊したのだと思います。それでも、まだ今でも、疾患に倒れた自分を不甲斐ないと存在価値が無いと、責めます。
元の配偶者と別居したのが七月。バタバタして、家庭裁判所で解決せず、地方裁判所に申し立てをして、それを認められなかった先方が警察や裁判所の勧告を無視して、乱暴な行動を起こしたのが、10月から11月。
この時期になると、どうにも調子が悪くなるというか、フラッシュバックが頻繁になりました。
10年を過ぎた頃から、それはだんだん治まって来たのですが、この記事を読むと、過覚醒というのがあるではないですか・・・知りませんでした。てっきり発達障害の感覚過敏だと思っていました。
違ったんですね・・・過覚醒なんですね。そりゃ睡眠不足になるし、音に敏感になるし、変な話ですが、神経を抜いて処置した歯が一昨日くらいからずっと痛むんです。
・・・愕然。
徐々によくなっていると思っていました・・・
勿論離婚してから、言いよって来た人が皆無だったのではありません。私は初潮の時に親に悲しい対応をされたので、自分の女性性に対して嫌悪感を持っています。にも関わらず、脳下垂体へのストレスで潜在性高プロラクチン血症という疾患があるそうで、乳房が異常に大きく発達しました。実家の隣のおばさんは、子どもを産んだあと、ずっと一日に何リットルも母乳が出て止まらなくて、調べたら、良性だけど脳腫瘍が見つかったらしいのです。
でも、巷の男性は、そんな事関係なく、電車に乗れば痴漢をしてきました。怖くて、折角親が、特急が停まる駅に家を建てたのに、各駅停車で通勤しました。
振り返ると、幼児期から悪戯をされたようにも思います。
元の配偶者もDVをする人ですから、自分だけのタイミングで、自分だけの欲望でそうして来ました。卵管をしばっているのは、避妊に協力的でなく、浮気をした時は、相手の女性に妊娠させてしまうような人でした。
子ども達には罪は無いので、育てていますし、この事は一切言っていませんが、そういういきさつです。
ですので、これまで言いよって来た男性でも、そっちの事を優先した人が割といました。私は自分がオカシイのだと、変わっているのだと思っているので、普通になれないのは、よくない事で、疎外される事なんだ、と思っていましたから、やっぱりどこかで怖かったし、迎合したのだと思います。
先方の思う通りに応えられないと侮蔑されました。実は相手が異性として受け容れられなかったと思い込んだだめに起こした乱暴な言動だったのだと思いますが、事実として怖い口調で大声で、汚い言葉を使って、矢継ぎ早に畳みこまれるように言われるので、私は自分がやっぱり欠陥人間なんだと思って、やっぱりそのうち迎合してしまっていました。
これ以上は書かなくても理解してもらえると思います。
副次的な性的被害に遭っている女性は、婚姻状態にある女性でもいるとの事です。気付いていないというか、気付いても生活があるとか、女性がひとりで生きていける社会基盤はありませんから。
そんなこんなで・・・私は、2番めにある、感覚麻痺のような状況に移行していたのは何となく気付いていましたが、この音に敏感とか睡眠不足さえ、発達障害ではなく、PTSDの範疇なのだとしたら、やはり人生をかけて治療せざるを得ないのだ、と、認知したところです。
実は先ほど「もうとてもじゃないけど正気でいられない」と思ったので、久しぶりに安定剤を二錠息子に確認してもらって頓服しました。
相手の意見に迎合して、投薬されていた薬を医師にナイショで止めちゃった事もあります。冷静に合理的に学術的に落ち着いて考えたら、最先端の薬学の知識の無いその人に言われても、裏でアカンベーして普通に服用してればよかったのですけれど、ずっと人生の先輩として尊敬していた人でもあったので、嫌われたくなくて迎合してしまっていました。
どうにも身体がおかしくなって、主治医にゴメンナサイ、助けて下さい、しました。主治医は鎮かに私に厳しい指導をされました。その方が重みを感じ、命に直結する事に対して専門家以外の意見に迎合することは、とんでもない自分に対する責任を放棄している事だともお叱りを受けました。
ただお叱りを受けただけではありません。私の性格ももうご存知ですから、自分より先方を優先する事も知っておられます。だから、ほっぽどの事情があっての事だと思いますから、もし、それで本当に辛いことがあって、押し殺してしまっている事で、病気が悪くなるなら、主治医としては見過ごす事は出来ないので、警察に告訴する時も、全面的に協力すると約束してくださいました。
・・・結局、想いが捨てきれないで(助けて貰った時期があったのは事実ですから)、その人を警察に言いに行くとかはしていません・・・とっても苦しいです。時間が癒してくれる事を祷って信じていますが・・・
でも、やっぱり、この、過覚醒を知ってしまった以上、知らなかった事には出来ないので、明日緊急で診察飛びこみます。(もし明後日のイベント欠席の場合はごめんなさい・・・)
以下、理解した元です。
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早期治療が大切! PTSDになる原因と主な症状3つ
こんにちは、スチューデントドクターのひでくらてすです。
『PTSD/Post Traumatic..........≪続きを読む≫
☆リンク先から引用します。☆
『PTSD/Post Traumatic Stress Disorder』は日本語では『外傷後ストレス障害』と訳します。大きな自然災害や事故などが起きたときにしばしば問題となる精神疾患です。みなさんも一度は聞かれたことがあるかもしれません。
精神疾患は、ケガや他の臓器疾患などと異なり、周囲に理解されにくい場合が多々あります。これを機に、少しでもこういった病気の理解を深めていただければと思います。
●PTSDとは?
PTSDは“極めて強烈なストレス”を経験した後に、数週~数か月の潜伏期間を経て発症します。
PTSDの原因として以下のようなものが知られています。
・自然災害
・事故
・性的暴行
・拷問
・戦闘体験
・監禁、人質
・虐待
・災害救援活動中のトラウマ体験
など。
●PTSDの主な症状は?
PTSDの主な症状は再体験、回避・精神麻痺、過覚醒の3つです。
●(1)再体験
いわゆる“フラッシュバック”です。思い出したくもないのに、そのときに引き戻されたかのような感覚がよみがえってくることを言います。
●(2)回避・精神麻痺
“回避”とは出来事が起きた場所や出来事を思い出させるようなものを避けることです。また、“精神麻痺”とは愛情や幸福感といった感情が薄まったように感じることです。
●(3)過覚醒
寝付きが悪い、集中力の低下、物音などに過剰に反応します。
●PTSDの治療
PTSDの治療は早期に介入することが重要になります。PTSDが、“異常な事態に対する正常な反応である”ことを患者が認識することや日常の生活リズムを取り戻すことが大切です。
睡眠不足などがある場合は睡眠薬を使用したり、時には薬物療法や認知行動療法といった治療も用いられます。
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PTSDは事故や災害など、企図せずして誰にでも起こる可能性があります。患者自身が病気を自覚することも重要ですが、それ以上に社会復帰や元の生活を取り戻すために家族や周囲の理解がとても大切です。
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幸い子ども達は理解してくれているので、通院する事は可能なので、明日、行って来ます。
振り出しに戻る??? のかなあ・・・
親の事を悪く言いたくない。けれど、そんな事を子供にさせる???という事をしたのは事実なので。
親の顔があるので、ずっと誰にも言わなかった。親の評判が下がる事は、決して許されなかった。たとえそれが事実であっても。
私は、そうして育ちました。
ですから、よくカウンセラーさんが、自責する事はしなくてもいいんですよ。辛い想いをしたんだから、親が今でも恐怖だったり、PTSDの原因になったりする事があってもいいんですよ、って捉えて、まずは精神崩壊までは防ごうと思います。
どうして、PTSDになんて、なっちゃんだろう・・・とも、つい思っちゃうんです。
大学にね、保健管理センターってどこでもあると思うんですが、正直に問診票を書いたら、すぐ大学の精神科の先生から、凄い勢いでお呼び出しがかかります。
なかには、『本当にこれまでその状態で来たの???大丈夫???』って。
そりゃ、摂食障害にもなるし、おそらく統合失調の気質もゼロじゃないし。
まさにサバイバーなのかもしれません。
ちょっとお薬効いていたので、内容が調停できていなくて、いつもの制御よりは書いていると思います。
だから、もう、お人好しというか、自分を奉仕にしか使わない、犠牲にしか使わない生き方をしがちだと認知して自覚して、今一度主治医にはお手数ですが、初心に戻って診察の方向性を伺ってこようと思います。
物ごころついた時から、ずっと私は自殺したかったんです。父親にずっと暴力振るわれてきたから。母には精神的に追い詰められて来たから。弟とは三つ違うから、もう4,5歳で彼をかばってきた。だから、その時から、弟を養う力が無い自分を責めてた。
最後まで読んでくださって有難うございます。
こんな私を再生させてやろう!って思って下さった方、お願いです。助けてください。
私が廃人になると、子ども達がとっても不安になります。私は子ども達を育てるためだけに生きて来ました。何の罪もない子ども達だから。逢いたかったのは私だったから。それでも、最近思うんです。娘と息子がいなかったら、私はとうに・・・だったと思います。助けに生まれて来てくれたのかもしれない!!!
数年前に突然自ら旅立ってしまった従兄は、ともすれば私だったのかもしれないんです。まさに紙一重。だから、とても悲しかったです。同じ疾患にかかりながら、何のアドバイスもフォローも出来なかった。従兄は既に家庭を持っていたし、それこそ厳格な昔気質の義伯父が顕在でしたから、義理の末の弟の娘にあたる、ひっこよな姪っ子の意見になんて、耳を貸すわけもなく・・・本当に理不尽と言うか、なんというか、錯乱して泣いた自分の誕生日でした。(従兄は私の誕生日に変わった姿で発見されました。)
でも、一方で、私は既にシングルマザーだった事から、私の亡き後、誰にも子ども達を任せられなので、それをすることだえ、赦されなかった。よく病床にある人が、身体が不自由で、自ら命を絶つことを諦めないとイケナイそれに酷似していると思います。だから、どこかで良くない事とは解っていても、どこかで従兄を羨ましくも思いました。切り札を使えた事に。娘も二年近く前に、同じことをして旅立とうと思いました。そりゃ必死で腰が抜けそうなところだけど、他に頼る人がいないから、心をフリーズして、ERに運びました。理解の無い医師が酷い事を言っても、敢えて土下座して娘の命を懇願しました。それくらいしか出来ませんでした。非力です。本当に非力です。なのに、この世に子ども達を自分が逢いたかったから、という理由で迎えた。なんという力不足で頭の悪い私なんだろう・・・そう痛感しました。
こんな私を、寂しいとか、オカシイとか、可哀相という人がいます。とてもショックでした。同じ事が起こった事も無いし、同じ境遇にもなった事が無いし、何より精神疾患への知識や理解がないのに、どうして、いざとなったら、身体をはって助けてくれる人でもないのに、言われなきゃならないの、って当時は、本当に悲しかったです。
でも、もう、今は、どうぞおっしゃってください、ってカンジです。事情があって、親元で生活できなかった、児童養護施設で育った子ども達にも、同じ様に寂しいでしょう?とか、オカシイでしょう?とか、可哀相、とか、同じことを想ったり、わざわざ本人に言うのでしょうか。見てみたいです。
私は、言われ事実を受け留められませんでいた。それ以前にもう飛んでも無い事が起こっていたので、ただ必死だっただけで、それが人からどう映るかなんて、考える余裕なんて、寸分もありませんでした。それもあってショックだったのだと思いますが、今振り返ると、私の事を想って言ったとは思えません。ショックを浴びせて何をしたかったのでしょうか・・・
どれもこれも立派な学識も学びも理解も無い、ただ傷つけるだけの自分だけが正しいとする、唯我独尊な私へのアプローチだと思います。私は信用した人には、隠さず言っています。さも理解があるように言っていたのを伺って。でも、実際には、技法がないせいか、知識がないせいか、最後には、辛辣な言葉をその人から喰らいます。私は見る目が無かったんですね・・・。
その事実に対しては私は悲しい人間かもしれません。でも、ハナから人を疑う人間にはなりたくないと思っている部分もあります。私がそうされたらとっても辛いから。いくら頑張っても何しても、信用されなかった生育を持っているので、人さまにこんな辛い心情になっていただきたくなかった・・・んだと思います。
そうしてみつけた、偶然の記事。でも、このような感覚になれるまでに、今までかかりました。その人の言い方がとても影響したのだと思いますが、そんな事をされても、「そう言わすに至った、私が問題なんだ・・・」と思っていた部分があります。そのくらい幼いころから思春期に受けた言動の影響は計り知れないんですね・・・。三つ子の魂とはよく言ったもので、それまでにどう育てられるかは、どんな言動を受けるかは、とても重要だと思いました。
一方で、別件で、ネットサーフィンをしていて、アメブロのTELL MEという相談コーナーを見つけました。かつて私が悩み、逆切れの勢いが凄いから、つい自責してしまっている女性が悩んで混乱して、皆さんに相談しているトピを偶然に発見したんです。そこでは、みなさんがトピ主さんに、『それって向こうの逆ねじだから、トピさんが悪いんじゃないよ』という声が多かったので、「え。そうなの?」って思いました。
けれど、相談の回答が来るまで、トピ主さんも私と同じように自責していたようなので、陥りやすい事なのかもしれないと思いました。
そんな時は頑なにならず、どれだけ色んな投資(時間とか費用とか)をしてきたとしても、周りの良識ある人の声には、耳を貸そうと思いました。有難いと思いました。
そうして、ちょっとずつちょっとずつ、回復しているとは思うのですが、やはり辛すぎる言動を受けた時期が来ると、どうしてもPTSDの症状が出て来るんですね・・・
生きている間、理解して、人間というモノを生理学的医学的にしっかり主治医に師事して、自分を自分でも救えるようになりたいです・・・自分より先に人さまな人なんですが、余りに放置してきたために、難治性の疾患になってしまったので、もう、そろそろ、人さまと同じくらいには、自分を大切にしなくては、これからがない、と思いました。
ホントに長文になりました。私は国語が全く出来なかったので、今では、書いた言葉の通りに意図が伝わっているか、とても神経を使います。
学術的には、語彙が多い方が、少ないよりは、正確に伝わるという事が実証されているので、それに則って、語彙を増やしたり、出来るだけ文法に気をつけて、きめ細やかにブログを書くように心がけています。
それは大学院という言葉を使う事を生業とする集団で修業させていただいた専門的な事です。
私は事実としてそこで修業して、身につけてしまったので、それが私のスタンダードになっています。
ですので、言葉からイメージしていただくものは、繊細で写真のように想像できるかと思いますし、そうであっていただけると、ちょっとは言葉を使う事が出来るようになったかもしれない・・・と小学生の頃に周りに本当に叱られた語彙の無さをどうにか克服できたのかもしれない、と自分にOKを出してあげられます。
そんなこんなが、私なんです。すいません・・・私は私にしかなれないもので・・・
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