なんだか、ピグライフ、こうしてみています♪
「一気に植える」機能が出来てから、そちらを使っていました。
パソコンユーザなので、(ドラッグして一気に植えられたらいいのにな~・・・)って思っちゃったので、この機能が出来た時は、「やっぱりニーズがあるんじゃん♪」って思っていました。
そのうち、畑が広くなって、クエストの残りが出て来て(←植え過ぎ。)そうしてクエストの終わりに「50個までお掃除機能」とか追加になって。
機能部品(ちょっとしたプログラム=機能の事)が次から次へと増えて行って。アプリの乱立みたいなもんですよね。
で、ふ、と思うんです。「確かに欲しいと思ったけれど、本当にそこまで欲しかったのか!?」って。
これ、私の特性。どなたもそうだと思うんですけれど、その人に依って、「過ぎたるは及ばざるが如し」領分ってあると思うんです。
お庭広くして、いっぱい雑貨揃えて、で、このバーチャルお庭に関しては、増える一方(単調増加と言います。懐かしいですね。対数関数とか指数関数などの右上に傾いている特徴しかない状態やそれを表現したグラフを指します)
なんだか、そう思ったら、自分の器以上の事をしている気がしたり、こっちに傾倒している場合じゃないんじゃないか、と思ったりして、
まずは、ゆ~っくり、にしようと、ひとつひとつの作業を噛みしめようと、まあ言えばアナログ的機能に戻しました。
私はリケジョですが、元々理学部出身なので、実体を伴いません。
脳裏でイメージし、数式や言葉で、秩序を組み立てて行きます。
数式や言葉をアウトプットしたら、それを受け取った人が、また脳裏で、元のイメージを復元してくれます。
なので、たとえば、ノーベル物理学賞を受賞された、今はアメリカ国籍の南部先生は、理論が確立されてから、実体を検証されるまでに証明器具の開発も含めて50年もかかってしまったので、ご高齢になってからの受賞となりました。
それでも解っている人は解っていらっしゃるようで、「生きているうちに受賞できるとは思わなかった」と。南部先生ご本人も、ひょうひょう、というか、淡々と言うか、粛々というか、別段いつもと変わらないスタンスで過ごしていらっしゃるし、
日本でも取材が遠いからか、ご高齢だからかそうっとして差し上げて、報道合戦とか、出身したり、関わったりした場所の取材攻勢はありません。
そう思うと、変な国ですね、ニッポンって。あ~、騒がしい・・・
いつから、国民性に、綽約が無くなったんでしょうね・・・
私が専攻していたのは、古典数学なので、紙と鉛筆があれば、出来るんです。
そこから、皆さんが、脳裏にイメージを作ってくれますから。
それが間違いでないように、質疑応答があるだけで、それで修正されたら、皆さんほぼ一緒のイメージが出来ます。
それで「あなたが言いたいことはこういう事なのね。ここに焦点をあてて、これをこうしたら、よりよくなる、と言いたいのね。」と、イメージしてくれます。
私が沢山書くのは、こうした数式からイメージする経験が無い人へ想いを理解していただくのに、(なんとなく、で、いいです)どうしたらいいか、と思っての事です。
絵で描けばいいのですけれど、そうするとイメージが固定化されるのもあるし、何より自分で想像する力が養えないからです。
で、言葉を使うのですが、最近は言葉に興味をもって、古来の美しい言葉の存在すら知られていないので、どうにも伝わらない。
それをどうにかしょうと思って躍起になっていた部分も無きにしも非ず、です。
私とて、本来、自分に適していないそれらを、生きてきた上で、知らずに身につけてしまっていると思います。
それを、ぽろん、ぽろん、卒業するためにも、ひとつ、ひとつ、植えるという作業を通じて、代替しているのかもしれませんね。
まさに、代替医療行為。でも、これは医療と言えば医療だけど、正しい医療という言葉の意味としては、狭義では使ってはイケナイので、認知行動療法という正規の医学用語にそれこそ代替(ここでは書き替え)しておきます。
なおかしこ。
「一気に植える」機能が出来てから、そちらを使っていました。
パソコンユーザなので、(ドラッグして一気に植えられたらいいのにな~・・・)って思っちゃったので、この機能が出来た時は、「やっぱりニーズがあるんじゃん♪」って思っていました。
そのうち、畑が広くなって、クエストの残りが出て来て(←植え過ぎ。)そうしてクエストの終わりに「50個までお掃除機能」とか追加になって。
機能部品(ちょっとしたプログラム=機能の事)が次から次へと増えて行って。アプリの乱立みたいなもんですよね。
で、ふ、と思うんです。「確かに欲しいと思ったけれど、本当にそこまで欲しかったのか!?」って。
これ、私の特性。どなたもそうだと思うんですけれど、その人に依って、「過ぎたるは及ばざるが如し」領分ってあると思うんです。
お庭広くして、いっぱい雑貨揃えて、で、このバーチャルお庭に関しては、増える一方(単調増加と言います。懐かしいですね。対数関数とか指数関数などの右上に傾いている特徴しかない状態やそれを表現したグラフを指します)
なんだか、そう思ったら、自分の器以上の事をしている気がしたり、こっちに傾倒している場合じゃないんじゃないか、と思ったりして、
まずは、ゆ~っくり、にしようと、ひとつひとつの作業を噛みしめようと、まあ言えばアナログ的機能に戻しました。
私はリケジョですが、元々理学部出身なので、実体を伴いません。
脳裏でイメージし、数式や言葉で、秩序を組み立てて行きます。
数式や言葉をアウトプットしたら、それを受け取った人が、また脳裏で、元のイメージを復元してくれます。
なので、たとえば、ノーベル物理学賞を受賞された、今はアメリカ国籍の南部先生は、理論が確立されてから、実体を検証されるまでに証明器具の開発も含めて50年もかかってしまったので、ご高齢になってからの受賞となりました。
それでも解っている人は解っていらっしゃるようで、「生きているうちに受賞できるとは思わなかった」と。南部先生ご本人も、ひょうひょう、というか、淡々と言うか、粛々というか、別段いつもと変わらないスタンスで過ごしていらっしゃるし、
日本でも取材が遠いからか、ご高齢だからかそうっとして差し上げて、報道合戦とか、出身したり、関わったりした場所の取材攻勢はありません。
そう思うと、変な国ですね、ニッポンって。あ~、騒がしい・・・
いつから、国民性に、綽約が無くなったんでしょうね・・・
私が専攻していたのは、古典数学なので、紙と鉛筆があれば、出来るんです。
そこから、皆さんが、脳裏にイメージを作ってくれますから。
それが間違いでないように、質疑応答があるだけで、それで修正されたら、皆さんほぼ一緒のイメージが出来ます。
それで「あなたが言いたいことはこういう事なのね。ここに焦点をあてて、これをこうしたら、よりよくなる、と言いたいのね。」と、イメージしてくれます。
私が沢山書くのは、こうした数式からイメージする経験が無い人へ想いを理解していただくのに、(なんとなく、で、いいです)どうしたらいいか、と思っての事です。
絵で描けばいいのですけれど、そうするとイメージが固定化されるのもあるし、何より自分で想像する力が養えないからです。
で、言葉を使うのですが、最近は言葉に興味をもって、古来の美しい言葉の存在すら知られていないので、どうにも伝わらない。
それをどうにかしょうと思って躍起になっていた部分も無きにしも非ず、です。
私とて、本来、自分に適していないそれらを、生きてきた上で、知らずに身につけてしまっていると思います。
それを、ぽろん、ぽろん、卒業するためにも、ひとつ、ひとつ、植えるという作業を通じて、代替しているのかもしれませんね。
まさに、代替医療行為。でも、これは医療と言えば医療だけど、正しい医療という言葉の意味としては、狭義では使ってはイケナイので、認知行動療法という正規の医学用語にそれこそ代替(ここでは書き替え)しておきます。
なおかしこ。