結構しみじみな時に使いもします。
伯父の話を書きました。他人事とは思えませんでした。
何かにつけ親の理想やタイミングで無かった時に、親は驚き、
色んなスラングを浴びせてくれました。
今でも心の傷になってます
伯父は生家に居辛かったたのだと思います。
長兄でありながらかなりの引っ込み思案だったので、
祖父の判断で家族から離されてひっそりと暮らし始めました。
跡取りは次男になったのですが、私の母を含め姉が数人いたので、次男に当たる叔父も大変そうでした。
この様な家族関係を長男と次男に挟まれた伯母と母は、何かを口にする度に、
ある事ない事、支離滅裂で、祖父の配慮であるのに『あんなもん勝手に出ていった』と言います。
私も亡き父の配慮で新築の実家には帰りませんでした。いえ、構わないと言われても帰れませんでした。
それまで人様が母子家庭だったり貧困だったり外国人だったりすると、スラングでその人そのものや、生き方を侮蔑するところがあったので、
私はずっと前から居場所は無いだろう、と、解っていました。
それでも民間の施設が無かったし急な出張だったので、母に預ける事が数回あったのですが、
私の居ない間に子ども達に『ママは勝手に出ていったのに、おばあちゃんは何でこんな事せんなんの
』と、
ずっと不機嫌だったそうです。
伯父の話があった時に、タイミングだと思い、『いくらお父さんが遺した立派な家で部屋が空いていても、私は勝手をして志半ばで病に倒れたから、会わせる顔が無いとずっと今でも足がすくんで帰れない。』と、
万感の想いを伝えました。
そうです。私が博士号に拘ったのは、
命にかえても獲得しないと、敷居が高すぎて、母の刹那的直感無秩序偏見から来る辛すぎる言動がおさまらず、
もし私に何かあって子ども達を預けたとしても、何をさかねじ的に言われるか解らない…
いいえ、こんな具体的な事より、
どんな親でも子どもにとっては大切で大好きな親であるなら、
☆私の事実がどうであれ孫には辛い事である事、
☆そのような事をする母は私には辛く映る事
たった、この二つを大切にしてくれたら、
それだけでいいんです。
もしかしたら、最期まで心を閉ざした伯父は、息子がいない隙に、叔父が行く事が解っていたかのように、
そうっと静かに生きた痕跡を消したのかもしれません。
どんな形であれ、伯父なりの長男の形が保たれ、他のきょうだいに舐められてしまうような事がなく、それこそあるがままの尊厳が保たれていたら、
…
考えても仕方の無い事だけれど考えさせられます。
そんな伯父も父の葬儀には来てくれた。
有り難いね、とぉちゃん。
とぉちゃんは、心に傷を追って秘めた人が惹き付けられる人だったんだね…。
どんな事情の人にも優しかったね。
それで非難されたんだよね。
変だよね。
私は…今はとぉちゃん似で良かったと沁々思うよ
いつも言ってたよね、
『もぅ、言うたりなや…』って。
そうして酔って帰ってきた時は最後に言ってたよね。
『ええか。最後の最後、逃げ道は置いたるんやで。』って。
介抱していた私だけがフンフンと聞いていた言葉があるんじゃないのかなぁ…
あの人は確かに、命を、心を見てた。人間を見てた。
なかなかやるやん、オッサン
照れ臭いから一回しかブログにアップせぇへんで(笑)
またいつか、サイン送ってな~
ってか、困難な時ほど深層から出てくるわ。
しみじみ(苦笑)←ハズカシ~☆
伯父の話を書きました。他人事とは思えませんでした。
何かにつけ親の理想やタイミングで無かった時に、親は驚き、
色んなスラングを浴びせてくれました。
今でも心の傷になってます

伯父は生家に居辛かったたのだと思います。
長兄でありながらかなりの引っ込み思案だったので、
祖父の判断で家族から離されてひっそりと暮らし始めました。
跡取りは次男になったのですが、私の母を含め姉が数人いたので、次男に当たる叔父も大変そうでした。
この様な家族関係を長男と次男に挟まれた伯母と母は、何かを口にする度に、
ある事ない事、支離滅裂で、祖父の配慮であるのに『あんなもん勝手に出ていった』と言います。
私も亡き父の配慮で新築の実家には帰りませんでした。いえ、構わないと言われても帰れませんでした。
それまで人様が母子家庭だったり貧困だったり外国人だったりすると、スラングでその人そのものや、生き方を侮蔑するところがあったので、
私はずっと前から居場所は無いだろう、と、解っていました。
それでも民間の施設が無かったし急な出張だったので、母に預ける事が数回あったのですが、
私の居ない間に子ども達に『ママは勝手に出ていったのに、おばあちゃんは何でこんな事せんなんの
』と、ずっと不機嫌だったそうです。
伯父の話があった時に、タイミングだと思い、『いくらお父さんが遺した立派な家で部屋が空いていても、私は勝手をして志半ばで病に倒れたから、会わせる顔が無いとずっと今でも足がすくんで帰れない。』と、
万感の想いを伝えました。
そうです。私が博士号に拘ったのは、
命にかえても獲得しないと、敷居が高すぎて、母の刹那的直感無秩序偏見から来る辛すぎる言動がおさまらず、
もし私に何かあって子ども達を預けたとしても、何をさかねじ的に言われるか解らない…
いいえ、こんな具体的な事より、
どんな親でも子どもにとっては大切で大好きな親であるなら、
☆私の事実がどうであれ孫には辛い事である事、
☆そのような事をする母は私には辛く映る事
たった、この二つを大切にしてくれたら、
それだけでいいんです。
もしかしたら、最期まで心を閉ざした伯父は、息子がいない隙に、叔父が行く事が解っていたかのように、
そうっと静かに生きた痕跡を消したのかもしれません。
どんな形であれ、伯父なりの長男の形が保たれ、他のきょうだいに舐められてしまうような事がなく、それこそあるがままの尊厳が保たれていたら、
…
考えても仕方の無い事だけれど考えさせられます。
そんな伯父も父の葬儀には来てくれた。
有り難いね、とぉちゃん。
とぉちゃんは、心に傷を追って秘めた人が惹き付けられる人だったんだね…。
どんな事情の人にも優しかったね。
それで非難されたんだよね。
変だよね。
私は…今はとぉちゃん似で良かったと沁々思うよ

いつも言ってたよね、
『もぅ、言うたりなや…』って。
そうして酔って帰ってきた時は最後に言ってたよね。
『ええか。最後の最後、逃げ道は置いたるんやで。』って。
介抱していた私だけがフンフンと聞いていた言葉があるんじゃないのかなぁ…
あの人は確かに、命を、心を見てた。人間を見てた。
なかなかやるやん、オッサン

照れ臭いから一回しかブログにアップせぇへんで(笑)
またいつか、サイン送ってな~
ってか、困難な時ほど深層から出てくるわ。しみじみ(苦笑)←ハズカシ~☆