ミケさんがお庭にケーキを下さいました♪
はい、すっかり、カオスな(ネイティブ的にはケオスという発音らしいです♪)お庭になってしまっちゃってます☆
私自身がCHAOSなんです~♪
ひゃっほいヾ(@^(∞)^@)ノ
ちょっとずつ無理してでも?元気出してみたら、
元気出るかな~、って、思って。
そう、やっと、やっと、ようやく、そいういうモードになれてきました。
楽しいから笑うんじゃなくて、笑うと楽しくなるよ、とよく言われます。
そぉ~んな、簡単な事じゃないんです。
そぉ~んな、簡単な事さえ出来ないくらい重篤なんです。
ただ、ただ、そんな時は、時間をかけるしかないんです。
何年も、何年も。
思うに、笑うと楽しくなるよ、という人は、そんな苦しい状態が何年も続く事実に、時間的に堪えられないから、
御自身が早く楽になりたいと、しかも精進せずに早く楽になりたいと、
だから、その上、大変な人に対して、リクエストをするのです。
なんとも酷い話だと思いませんか?
そのようなアプローチが今の心理療法のメインなら、私は異論を唱えます。
そうすることで、自分から切り離すと、今のようにやっと、
次の段階である、
ちょっとずつ無理してでも?元気出してみたら、
元気出るかな~、って、思って。
にシフトできるような気がしました。
勉強しようとしている子どもより前に、親が叱責したら、
やる気失せちゃいますよね。
そんな簡単な事も忘れているなんて。
同じことを繰り返すなんて。
本人が頭を打って、「こりゃ、このままでは、よくないな・・・」が満ちて、
そうして初めて身体が動くものです。
理想を強く追いかけろ、といいつつ、家族想いであれ、というのは、
今の世では、矛盾しているので、両方をしようとすると、
身体や心を分けないと出来ないのです。
そんな事を押し付けておいて、優しい病院になった人は、
それでもなお、カウンセラーや医者がうまく指導した、というふうに、
持って行っている事に、気付かない人のなんと多い事か。
そうして、あたかも「可哀相」やら「腫れものに障る」やら、
上から目線を保っています。
障害者の方が、私は健常者より、芯が強いと思いますけれどね。
今日は、保健所の人や、社会保険庁の人に、とっても親切にしていただきました。
まともに歩けなかったので、息子が学校の提出物を後回しにして、引率してくれました。
先ずは家族の命を想う人に育ってくれました。
有難いです♪
彼は、出世や、優秀、というモノサシでみると、とっても遅いです。
けれど、それは、そんな事に関心を持たず、それよりも、
家族が身体も心も健やかで在って欲しいと、
願って動く人です。
本当に、そんな心の美しい人です。
生まれて来てくれてありがとう、って思います。
娘も、そんな姿に嫉妬していたと思いますが、ここに来て、
回り道して、ようやく、耳を傾けられるようになってきました。
根は優しい子です。とっても思いやりのある子です。
ずっと、周りが、それに依存しているくせに、上に立とうとしたのです。
親の経済力や権力などを後ろ盾にして。
そのような子たちと距離を置くのに、時間がかかったのです。
去っていかれるという事実は辛い事です。折角生まれたのですから。
でも、見抜けてきたと思いますよ。
利己的な人間と、対等にコミュニケーションをとってくれる人間との違いを。
末筆ですが、こちらからは、何も仕掛けませんよ。
我が家の気質は至って、温厚です。
その家計の人間を、心底いからせたり、御縁を失くすのですから、
よほどの事を、御自身を見直す事なく、し続けた結果なのでしょうね。
1年や2年なんかでは結論は出しません。
10年くらいはじっくり視ます。
それでも、改善がみられない場合は、仕方が無いので、
『今回も、こちらが変わるのか・・・』と思いながら、
人生という荒波を航海し続けるみたいなもんです。
・・・というくらいになれたのは、
このところ、太くなってきた御縁の皆様の御蔭です。
有難うございます。
あるんですよ、共時性、って。信じてないなんて、一度も言っていません。
ただ、誰にとってのそれなのかは、もっとしっかり見ないと判断できないと考えています。
中庸といいますか、双方にとって、双方が「共時性」と認知できるからこそ、
双方が幸せなのだと思います。
片方だけ、つまり、一方的なのは、私はいつしか破綻すると思っています。
そのような人間関係はいつか崩壊すると。
これは経験則ですけれどね。
片方だけが疲弊していく関係だからです。
シンプルと複雑と。複眼的思考、と、一般的に言われている事です。
これでも、結構考えて生きていたりしてたりして。
ははは~о(ж>▽<)y ☆
はい、すっかり、カオスな(ネイティブ的にはケオスという発音らしいです♪)お庭になってしまっちゃってます☆
私自身がCHAOSなんです~♪
ひゃっほいヾ(@^(∞)^@)ノ
ちょっとずつ無理してでも?元気出してみたら、
元気出るかな~、って、思って。
そう、やっと、やっと、ようやく、そいういうモードになれてきました。
楽しいから笑うんじゃなくて、笑うと楽しくなるよ、とよく言われます。
そぉ~んな、簡単な事じゃないんです。
そぉ~んな、簡単な事さえ出来ないくらい重篤なんです。
ただ、ただ、そんな時は、時間をかけるしかないんです。
何年も、何年も。
思うに、笑うと楽しくなるよ、という人は、そんな苦しい状態が何年も続く事実に、時間的に堪えられないから、
御自身が早く楽になりたいと、しかも精進せずに早く楽になりたいと、
だから、その上、大変な人に対して、リクエストをするのです。
なんとも酷い話だと思いませんか?
そのようなアプローチが今の心理療法のメインなら、私は異論を唱えます。
そうすることで、自分から切り離すと、今のようにやっと、
次の段階である、
ちょっとずつ無理してでも?元気出してみたら、
元気出るかな~、って、思って。
にシフトできるような気がしました。
勉強しようとしている子どもより前に、親が叱責したら、
やる気失せちゃいますよね。
そんな簡単な事も忘れているなんて。
同じことを繰り返すなんて。
本人が頭を打って、「こりゃ、このままでは、よくないな・・・」が満ちて、
そうして初めて身体が動くものです。
理想を強く追いかけろ、といいつつ、家族想いであれ、というのは、
今の世では、矛盾しているので、両方をしようとすると、
身体や心を分けないと出来ないのです。
そんな事を押し付けておいて、優しい病院になった人は、
それでもなお、カウンセラーや医者がうまく指導した、というふうに、
持って行っている事に、気付かない人のなんと多い事か。
そうして、あたかも「可哀相」やら「腫れものに障る」やら、
上から目線を保っています。
障害者の方が、私は健常者より、芯が強いと思いますけれどね。
今日は、保健所の人や、社会保険庁の人に、とっても親切にしていただきました。
まともに歩けなかったので、息子が学校の提出物を後回しにして、引率してくれました。
先ずは家族の命を想う人に育ってくれました。
有難いです♪
彼は、出世や、優秀、というモノサシでみると、とっても遅いです。
けれど、それは、そんな事に関心を持たず、それよりも、
家族が身体も心も健やかで在って欲しいと、
願って動く人です。
本当に、そんな心の美しい人です。
生まれて来てくれてありがとう、って思います。
娘も、そんな姿に嫉妬していたと思いますが、ここに来て、
回り道して、ようやく、耳を傾けられるようになってきました。
根は優しい子です。とっても思いやりのある子です。
ずっと、周りが、それに依存しているくせに、上に立とうとしたのです。
親の経済力や権力などを後ろ盾にして。
そのような子たちと距離を置くのに、時間がかかったのです。
去っていかれるという事実は辛い事です。折角生まれたのですから。
でも、見抜けてきたと思いますよ。
利己的な人間と、対等にコミュニケーションをとってくれる人間との違いを。
末筆ですが、こちらからは、何も仕掛けませんよ。
我が家の気質は至って、温厚です。
その家計の人間を、心底いからせたり、御縁を失くすのですから、
よほどの事を、御自身を見直す事なく、し続けた結果なのでしょうね。
1年や2年なんかでは結論は出しません。
10年くらいはじっくり視ます。
それでも、改善がみられない場合は、仕方が無いので、
『今回も、こちらが変わるのか・・・』と思いながら、
人生という荒波を航海し続けるみたいなもんです。
・・・というくらいになれたのは、
このところ、太くなってきた御縁の皆様の御蔭です。
有難うございます。
あるんですよ、共時性、って。信じてないなんて、一度も言っていません。
ただ、誰にとってのそれなのかは、もっとしっかり見ないと判断できないと考えています。
中庸といいますか、双方にとって、双方が「共時性」と認知できるからこそ、
双方が幸せなのだと思います。
片方だけ、つまり、一方的なのは、私はいつしか破綻すると思っています。
そのような人間関係はいつか崩壊すると。
これは経験則ですけれどね。
片方だけが疲弊していく関係だからです。
シンプルと複雑と。複眼的思考、と、一般的に言われている事です。
これでも、結構考えて生きていたりしてたりして。
ははは~о(ж>▽<)y ☆