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~ ゆるゆる生きる ~

内容を書こうと思ったら目が行ったもので(^_^;)


いや~…極小とか、なんというか、極というものが好きでして…


高校数学で言うと線形グラフ(何次元でも可)の極とか、


大学数学ならミニマムスバンディングツリー(極小木)とかね。


つまり、最小じゃなくて極小って事です。


地球でいうと北極や南極の極、

また高校数学に戻ると極座標とかね。


人間生活でいうと、極める。

ストイックに極める、って大好きなのです~ドキドキ


だから突き詰めたりしていない、ウンウン悩んで考えていないルーチンワークの様な日常は、

生活でも研究でも苦痛です。


そして…これは書くのに、とても勇気が要るんですが…

化けの皮を被っている人は見抜けちゃいます。


三年も続けられないから飽きるのか知らないけど、ボロが出てくるんです。


そうして悲しくなる。


『私はこんな毎日毎日どんなに小さくとも多様な課題をみつけて琢磨していない一過性の虚勢を張ったり、プロモーションしていた人に一時でも心を奪われたのか』と、

自分の目利きの甘さや無さを果てしなく悔やみます。


まだまだだな、と。


今回は震災以降、いや、阪神淡路の震災以降、まだまだ傷も癒えていないうちに、他の天災や、脱線事故や、薬物事件などか矢継ぎ早に起こり、

ニュースも流す意図を明確にしないままだだ流しなため、かなりこれらに完全集合一致させるのに時間がかかってしまいました。


そのような人たちは自分が早くに許して欲しいくせに、代替行為がオカシクて、許して欲しい側が先に『もういいじゃん~、いつまでも…』と逆ギレします。


兎に角『待てない』


要するに『僕の(私の)思うままに思うように思うタイミングで無償でやってくれ。でなきゃ暴れたり傷つけたりするぞ。』って…


私はお人好し過ぎるみたいです。


今回もそんな人であったかもしふない人を、いや、かなりの確率でそうである人を信じきって、

行動と解離していたんだから、その前に気づきゃヨカッタ…しょぼん


自己嫌悪ショック!ハートブレイク

いや、両親や親せきがそんなタイプでね、そんな親でも親戚でも、親や親せきなんだから、好きになろうとしていた、っていうか、そういうそぶりを本気でしないと、乳幼児の私は生きられなかったから・・・

生きるために自分の本当の心も能力も隠すよ。親にだってね。

でも、もう、そういうの、違うかな、って。

遺されている時間、そんなに無いし。

無理強いしなくても、こころの断捨離は、機が熟したら、色んなサインをキャッチできるようだし、周りが発信してくれるみたいです。

これまで、いっぱいもがいたよ。心はとうに、こころない利己的な人に打ち砕かれていたもの。

そんな事に全く気付かないタフな人が殆どなんだね・・・。

憧れの人の中でも、そんな機微に敏感な人であると思ったんだけど、魂売っちゃったっていうか、

そもそもそんな気質があったのか、何かがあったのか、解らないけど、

私にとっては悲しい寂しい意味で変わっちゃった・・・よりによってそこだけは変わって欲しくない、ってところが変わっちゃった・・・

ううん・・・今まで隠して、隠そうと思えば隠せていたのかもね。

もう、そんな力量さえ退化したその人に、なんの魅力も無くなってしまった・・・

そう感じる自分の心が哀しい・・・悲哀だよ、全く。

清々しくなんて全く無い。後ろ髪引かれまくり。

いつまでも、どこまでも、お別れは不得意で。

でも、振り切って行くよりは、振り切られる方がまだいい。

こんな想い、人様にさせられない。

辛すぎるもの。

こころの生き死にに関わるもの。

もう、大波小波であれ、鬱病、なかなか抜けないんだ~・・・

でも、こうだから、それが至極当然なように思う。

それなら、それなりに。

どうにかこうにか、どうにかこうにか。

そうして今日も生きるのだと思う。

まだ、旅立つと堪えられないみたいだから。

子ども達が未だ育ってないから。

自分の為の人生って・・・私の場合は別に要らない。

子育て終わって、万歳!って人いるけど、私はそうは思わないし、そういう境遇でもないらしい。

そうして、それでいい。

そのなかで、どう生きるか。想像力とマネージメント力の見せ所。

そう、この苦難に見える、境遇こそが、私の人生であり、ステージなんだと思う。

そう思ったら、覚悟が決まったら、受け容れられたら、他人の芝生なんて蒼くもなんともない。

たぶん、言いたかったことは、そういう事で、

やっとなんとなくの、言葉になったのだと思う。

一年で言葉になることもあれば、何十年とかかることもある。

私は字を沢山かくから、あたかも的確で、言いたい事を表現できていると勘違いされる事が多い。

そんなわけないよ!!!!!!

一生かかっても、一言も、もしかしたら、こころにジャストフィットした言葉に出逢わないかもしれない。

でも、出逢わずにはいられない。

そうして、自分の極大の近似で表現出来たら、近似でいいから表現できたら、

「おもしろかったでした」しか書けなかった、子どもの私に、

きっと「よく頑張ったね」って、その時言えると思う。

だから、努力するんだ・・・人さまから見たら、方向がすっとこどっこいかもしれないけれど、

自分で転んで、自分の膝すりむいて、そうして身につけた言葉じゃないと私にとっては意味が無い。

・・・私に出来る事。

工事は出来ないけれど、これなら出来る。

恣意的に迎合させる事はできないけれど、言葉を引き出す努力の道具のために、言葉を覚える努力はずっと出来る。

病弱でも。

障害があっても。

命が短くても。