敢えて意識して、鎮かな独りの時間を創るよう、主治医より御提案がありました。
その前に、ここのところの私の人生の疲れ具合に先生は、
先ず『僭越ですが、感心してもしきれないくらい、本当にお母さんとして、ずっとずっとご努力をされてこられました。』と言っていただきました。
そうして、
『しかし、もう、この辺で、際限の無い御努力をされては、身体が回復しません。どうぞ、診察を受けずとも、午後になればこの病棟は鎮かになりますから、身体を精神を休めに来て下さい。』
と、
『自分に一番近い、語彙空間が休まるのでしたら、そろそろ、研究室への出入りを増やされて、専門書を読まれたりしながら、鎮かに過ごされるのが宜しいのではないでしょうか。』
という大変私の背景を熟知かつ俯瞰したご意見を賜りました。
その上で、『30分ルール:先ずは30分を意識して休憩し、何もしない事をやってみる。』に、先ずは立ちかえるよう、指導がありました。
毎日、次から次へと、お母さん業は24時間休みがありませんから、失念してしまっていました。
なので、もう一度、始めようと思いましたし、直感的に「何も考えなくなりたい・・・」と心が呟いておりましたから、合致しましたので、
素直に従えるという位置づけの意見としてよりは、長期に渡って管理されていた私は、
何をするにも許可を請う癖が残っていますから、主治医との共時性を、
お護り=安心、として、自分の心が主人公ではあるけれど、価値があり大切だけれども、脇におかせていただくものとして、
位置づけ出来ている、と認知出来ました。この事も、治療にあたって一番実は気にしていた、
『学習能力が落ちてはいないかもしれない!!!!』と思えて、幸せな事でした。
何からも学ぶ事しか出来ない私は、学びを奪われたり粗暴な言動を浴びせられたりするなど、膨大な情報量を緻密にマネジメントされた精度の高いモノ以外を宛がわれる事こそが、
大切にしてもらっていないのです。
佳いお医者さんや、指導者は、一緒に考えてくれます。もし私がワカラナイ事でもどうにか病巣をみつけ、適切な言葉とタイミングと抑揚と抽象度を調停して伝えてくれます。
間引くのも本当に洗練されたそれです。しっかりトリアージがされています。
なので、私は、やっと、安心するのだと思います。
内的にネグレクトされてきた私のトラウマは、そうして埋められていきます。
もしかしたら一生埋められない欠損したもの。それでもそこにずっと水や栄養のある土を注ぎ続けて下さる人、あるいはその手法・技術を伝達し、私が出来るまでつかずはなれず並走して下さる人、こそが、私にとっての、師匠といいますか、人間の先輩、というカンジです。
その前に、ここのところの私の人生の疲れ具合に先生は、
先ず『僭越ですが、感心してもしきれないくらい、本当にお母さんとして、ずっとずっとご努力をされてこられました。』と言っていただきました。
そうして、
『しかし、もう、この辺で、際限の無い御努力をされては、身体が回復しません。どうぞ、診察を受けずとも、午後になればこの病棟は鎮かになりますから、身体を精神を休めに来て下さい。』
と、
『自分に一番近い、語彙空間が休まるのでしたら、そろそろ、研究室への出入りを増やされて、専門書を読まれたりしながら、鎮かに過ごされるのが宜しいのではないでしょうか。』
という大変私の背景を熟知かつ俯瞰したご意見を賜りました。
その上で、『30分ルール:先ずは30分を意識して休憩し、何もしない事をやってみる。』に、先ずは立ちかえるよう、指導がありました。
毎日、次から次へと、お母さん業は24時間休みがありませんから、失念してしまっていました。
なので、もう一度、始めようと思いましたし、直感的に「何も考えなくなりたい・・・」と心が呟いておりましたから、合致しましたので、
素直に従えるという位置づけの意見としてよりは、長期に渡って管理されていた私は、
何をするにも許可を請う癖が残っていますから、主治医との共時性を、
お護り=安心、として、自分の心が主人公ではあるけれど、価値があり大切だけれども、脇におかせていただくものとして、
位置づけ出来ている、と認知出来ました。この事も、治療にあたって一番実は気にしていた、
『学習能力が落ちてはいないかもしれない!!!!』と思えて、幸せな事でした。
何からも学ぶ事しか出来ない私は、学びを奪われたり粗暴な言動を浴びせられたりするなど、膨大な情報量を緻密にマネジメントされた精度の高いモノ以外を宛がわれる事こそが、
大切にしてもらっていないのです。
佳いお医者さんや、指導者は、一緒に考えてくれます。もし私がワカラナイ事でもどうにか病巣をみつけ、適切な言葉とタイミングと抑揚と抽象度を調停して伝えてくれます。
間引くのも本当に洗練されたそれです。しっかりトリアージがされています。
なので、私は、やっと、安心するのだと思います。
内的にネグレクトされてきた私のトラウマは、そうして埋められていきます。
もしかしたら一生埋められない欠損したもの。それでもそこにずっと水や栄養のある土を注ぎ続けて下さる人、あるいはその手法・技術を伝達し、私が出来るまでつかずはなれず並走して下さる人、こそが、私にとっての、師匠といいますか、人間の先輩、というカンジです。