・・・だそうです。

今日はそれで影響があったのか、惹きつけられたのか、

今の私に必要なレスキュー的な方との御縁がありました。

やさしい、やわらかい、言葉がけもしていただきました。



自宅からは南天頂に満月を見ることが出来ました。

実は9月9日は、娘の誕生日です。

あのまま二人ともダメだったら、この日を迎えられなかった。

おととしの年末も、搬送先でダメだったら、この日を迎えられなかった。

娘は今、東京で、帝国劇場の入りを楽しみにしています。

正直、ここまで、赤ちゃんがえりする子になってしまうとは思わなかったし、

私はもう遥か小さい頃に、親に遠慮が過ぎて(あの世代の親は厳格だから^^;)、

問題行動をした事もないから、

そうして素直に(素直すぎるけど^^;)体当たりする娘がとても羨ましかったし、

混乱もしました。

けれど、もしかすると、それは親に甘えられる状況を作れたという意味でもあるなら、

ちょっとは親らしい事を孤軍奮闘で、考えながら、周りの皆さんと相互理解と、

相互協力が、出来てきたのかもしれないなぁ・・・って、

ちょっとだけ思ってもいいかな、と。

成人したんです。

こころが壊れた分、身体にケロイドで残る無数の傷跡。

彼女はそれと一緒にこれからを生きる。

生きている間は、必ず、どうにかはする。

諦めない。 それで独りでやってきました。

ちょっと、素行が悪いと、全部丸ごと投げ出して、糾弾して逃げてしまう周りしかなかった。

生きるために、自分が誰よりも学んで、勉学も世間もいっぱいいっぱい学ぶしかなかった。

そうして、それらを、子が求めた時に贈る。

加齢とともに、なかなか辛い状況が10年も続くと、もうへばってしまって、

甘えるところも吐露するところもなかったから、

私こそが人間不信になってしまって、知識や技術を独学して、それらで生きる事を支えるしかなかった。

でも、子ども達には、私の生育など、知ったこっちゃない。ホントそう思う。

生まれて来て欲しかったのは、私。

だから、来てくれただけで、感謝しないとイケナイのは私。

だけど、やっぱりとんでもなく、厳しい生活環境に在ると、

人間が一人で出来る事なんて知れているけれど、

じゃあ、甘えさせて、と、甘えていいよ、と、なっても、

もう背負っているものが相当なので、

ちょっと一部解っただけで、いきなり消える人が多い。

そうして、やっぱり、ひとりなんだと痛感する。

でも、そこで周りを羨ましがっても仕方ない。

独りで子どもを育てる覚悟が無いのに、妊娠も出産もしない。

この世に誕生させたという、一生かかっても尽くしきれない重罪を犯したという意識もある。

解らなかっただけだけど、でも、こんな世だと解っていたら、

もうちょっと頭がよかったら、いえ、うんとうんと頭がよかったら、

こんな辛い環境に子どもを連れて来ないように、という判断ができたから、

私は、本当に酷い人間だと思う。

子どもは親のおもちゃでもツールでも道具でもない。

ただ、こころが穏やかになるように。 ただ、小さな幸せを大きな幸せと感じられる人であるように。

そうして、一番は身体。

もう、あんな傷つけ方は、しないでほしい。

『うっさい!ど素人が!!!』 忘れられない。 けど、図星。

私は弁護士でもなし、救急救命士でもない。

娘を生物学的にも法学的にも、素人だから、社会的責任が取れない。

自分の無能を痛感する。

そうだよね・・・救急車の中でも、ER室の中でも、悪態付く娘になり代わって、

土下座して「お騒がせなのは重々承知しております。けれどたったひとりの娘なんです。どうか助けて下さい。」って人目憚らず懇願しました。

口うるさい医師は、腕組みをして、踏ん反りかえっていましたが、「いや、お母さんに、そうして欲しいと言っている訳じゃ無く・・・」とおっしゃっただけです。

新米の研修医さんが、黙々と、女子だから、一番細い針と、一番細い糸で縫合して下さいました。

娘は、お友達に極端に裏切られ、逃げられ、自分は気持ち悪いという存在なんだ、と、

傷ついての事でした。

そんな事ない! 生きていれば、解ってくれる人がいつか、かならず出てくる。

今は私を思春期で素直になれないかもしれないけれど、それも正常な発達や成長だから、サイレントベイビーだった私は、私が異端だと解っているから、

だから・・・いつか、そのうち、徐々に落ち着いてきてくれたらいい。

そうして、一緒に、今の社会制度を理解しよう? 昔とは変わったところがあると思うから。

そうして変わっていない所は、専門家の言葉じゃ無くて、噛み砕いて、絵を描いて説明するね。

だから、ちょっとだけ、ちょっとだけ、そんなに生き急がないで、耳を傾けて欲しい。

それまで、世間に、そうされてこなかった貴女だから、なかなか難しいとは思うけれど。

それが今の想いです。

阪神淡路大震災の時に0歳児だった娘。生きていく度ごとに人の想いまで背負う事が辛いときはこれからもあると思う。

東日本大震災の時の子もそうだよね。辛いよね。凄いモノを背負うから。

だから、シェアして、大き過ぎる想い、潰れないで、回復するまでどうにか、凌ごう。

・・・まさか、貴女が生きて、二十歳を迎えるとは思わなかった。

私も、あの時、危なかったから、今こうしているとは思わなかった。

生きることは大変だと思うけれど、地道にコツコツしている人を、ちゃんとみている、見抜く人もたくさんいるんだよ。

だから、大丈夫だから。

PS・・・お庭で心をケアして下さった、ブログ友達のダーダさん、本当に有難うございます。同じ病気を抱えながら、毎日を真摯に生きておいでのダーダさんに敬服しております。

今日は、ここには書けない凄い事がありまして、シンママでDVで逃げた人間としては、身内に頼れないので、どうにももんどりうっていたんです。

なにか直感するものがあったのかもしれませんね・・・。


月に願いを☆


おやすみなさい。