季節性の鬱。



今年は7月末くらいから、まさかな~、みたいな予感があって、



いやいや、予感なんて当たってもらっちゃあ、困る、


って思ったんですけど、



予知夢のような本当に何やら不思議な力で飛んでくるモノもあれば、



予感とは言っていますが、実はかなり緻密なデータの蓄積からの経験則による解析予測のモノも多いです。



まあ、小さい時からどうしようも無い救いようの無いアホだという扱いをされ、


もう二歳半には親の外面との落差を知ってしまい(二人とも虚勢を張って内弁慶)、


その時から心を閉ざして…というか、


『口で言う事のうち、一つだってまともに実現する観察力も分析力も計画性も実行力も無いんじゃん。』


と見抜く様な子どもでしたので(勿論言語化は出来なかったし、今でもハッキリ言ってません。)、



ことあるごとに、報告して、大層に自慢して、見て見て~、って言う事をかなり嫌悪感を持って生きています。



人間性や人間力というのは窮地に陥った時にわかるものだと考えていて、


そんな周りでしたから、


生きていくために、必然的に、観察力や分析力や実行力とはどういうもので、どうする事なのかを、


かなりの精度かつ緻密な計画立案力を自助努力でしてきた人間だと自負しています。


ですので、かなり親御さんが出来て(少なくとも私の周りではなくて)、


かなり経済的に投資してもらって、

つまり恵まれていて与えられているのに、

それでも観察力も分析力も計画性も実行力もある閾値以上に成長しない人をどうしても受け入れられない時があります。


その口で人の同情を買ったりして、実際に聴いてみれば、大した辛い人生の役割をしていない人には、


見えない分厚いシールドを形成するようです。


親やクラスメイトにもしてしまうくらいですから(10年は我慢しますけど)、


いつこの感覚が子ども達に向いてしまうのか、と思うと、


毎日毎日、いつも葛藤に葛藤を繰り返して神経ははりつめっぱなしです。


そりゃ、突然墜落するわな、って話です。


では病院に飛び込んで来ます。