怖かったけど研究会に行ってみた。
次の博士号を獲りに行く博士の子が発表してた。
素晴らしい技術を創りあげようとしている。
信じられない短いスケジュールで、査読者の厳しすぎるダメ出しに応える。
限界突破を常に求められるそれ。
知への貪欲さは彼らの存在意義。
当たり前だけどついていけない。
それでもしがみついて…
…さえ行けていないかもしれない。
技術英語も当たり前、日常会話も当たり前、知識も他の専門職の人に追随する程度には理解している事が前提。
私が何故そこにいるんだろう…
いや、他に居場所がないから。
研究室も居場所は無い。
けれども黙して嫌な顔する、集団で疎外するとか、誰かに代弁させるとかの、
一般的なやり方をしない、
というだけの事。
それだけでも有難い。
可もないけど不可も無い。
ただ、そこにいて、思った事を出来るだけ緻密に丁寧に質問して、
発想がどんなものか理解出来ているかの徹底的な説明会、質問会、相談会、学内の厳格かつ次から次へとくる試練に打ち克つために、
概念と技術と、尚且つ使用予定の日本語の確認。
まだ世の中に無い技術だから名前が無いんだ。
適切に表現しなくてはならない。過大でも過小でも宜しくないし、ついている色(趣向)があればそれを示し、兎に角全てに於て、余裕を持って学位を狙うために、
全く隙の無い緻密な研究およびそのマネジメントを自らしなくてはならない。
さしずめセルフプロデュースってとこ。
でも研究だから、やっぱり過大も過小もよろしくない。
言い過ぎはダメ、しかし成果が上がった事を謙遜し過ぎてお蔵入りさせる事もない。
確かになんとなく緩い先生と学生、先輩と後輩の関係はあるが、
それでも疑問に思った事は素直に発言する。否、発言するには、理解して、既に理解して話している発表者に、良い影響を与えなくてはイケナイから、その時出来うる限りの理解を尽くす事が必要。
そう思うとシンママとして、『同じ人間で、同じ機能的な身体をもっているにも、関わらず、頑張ろうとしていたのに、
あの時どうして、何時もの様に、風や鳥の声や直感を信じていなかったのか、
解らない

白衣ダメ、学校ダメ、学校の近くの道ダメ、子どもの登下校ダメ。…
人生を非効率に生きる幸せを知った時だった…
ちょっとストレスから、たぶんの過食(T_T)
根は深そう…(T_T)
ぼちぼち頑張りまぁ~っく

