https://pid.nhk.or.jp/pid04/RebroadNoticeInsert/Confirm.do?pkey=001-20140816-21-02799
http://www4.nhk.or.jp/P3229/

この番組は「日本の自閉症の若者と外国人作家の出会いから生まれた希望の物語。」とあるんだけど、
一般の方には、今は作家でもある東田君が5歳で自閉症と解ってからのドキュメンタリーであり、私には東田君が紡ぎ出す言葉が、琴線に触れるもので、それらが織りなす集合体である東田君のやさしい世界観に没入出来るものでした。←この感覚に共感してもらえるとかなり嬉しいです。
デイビットさんがかつて日本で英語の教師をしていた事から原著の日本語を読むことができました。
パソコンを使うと(厳密にはJIS規格のキー配列を使うと)彼は言葉を心情をアウトプットする事が出来ます。発話が独特であっても、その聴覚依存の情報を、視覚情報に代替する事により、彼がそもそももっていた豊かな感性の泉が、言葉となって沸い出てくるんです。
お母様がよく観察されいて、このキー配列に目を付けた事から、一気に彼の内在する事が表現できるようになります。
それまで自閉症の子どもを持つ親が、彼らから心を聴けないがために、意志の疎通が出来ないと、悲しく想っていた人生に、光を射した瞬間でした。
デイビットさんはさっそく英訳し、欧米の自閉症の子どもを持つ親が読めるようにしました。
「子ども達は、こんな事を想っていたんだ。一見奇異に映る行動にも意味があったんだ。」とそれまでの人生の正解と言われたレールを見直します。感動です。
東田君始め、自閉症の人たちの、一見奇異に映る行動の意味が、私には解っていました。
東田君と違ったのは、それをしたら周りがパニックを起こし、私を否定し、厄介者のように扱い、そうして障害者だから過剰に「世話しなけらばならない」「永遠に」「私の人生は無いのか」と極端に人生づけるというか、これまたレールを敷いてしまう事が解っていて、なんどかどうにか、自分を制御できる事が、ちょこっとだけ、ほんのちょこっとだけ、出来た事です。
だからちょっとだけ羨ましかったです。ほんのちょこっと制御出来たが為に、もうそれだけでクタクタなのに、他が出来ないと「どうしたの!?」「オカシイの!?」「異常者なの!?」というレッテルを貼られてしまうからです。
特徴が強く出る東田君は、ゆっくりを重宝されて、私は重宝されない・・・いいんだけれど、この境界領域にある人間の苦しさをどうしたものか、と思っています。
変なたとえですが、もののけ姫に出てくる山狗の姫サンに対する、母親代わりのモロの言葉が印象的でした。人間が自分が助かるために山狗に投げて捨てたのがサン。人間にもなれず山狗にもなれない、可哀相で悲しくて美しく愛しい子だと。
ドキッ!!!!! ってしました。
東田君の様子、また海外の自閉症の子ども達の様子、解るんです。でもそれをもし出せていたら、出てしまっていたら、特に私の両親や親せきの場合は、もっともっとパニックを起こし、私を人間でないように見ていたでしょう。
そんな子どもを持った自分は不幸だと言ったでしょう。親が期待する大学に入学できなかっただけで、人生を返せといいましたから。弟にもそうしましたから。
東田君が言っているように、自分の存在そのものが親を悲しませるだなんて到底受け入れられず、それで鬱状態になり、少しばかり行動を自分でコントロール出来る人間は自ら命を絶つ事もあるのだと思いました。
やはり「理解」だと思ったのです。発話されている言葉が本心じゃ無い。全て表現出来ているとは限らない。子どもや純粋は人は、誰かを想って嘘をつく。自分を悪い事にして全てが治まるなら、そうする。
けれど・・・それが無理している事や抑圧している自覚が無かったのですが、私の場合、遂に心身に出て来てしまいました。
そう、そもそも感受性が豊かなために、自分に向けられた優しい嘘も、それをつかせるに至ってしまった事にも、感づいてしまうからです。
やっぱり、腫れものというか、痛々しく映り、結局は、その人の世界には足が半歩分も受け要られて無い事実を知ります。悲しい事実です。
生きている限りそうですから、時にもちません。
今の私はまさにそうで、なんだか、急に、とっても疲れてしまいました。
ステレオタイプの御母さんを生きることにも疲れました。
子ども達の期待に応える事にももう無理がききません。
相手がある事は全て、相手の期待がなぜか乗って来て、解ってしまう。
けれど、相手は自覚が無い。認知が無い。
・・・それでも東田君はそれらすべてを許容する。
本当にやさしい、やさしい、やさしい、人なんだと思った。
だから、東田君のように、自分のありのままを出しても良い事を許して貰いたいです。
今から自閉します。心の深層は殻に籠ります。
自閉症じゃない人が、自閉症の事を研究しようとしても、自閉症の人が協力しなかったら解らないだろうに。それでも医者が権威を持つ。変なの。
それでも東田君は、医者がはっきりいった、「直接貴方に役立つかは不明です。けれど10年先20年先の同じ病気を持つ人の治療の可能性に生り得る可能性があります。」という台詞を受け、
あの!ドパニックを起こすMRIに入ったのです!40分もカンカン!と猛烈な音がする閉鎖空間に頭部を置いたのです。凄い負荷がかかったと思います。
けれど、睡眠薬を投薬されて撮影したんです、って。
私は・・・そうされた事が無い。飛行機だって、彼はアメリカに行くのに乗りました。長時間です。
私は自分を知らない頃に、初めてポーランドに仕事で行くことになりました。フランクフルトまでが12時間、3時間のトランジット時間を経て、1時間半かけてポーランドのクラクフに着きました。もうその時点で疲れていたのです。
帰りはフランクフルトから関空の直行便がとれなかったので、一旦フランクフルトに行き、今度はミュンヘンに行き、それから関空にまた飛んで帰りました。
欧州はとっても素敵な所です。昔からとっても繊細な様子に憧れ、行きたいのですが、飛行機がどうも負担なんです。
それ以来、国内線すら、安定剤を服用しないと無理になりました。最近は、全く乗っていません。
それを東田君は「皆さんの役に立ちますか?」で決断した。自閉症の人ってそんなもんです。
そのなんというか、良心というか、献身的な素養を、利用された、と解った時、また自動思考で、自分は無くなってしまいたい、その方が皆が幸せになる。(利用されたと知った、周りの人が傷ついたり、パニックを起こしたりするから。)と、なってしまいます。これは、とっても傷ついた、というのだと思います。
・・・ずっと紙一重で、どんなに理解者だと思っても紙一重で、どうにもすれ違っている違和感があるのは、
事実として、私が肉親から、理解されず、今に至っているからでしょう。利用されたとかという言葉もおそらく生育上身につけてしまったもの。
もう、肉親も歳を取りました。前向きな意味で、もう理解をしてもらうとは思っていません。私が物ごころついた時点でそうで、なにひとつ受け容れようと、しなかったんですから、生きている間に理解されようとは、もう思っていません。もし、それが叶ったら、奇跡が起こったんだな、という捉え方をしています。
だから、そう努力する事が、水の垂れ流しのようになるであろうことは、もうとうに解っています。ただただ疲弊してしまう事も。
私が私でありたい今日です。
もうもうもう・・・合わさないでいいですか・・・?
勘弁してください・・・自分の期待を乗せないでください。自分の期待は自分で叶えてください。
子どもの生き方に一喜一憂しないでください。それは親が子に依存している事に気付いて下さい・・・。
お願いです・・・切なるお願いです。
今日は、ホントの心に近い部分を、書けたように今は思っています。
東田君が勇気をくれました。ありがとう。東田君いてくれてありがとう。
それでも、きっと、東田君は、赦すというか受け容れるんだろうなあ・・・
やさしい、やさしい、やさしい人。
お母様が彼の感度に気付いて、東田君ならではの能力に気付き引き出してお育てになったんだね・・・
一生子育て、と捉えず、一生大好きな子どもと一緒に居れる。
そう思えたら、何かが変わってくると思います。
おぎゃあ、と生まれたのも、当り前じゃ無い。
今でも一割の妊婦さんが危ないお産です。
そうして、そのまま健常で育つ事も大変な事です。
奇跡の幾重もの繰り返しです。
当り前が当り前じゃ無い、なんて、私には当り前だっただけどな~(^^;)
あ・・・子ども達の御飯買いにいかなきゃ・・・
あ。SSRI飲み忘れ? たぶん・・・
では、行って来ます・・・
今日はひとりで行くんだよ。だから、ゆっくり、ゆっくり、行って来るね。
途中でフリーズしたら、えっと、家に帰って来るかもね。
おねーちゃん、引き受けてくれるかなあ・・・
その前に動けるかな^^;