
『こんな自分嫌だ


自分のいいところなんて自分では気づかなくて当たり前。人が喜んでくれたり、納得してくれたり、感動してくれたりする反応を見て、『あ~、こんな私でも少しは役に立てる部分がもしかしたらあるのかもしれない…』と思え、それが繰り返されていくうちに自分を自分で『まあ、いいんじゃない?』と言ってあげられる気がする。
つまり『どうすればいいかの髪の毛一本程の光明も見つからなくて苦しくて苦しくて息が出来ない

ねぇ、お願いだから息の仕方教えて

脱皮して前とは想像つかない位に変態して脱け殻が出来るくらいになりたい

お願いだから、力を貸して

…の略。
だから、ろくに話しも聴かないで、自分の現時点で持っている古いモノサシで計って、『はい、君は○○。だからこうね


…と、息子の医者にも行ってきた。
今は皆忙しいのか、人の話を聴かない。自分から発信ばかりだ。
ブログやSNSなどの発信システムを作って無料でばら蒔いてしまって、
猫も杓子も皆発信。
気に入らなければ電子システム的に相手を遮断したり、リアルのイジメ以上に徒党を組んで誰かを疎外するのなんて簡単。
つながるはずの仕組みが仲間外れに使われてしまっている。
医者の診察もそう。どこがどう苦しいのか、解る為には、先ず医者が患者に安心してもらわなきゃ話にならない。
本当の事なんて言わないし、本当の事を医者に解るように説明できる語彙もない。
だから、だから

よく出来る側が歩み寄って時間を分け与えるとこから始めないと。
よく女性が男性に実は表面的に我儘を言いつつも、自分にどれだけ時間を使ってくれるか見ている、という話を聞く。
平素の私は常識も時代と共に変わるし、個人によっても変わると考えているので、大概巷の噂は無視して生きている。
自分の目で見て考えたいから。どれだけ有能な人に憧れていても、その人の手法や経験則が私の人生にそのまま適用出来るかというと甚だ疑問と考えるのが『私という人間だ』
だから『自分が嫌い

強すぎる自信やそういう物を持っている人は自信家と呼ばれ、大概人の話しは聴いていない。我が先なのである。
忙しくても、どれだけ忙しくても、『今はこの人から目をそらしたら内面が危ない状態かもしれない』の感性が働く人は働く。
子どもが一番いい例。
相手に都合のいい自分を演じてしまう。迎合してしまう。
権力などというものを振りかざして無意識に相手を威圧し、煙たがられている事実に気づかない方が哀しくないのでしょうか…
私は辛いです。悲しいです。何とも言えない気持ちになります。
私は私のオリジナルで発信したい。
私が私である事が自己実現であり自己容認に繋がっていく気がします。
シルバーさんの皆さんもそうですよね。さみしんぼうなクセに虚勢を張って…(T_T)
男性に多いんだけどね(T_T)
私は今さらって思ってる。皆お母さんから生まれて来たんだよ。生死を分ける出産を経てるんだよ。
自分も命がけでオリジナルを生きてるんだから、人様に自分の理想を当てはめる事はしない。
だからこそ、溺れた私を少しでいいから助けて欲しい。
だから、医者や先生や看護師さん、ただの診察日だったら…
ホントに良かったのに
