自分の中に様々な自分がいるわけだけど、
かなり根幹に近い深く大きな部分がいくつも、
一気に終わりを告げようとしているのが感覚的に解る。
これを味わうのが頗る苦手で、出来れば人生で何度も味わいたくない。
世間の評価に関わらず、自分が大切にこよなく愛していた器があるとしよう。
両腕で包み込んで大切にしていたけれど、器だから(瓶の様なイメージかな…)そのうち並々と水が溜まり、抱えている事が難しくなる。
そうなったら、そうっと脇に下ろせばいいのだけれど、最近のゲリラ豪雨の様であるような劇的な変化であったなら、
限界になって、思わずその瓶を抱いていた位置から離す事になる。
地面と衝突して、大切な器(瓶)は粉々。
もともと代用のきかない器だから悲しくて仕方ない。
今は器に敢えて例えたけれど、実は人との付き合いや、アイデンティティーに関わる事なので、
いつまでもいつまでもその場に立ち尽くしてしまう…まさに覆水盆に還らず。盆そのものが無くなったんだから。
この感覚が私にはあるので、幾つもの事象が絡み合って一気に変化したりすると、かなり大きな喪失感に襲われ、大きな鬱が襲ってくる。
滅多に欲しがらず、我慢に我慢して、厳選した大切な大切な、人生の友(同志)の事である。
やっと出逢えた人を失うのは喪うに等しい。
だから受け止めるのに、到底、人間時間で計算なんて出来ない。
けれど…
けれど…
(続きはまた書きます。今はこれ以上は無理です。ごめんなさい。)
割りきるのが下手なよこしま☆←けれど心や思考を持つ人との関係で竹の様に割り切れるなんて俄には信じ難い…(T_T)