でも、書いていいですか

もうやだ、こんな生活ー










勝手な理想を宛がわないで


それでもずっと心が孤立してきて、理解されなくて、迎合する道しか歩いて来てないから、
最後の最後に許しちゃう(T_T)

どんな辛い目に遭っても、どんなに虐げられても、
その人が背負ってきた色んな事の言葉にならない心の叫びなんだ、って思ったら受け止めちゃう(T_T)

他に心を解放して当たり散らせ無かったんでしょ。内弁慶出来なかったんでしょ。
そう思ったら、殴られても、強引に求められても、
それでこの人の心が少しでも楽になるなら…って、そんな時は全くの後天的に身に付いたリケジョじゃなくて、
ひとつの命、ひとつの心として丸裸で丸腰で相手が荒れ狂う神様で、色々と捧げて来た

だけど、まさに重篤な状態で出産して、ICUで目が覚めて、今は亡きお祖母ちゃん看護婦さん(当時は看護師さんじゃなかった)に、
『その手で正に命懸けで繋いだ命を抱くために自分を大切にしなさい』と耳元で囁かれて。
朦朧とした意識の中でも聞き分けが出来る聴力と思考は私は働いていた。
そうして愕然とした。
『自分を大切にする、って、考えた事も気づいた事も無かった…』と。
それからも壮絶な治療が待っていて、解らず終い。
もしかしたら『これから大変だけど、治療に耐え切るのよ』だったのかもしれない。
そう思ったら虐げられた事が役に立った。
たまたま搬送された医者がやりたいように私の身体にダイレクトに治療と言う名の処置をする。
麻酔の効かない感覚花瓶の身体…断末魔の様な痛み…鬱病になっても仕方ない。
なのに当時のパートナーは自分を抑えられなかった。
だから私は卵管を結んだ。
この先何があっても私にとってはこの子達だけが実子だ。
だから特に子ども達が小さいうちは先生という職業を敢えて避けた。
私には生活が豊かになるよりアイデンティティーより子ども達との時間が宝物だった。
だから、今、個人意見としての好みなんて無い。
書いているうちに解った

これらは卑下する事じゃなく誇りに思えばいいんだ

以前、大阪の高槻市長も奥様の介護の為に、市長を辞任なされた。
フォーク・クルセダーズのはしだのりひこさんも、奥様が倒れてから、介護と育児で一線を退いた。
私はカッコイイと思うし、愛が深いと思ってる。
趣味を持つ余裕が無くて悪ぅございました

でも、私は、必死に生きてる。必死に人を想ってる。恥じてない
