いやいや、ただでさえ博士課程は多忙なんですが、プロジェクトの関係で記者会見をしなくちゃいけなくなって、
それは勿論ボスがするのですが、その後ボスはあっちこっちに出張に行くわけです。
で、その留守の間、研究室の中で、そのプロジェクトに関わっている若い教員の方が代行するんですが、
ずっと学校関係にいらして、本当に多種の方と関われないでいらしたんです。
『報告は(ボス)先生に、今の取りまとめの(若い)先生からした方が進捗が解って宜しいのではないでしょうか?』
と御提案させていただくまで動きません・・・orz・・・
報道関係の方へのお茶出しも、セオリーなら秘書さん(オフィシャルの肩書は事務補佐員)がするのですが、
徹夜続きで夜中でもメールをチェックしながら仕事してますから途中で入った早朝の取材にも対応できちゃいます。
で、一応お客さまなので、お茶とか出すんですが、研究者なんでそんなもの(一般教養)なんてありゃしない!!!
で、民間企業で働いた事がある私は気付いてしまうので、
やれやれ~、と、お茶を用意する時間も含めて早めに出勤。
お盆をもったまま、端っこ(新米だから)に座り、そのまま今度は研究者予備軍学生モード。
その日は実際に新聞社の話を聞いてみると私の研究に興味を持ったらしく、
徹夜明けのボロボロな姿を写真撮らせて欲しいとアホーな事を言い出しました。
それも留守を預かった、上に出て来た先生に対応していただいたんですが、
先輩にも対応していただいたんですが、
実際に紙面を見ると、なんでか、私が載っている!!!!
い、一枚しか撮らせてないのに!!!
ピンクのパジャマ代わりのスウェットの上半身・・・orz・・・
だから、小保方さんが取りあげられた時、
「こんな余裕のある記者会見があるんだ・・・・」って思いました。
取材陣はドドドドドー!って来て、ドドドドドー!!!って去って、
勝手に(こっちからすれば)編集と言葉をあてて、
勝手に流しちゃいました・・・
ぽっか~ん・・・
で、並行して、博士も3回生になっていましたから、博士論文を執筆しないといけなかったんですが、
気が付いてしまうために(研究者よりは)、
雑用が多く、息子の事もありましたので、もう何もかもが限界に来たんだと思います。
極めつけは、連続して渡航していた国際会議の中国は武漢の会議だったと思います。
直前のポーランドが余りにウットリだったので、これから爆発的に成長する中国で、
ベンツが走るところを歩行者が信号もなく自由に横断するのも混乱したし、
そんなVIPがいると思えば早朝は屋台で朝食を食べてから登校する小学生。
で、会議では日本からの若い美人(私が当時所属していた学会では有名な可愛子ちゃんでした)には何も言わないし、
一人前の欧州の研究者に関しては哲学的なだけの発表だったのに工学の畑であるのに成果はなんだ!?と詰問しなかったのに、
政治的事情で身代わり的に私の研究をボロックソ叩きました。
チャイニーズイングリッシュ。ピンイン発音英語。
ワタシ・・・初めて習ったの、にゃんこ耳さんの助六(旦那)さんご出身のイギリスに精通している方とそのお友達(イギリス人)からだったので、
ヨーロッパの発音の英語は困らないんですが、その他の生活圏の方が話される英語は聴き取りが超下手なんです。
それに対してどうして反撃しないんだ!!!とボス。
ボスの英語は慣れているので聴き取れます。
パニックを静かに起こしていた私を「英語が全く聴き取れないんだろう」と決めつけたボス、
周りに「今から日本語で話します。すいません。」と英語で断って、
同じ内容を今度は日本語で御注意を賜りました。語気も荒かったです。
そんな事をすると余計に「あの子は全く英語が出来ないんだ・・・」って事になってしまう。
・・・そんな集団レッテルの種にボスの言動がなっている事にもボスは気付いていない事実に、
私は相当ショックを受けてしまいました。
レセプションパーティでも、
「酒豪こそが強者」みたいな価値観の私には理解できないパーティでした。
税関の係り員も日本人とは違って、社会主義だからか知らないけれど、とっても偉そうでした。
だとしたら、私も「大学の教授候補(道はかなり長いけど)」なんだから、他の人がボスに言うように、
「先生!」「先生!」とはしてくれない・・・
年齢不詳のちんちくりんなオバサンという外見に苦しんだ日々でした。
で、中国の武漢から、私の感性に興味を持ってくれ研究指導してくれた実質の先輩に「もう止めたいです・・・」と泣きつきました。
先輩はどうしてそうなのかまでは、私の感性を理解する事は出来なかったのでしょう。その人は業界でも有能な若手として周知されていましたから、理解不能だったのでしょう、背負っているバックグラウンドが違います。
そうして、帰国して、ボッキリ折れました。
子ども達に説明して、お金と食材と沢山おいて(不登校だったし)、当時は犬も飼って居なかったし、
東京の知り合いの一人暮らしをしている友達のところに、
『逃げました』(T▽T;)
子ども達を育てないとイケないので、直ぐに戻る事になりましたが、
もし全くの独身なら、そのまま友達のところに間借りして、
東京にひとり移住する準備を始めていたと思います。
・・・長くなりました・・・
主婦さん、お母さん、大変ですよね。
御着物のお知り合いは、ご家族がおいでで、親御さんの介護もあって、
みなさんおひとりでぴゅーんと飛んでいらして、元気つけて、
びゅーん、って飛んで帰られて、また次にお逢いする日まで頑張られる。
そういう意味もイベントにはあると思いました。
次のアンティークショー、お逢いした時に、
『お顔を見れて幸せです。お元気にしていらっしゃいましたか?』
って思います。
だから人生の先輩女子さんの苦労話を拝聴すると、
勉強になりますし、本当に頑張って来られたんだなあ、って、
本当に凄いなあ・・・って。
よく頑張られている、って、お聴きする姿勢でしか示せないけど、
それが伝わられる方たちでもあるので、
可愛がっていただけます。
有難いです。本当に有難い。
私は離婚しているので、ご家族をお持ちの方にコンプレックスを持っていたし、
お家に貢献されている方にヤキモチもありました。
でも、どんな形であれ、女性が大変なのは変わりない、と思うと、
やっぱり同志なんですよね。
だから、御着物で美しくしていただくと、
幸せです。
なんだかタイトルと結論が違ってきちゃいましたが、
いつもの事なので、どうか許して下さい。
最近は、またアメブロで、お友達さんの輪が広がって来ました。
リアルだけが中心で、ネット(仮想)はたかだかネットで希薄なんだと、
そう思ったままの方が多いのも事実です。
でも、されどネットだと、やっぱり思いました。
そういう意味では、通信も専門にやっていて、
繋がるための基盤復旧のために寝食を忘れて向き合っていたあの日々は、
間違ってはいなかったんだ、と、そう思えます。
そう思いたいです。
傷だらけの私と関わって下さるみなさん、
本当に本当にみなさんはお優しい人です。
こころから有難う♪
ショーのイメージソング、SMAPのDEAR WOMANの歌詞にあります。
ようこそ日本へ。
こころから
