発達障がいを持つ私。二次的な鬱病も結構長くなりました。
凸凹な成長をしているのに、均一な物差しを強引に宛がわれて、叱咤激励をし過ぎたために、自分に自信が異常なまでに持てません。
うちの母は凄い人で『人生でずっと100点しか採らなかったら、東大にだって落ちる事は無い!』と信じて疑わない人でした。
傾向と対策、って本がある(あった)のはどうしてかな? 赤本が今でもあるのはどうしてかな?
過去問を塾でするのはどうしてかな?
つまり具体策が欠損しているのに、とにかく、やれやれ!だったように思います。
徒労を超えて、疲弊して、子どもながらに鬱状態でしたね~・・・。
母はしっかりしていると言いつつ、その実依存気質だったので、ちょっと何かが出来ると解るとひっついて来ます。
ご近所の方でそういう方を見つけるとついて行きますし、有名人や権力者や、ブランド・・・めっちゃ弱いです^^;
で、理由を訊いても、『凄いから』・・・何が!?・・・みたいな^^;
そんな母でも母ですので、関わらない訳にはいきませんから、で『人生でずっと100点しか採らなかったら、東大にだって落ちる事は無い!』を信じ、周りの噂を信じるしか無かったんですね・・・
そこに欠けていたのは『この情報源は信憑性が高いか!?』という客観的思考。
ま、今更仕方ないですけれど、やっぱり親なので、子どもの私の方が世の中を解って来ると、プライドが許さない。
一方で依存が始まる・・・院生の時も勝手に獲らぬ狸のナントヤラが始まり、病気をしてしまったら、
宛が外れたのでしょうね(何を宛にしていたんだろう???もう弟の世代なのに・・・。)、
『どうして病気になるの!!!』という、訳のわからない発言をされ、これまた私は意味不明でこころが病んで行きました・・・^^;
今となっては、適度に思考の距離を置く努力をしますが、子どもの頃は心理的な距離がもっと密接というか、
ズンズン近寄ってくるので、どうしたもんだか、と思いました。
馬鹿も休み休み言え、というくらいですから、頼るのも休み休みじゃないと、依存になって、私は倒れましたよ・・・
今思うと、父は、家に気付けば十年・・いやもっとかな?家に帰ってこなかったので、上手く逃げていたのだと思います。
私と弟は逃げるところありませんでしたね・・・^^;
だからかな? 『お前たちは、若いから、お父さんが建てた家に頼らず、出て行きなさい』って言ってくれたのは。
依存から距離を取るように、という遠まわしの指示だったと思います。
そんな事を振り返っています。
・・・認知行動療法、は、まだ、私はワークをしていませんが、その書籍を息子が興味を持って、読もうとしてくれている事が嬉しいです。
彼も努力の人です。
意外と、娘が、甘えたちゃんだったと解ったのは、私も最近の事です。
娘は息子どころか、私どころか、本当にプレッシャーに弱い。
・・・冷静に見てみたら・・・母に似ている気質かねぇ・・・隔世遺伝かな・・・?
それでも、最近は、そんな自分の事を、母に似ていると言うと、思春期の思考から受け容れませんが、
自分自身の特徴として、捉えるようにもっていくと、素直に認めるようになりました。
認知・・・大切だと考えています。
体調のいい時に、気分転換くらいのスタンスで、CBTはやってみようと思います。
没入しがちだから、こうなったので、文字にする事で客観視できるところが、CBT(認知行動療法)のいいところというか、
きっかけ行動だと思うので。
長文失礼しました☆
では、では~(^O^)/