極端に不調~☆ | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

出来れば安定剤は使いたくありません…


けれど自分より子どもへの心身へのケアがまだまだ優先なので、


それらは実質、私の価値観とは違いますから、ホントはキツイんですけれど、


子ども達には、今生に来てもらった責任が生きている間はずっとあるので。


なので、仕方無いんです。


今は他に合う薬が無いから。


そのために、どうも相容れない方とも、お付き合いする必要があって、


子ども達を大切に預かっていただきたくも、それを実現するものが、経済であったり権力である事だけにするのは、


子ども達に見せる(継承する)形として本当にいいのかと、常に考えながら生きています。


身体が丈夫じゃないとね、動ける事が当たり前じゃないから、

そんな事を考えるよ。


だから、ホスピタリティに関する事も、普通の体験の一部として仲間に入れて欲しいんだ。


ステレオタイプで、実際に体を動かして、実際に触れるモノしか信じない、としたら、


人生のうちで病院のお世話になっている人たちが、


経験不足で劣っている事になってしまう。


これは例のひとつで、他にもあると思うんだけど、


それらから来ている劣等感が本人を苦しめている事があるから。


誰しもが最初からネガティブなんかじゃない。


赤ちゃんが生まれて、何を見て、何をどう感じて行くんだろうね。


その子、その子、かつて子どもだった人は、


あれから何を見てきて、どう感じたんだろうね。


いつから劣等感(そもそも、こんな言葉がある事からして、悲しいんだけど)なんて概念が、

出てきたんだろうね。



だから最近、歴史に興味が出てきた。私は文系の学習障がいだから、化学史とか数学史とかから入ると、


その向こうの大域的な歴史の流れが見えるから。


だから、それが、どうした、ってなるかもしれないし、また人間の愚かさに涙するかもしれないけれど、


そこから学ぶ事は多いと思ってる。


人間、って、なんだろうね?


気づいたら人間なんだけど、人間らしい、ってどういう事を言うのか、具体的には言えないし、


尊厳って言われても、もうひとつ、生活レベルの解釈に至らない。


だとすると、健常者と障がい者の境界線は?


同じと違うの境界線は?


解らない事だらけだよね。


レッテルを貼る人って、解らないから、多数決の考え方を正解としているんだろうけど、


統計学として有意な正解データ、白書を毎年読んでる人は、稀だと思うのに、


巷のバズ(伝播情報→口コミ→流行り)を正解集合としている事実にも気づいてない。


つまり自分が何をしているか解ってない。


白書の正解も統計の取り方によっては、有意とは言えないし、

ましてやバズが、白書の正解と、どれだけ合致しているかも有意なデータを誰も出してない。


だとすると、レッテルという、その人の正解は、客観性が全く無い、


つまり偏見と言っても問題ないように思う。


論理が全てとは言わないけれど、多少は勘案した(取り込んだ)考えじゃないと、


一生、完全なる孤立で、誰とも関わった事が完全に一切無い、なんて人はいないんだから、


多少は論理的(=客観的)であってもいいと思う。


興奮状態では客観的にはなれない没入状態なので、


冷静な思考も多少は並列で併せ持っていても、いいのではないかなぁ~…、と、

思ったりしています。




う~ん…薬から起きて直ぐにしては、まあまあの精度?


自分では解るのは、自分のデータ(過去)との照らし合わせなだけだから(^_^;)



以上、データ工学も専門のよこしま☆ちゃんでした♪←こう書かないと信じて貰えない事が多い(^_^;)