カンテツ(完全徹夜)なんて何年ぶりだろう・・・
ほどほどにしないと過集中になっちゃうんですが、
今夜ばかりはね(o^-')b
アレルギーもちの親子には、この天候の中では、なかなかキツイものがありますが、
頑張っている様子を知っているのに、寝れる訳がありません。
時々、辛そう・・・。だけど、頑張りたい、っていうんだから、見守り。
院生もね、寝ないんですよ。遊ばない。
私も、課程の途中で、単なる退学になるか、博士論文は書いていないけど課程は全て修め、それが認定されるだけの業績は残しています、という認定退学になるか、の、ずらずらと研究科じゅうの教授(すんごい数!)の中間諮問試験がありまして、
その時は、流石に、二週間カンテツしましたね。
それだけは通らないと、今の大学で修業したと見なされない慣例があるからです。
子ども達の事だけして、自分は野菜ジュースが何かを買ってきて、時折ストローでチューってやって、
それ以外はずっと勉強と言うか仕事していましたね・・・博士課程になると勉学が仕事ですから。
で、試験の時もヘタレな私は、思い方を変えて挑みました。『これだけのそうそうたる先生方が、拙い私のような学生に貴重な御時間と、その叡智を分けて下さる。』という気持ちになりました。
望んでもそのような先生方に質を見極めていただくという体験が出来る人は、一生に、世界中に、僅かなはず。
そう思うと、辛くはありませんでした。緊張はしたけれど。
そのような試験はスーツがドレスコードなので、しっかり学会発表用のスーツを着て。
シンプルだけど、その日だけは、気合いを入れる為に、メイクしました。
緊張で手が震えたら、目のあたりの繊細なメイクが出来ない。その手の感覚で、どれくらい緊張しているか、自分で推し量りました。
有難いことに、合格、つまり、そのまま在籍していてよくて、博士論文を執筆するための努力を続けていいと、認めていただきました。
実は、それからが、とんでもない、まるで光速で在りながら、博士号を授与されるだけの研究に邁進しなければならなくなるとは、思いもしませんでした。
今思うと、常にギリギリの状態だったと思います。子ども達にも大きな事が無かったから出来た事だと思います。
あれから、息子は壮絶なイジメに遭い、娘もそうされ自傷に至りました。平均や普通じゃないからです。
私も一気に倒れて行きました。リソースがなく、支援が届かない、というのは、そういう事です。
理解がない、というのは、そういう事です。常に助けてもらう側というのは、助ける側の覚悟が無い。
・・・二週間カンテツくらい出来ないと、助ける側になれないのかもしれませんね。
まだまだ息子は頑張っています。キリのいいところまで行かないからです。
それが、時限付きの仕事に就いていない人の在り方というか現実です。
お母さんは24時間です、って、アレですよね。
ERをはじめとする、お医者さんみたいなもんです。
消防士さんみたいなもんです。警察の方みたいなもんです。
・・・休みなさい、って、言われて、休んでいられる環境になく育ったら、
そういう在り方が自ずと身につて居るのかもしれませんね。
・・・もう、お気楽な人が、羨ましい、と、思う気持ちは、捨てます。
私は私。お気楽には成れない。そもそもお気楽で生まれていませんから。
(私自身も生まれた時、危なかった人間ですし、娘を生んだ時も半分向こうに逝きかけていましたから。)
さ、引き続きがんばります。活字に触れ続ける事が、テンションを維持します。
中等教育の勉学は、活字(言葉・記号)で、成立してますから。
ではでは☆