多動ではないけれど、多感なので、ちょっとした、些細な事がトリガとなって、集中するまでにとっても時間がかかります。
なので、無音の状態がいいのです。例えば、夕方『ごはん出来たで~!』なんて呼ばないで欲しいんです。
そうっと何かおいといてくれたらチン!するか、お菓子かじるか、どないかするから。自分の集中を最優先にして欲しいんです。
それが、なかなか叶わない環境にありました。自分が寂しかったらちょっかいかけてくる人が全てウザかった。
勉学する者にとって夏季休暇や冬季休暇などは自分に足りない知識を補う絶好のチャンス。
達観していくための修業の時期。そのような大切な時期に、羽根を伸ばして游ぶなどという感覚は、私は持ち合わせていない。
そんな派手な事をしなくても毎日の機微の中で充分にこころを游ばせる事はできた。
発想、創造、想像・・・倫理的なら推論、推量などなど。
つまり、私にとっては、こころを游ばせる行為(思考)、あるいはそれに至る行為(思考)そのものが、集中であり、集中への道。
・・・というわけで、直ぐ甘える息子が、私には到底理解できない。
勉学なんぞ、自主的に自律的に、独学でするものだ。