勝手に涙が溢れてくる。
院外処方連絡係りのよしこさんが、
黄金糖くれた。
人様に飴を差し上げる事はあっても、
いただいた事は無かった。
子どもの頃はこ洒落たお菓子なんてなく、
食べていた懐かしい味…
お礼をしたて更に大号泣。
診察待ちの間に感覚過敏は酷くなって、
ベンダー補充の音が耐えられなくて、
待合室を耳を塞いで右往左往。
瞬く間に人が怖くなって、
待合室にいれなくなって、
いつもの通り看護師さんに別室を願い出ようにも、
詰所に足がすくんで行けず。
いっぱい耐えてやっと診察も、
研究会議があると手短になった。
結論から言うと『身体症状に顕れるまで頑張り(辛抱し)過ぎ』だそうで、
『そのための予防的な意味も含めた安定剤だから、ここまでに至るまでに、早めに服用して休んでください』でした。
私は物心ついてから、事実として周囲が強迫観念的な概念とそれを表現する言葉に偏った中で育ってしまいました。
大学、大学院と進むに連れ、各国の人と関わるようになり、
個人の当たり前が皆にとって当たり前ではない環境になり、
個人の当たり前は皆の当たり前に決まっていて不偏(不変)なんだから、
なぜ気を利かせて率先して動かないんだ!という目がいつも笑っていない幼少期の価値観が、
今ではもう著しい異質のものになっている。
血の繋がった身内で、である。
けれども生活環境が変わらなかった周囲は相変わらず。
末っ子の父の娘だから、母や伯母たちは自分の価値観に強迫的に迎合させる事が、
今とかなり解離していても、全く気づかないし、利己的保守的である。
もうその矛盾に頭が混乱し過ぎて倒れてしまった。
まさか私のうつ病の要因のうち、最たる部分が身内であろうなどとは、
まったく気づいてないし、言ったらパニック起こしてそれこそどんな稚屈した言動に出るか解らないので、
もう何も言わない、こちらから関わらない方が無難である。
しかし、人に神経を酷使する事を強く求めるくらいの人だから、
自分は驚くほど気が利かない。
世の中面白い可笑しく出来ている…けれど、
私はもう重度の鬱を経て難治性になってしまったので障害者であり、
明日の体調が保障されない。
なのに呼びつける。
まったく実情を理解しようとせず、気のせいにしてくれて変わらない。
父の法事は母が独身の頃自ら声をかけて今に至っているので、
たったひとりでも、寂しいと思わず、ひとりじめ出来たくらいでいてほしい。
料亭も予約しないで、父とじっくりこころの会話をすればいい。
そんな野暮じゃないよ。
だから、あっちもこっちも御高齢だから、呼びつけないように

ちょっとしたカミングアウトでした

よい一日を
