出来ない事があると自分に癇癪を起こす息子。理由も解っています。
この辺りは中学を受験する子が多いのですが、通い始めた成果を学校で優劣に使いたかったのだと思います。
ある日、突然押し寄って来て、塾で習った事をいきなりためして、即答できなかった息子(と、突然何なん???ってなってただけ!)を、皆に、『おい!こいつ、答えられへんぞ!!!』ってしたらしいんです。
休憩時間に、突然関係ない事を、いきなり試されて、戸惑っている間に、息子へのレッテルが確定しました。格付けされてしまったのです。
何とも悲しい出来事でした。以来、自分は無能ではないか、という刷り込みが出来てしまいました。集団真理が働いて、そのまま息子は同じ作戦で瞬く間に追い詰められて行きました。
だからこそ! だからこそなんです! 佳い教科書や参考書、学びと御縁を結んでやることで、自らはそんな事にはめられたからであって、能力が無いのではない事を自覚してもらう事が必須でした。
でも、学校が選定した教科書参考書、そして、先生が、息子に一対一で、しかもこころを許す状態で関われるとは限らない。先の出来ごとの際に、もう、息子は学校恐怖症、対人恐怖症、学び恐怖症になってしまいました。
後遺症で、まだまだ今回も、どうもそんなカンジ・・・試される事を毛嫌いするのも仕方ありません。
それでもしないとイケナイ課題のある箇所に来ると、パニックを起こす息子・・・
面倒を見てやって解りました!!!! 例題の並びも粗末だし、そもそも数学の特徴というか感覚や感性を培う解説がなされていないのです。まあ、いわばセンスがない構成。そりゃ魅力も何も感じないわ!ただ苦痛なだけだわ!!
・・を、今日、お昼からの、お薬&休むタイムの間に、うつろうつろしながら、『何を何だけを特徴抽出してあげて、助言してあげたらいいかな~・・・・』ってなっていると、
閃きました!!!
①数学と言うのは、概念の変換の連続。スイッチが次から次へと切り替わります。代入も頻繁です。次元の上げ下げも頻繁です。単位互換も頻繁です。まずは、これに慣れる事。
②正解を出す事に影響を受け過ぎるのではなく、解法の道筋を出来るだけ先入観なく、広義で捉えられるように発想を自由にさせて挙げる事。
今の息子に関しては、この二つが最重要な助言だと思いました。幸いコンピュータサイエンスは4歳の頃からPCを触らせているので、2進数や10進数といった、繰り上がりするまでにいくつの塊をひとまとまりにするか、という概念は入っています。10進数が当り前だとは思っていません。
これを利用すると、同じ対象に向かうアプローチや変換が数多に在る事に気付きます。
で、学校で履修する単元名を見聞きして、仮説の際の条件を元に、『求められている培うべき数学力は○○だな?』と推量が出来るのです。そうすると『それでも解けるけど、今はこの単元だから、今の単元の解法で解いてね♪』って言えます。
すると、本人も方向性が定まるので、安心して『いっぱいあるけど、こっちの方向で考えればいいんだ~♪』を知るのです。
そのためには、教える側が、辛抱して、気を長く持ち、冷静な判断が出来る程に、自分を高めていないといけません。
それが、どうも、形になって、課題が進んで、本人も形になった事で安心し、自分の礎になったようです。
明日からまた、やってみよう、という気になりましたし、今日のキリの良い所までというのは、これまでより、ちょっと範囲が広いし難解な所まで行けました。
・・・・突如として、閃いて、突如として合致して、バーストするように見えますけれど、それは思考錯誤して、いっぱいずっと考えて、ひとつずつひとつずつ、コツコツを試して来た結果です。
誰も教えてくれないから、自ら行くしかありません。先陣切る私は、本当に低頭に、奔走し、まず自らが学ばなければ、どうにもならない事なのだと、そうして、するべき事は何なのかまでもを、少し理解できた気がしました。
長文に御付き合い下さり、有難うございました。