おそらく精神世界(≒私の中ではスピリチュアルとほぼ同一定義と認知しています。)の事を書くのは初めてだと思います。

物ごころついた時から、花鳥風月と話をする子どもでした。

強い風で大木の葉っぱが揺れると、『風さんも木さんも葉っぱさんも怒ってる!!!怖い!!!』っていう子どもでした。

宇宙に想いを馳せ、夢の中で誰かが疾病をし起き上がっても忘れられなくて気になって仕方ないものは、後に別の場所で実際にそうであった事が多いです。

余りに変な事を何回も言うので、高校の時に同級生に『んもぉ~、気持ち悪いなあ・・・心配症やねん!!!そんなに気になるんやったら、確かめたらええねん!!!』って言われて、久しぶりにその人の元を訊ねたら、

夢で入院してうんうん唸っていたその人は激やせし、もうその瞬間から同級生は私の顔を見て、今でいう、ガクブル。

『うん、酷い、胃の病気をして、かなり切除してん・・・』と。

その入院時期が、私が夢を見た時期と合致するんです。

中学時代にとってもお世話になった寺子屋のような塾の先生でした。私に寄り添ってくれる大人は初めてだったので、先生を喜ばせたくて、超難関校への合格というプレゼントをしました。

けれど、そこは高校進学専門塾だったので、疎遠になっていたのです。敬愛していた人にずっと逢えない寂しさで毎日が押し潰されそうでした。その先生以外に心を許していなかったからだと思います。

・・・とまあ、これは一例。他にも免許を取ってお友達を助手席に乗せてドライブしているとき、突然『寒気がするから、ここ離れていい????』っていう人でした。その時はじめて同乗してくれたお友達が告白してくれたのですが、

『ごめん・・・私も実はそう思ってて・・・あのな・・・たまーに、私見えるねん・・・』

合点が行きました。相乗効果っていうか、感度が高くなっていたんですね・・・。

そんなカンジで、病気の意味の予期不安ではなくて、予兆は・・・感じます。

あーあ。書いちゃった!!!

リケジョ。数学専攻。今はデータ工学。人工知能。並列計算。染め、織り、着物。友禅・・・最近は、左耳だけ、この歳になってモスキートが聴こえ・・・

きっと誰も信じてくれないだろうし、何より、非科学的な事は、両親とも大嫌いでしたから。

個人的には、科学と宇宙は繋がっているし、粒度を小さくしたら、原子だし、電子だし、中性子だし、クウォークだし・・・これらを量子といっていいのだと思うのですけれど(論理物理学用語)・・・

高校は、近くに大阪大学というところがあって、そこに進学する人数を多くする努力をしていた学校だったので(当時)、大阪大学と言うのは、科学系の学部学科が多いので、理科系の科目だけは府下随一の授業でした。

面白い事に国語でも、湯川英樹さんがかかれた随筆が課題にあがったものです。その後も、今は亡き、京都大学の名誉教授の森毅先生と、生前に大学受験する際には、直接お逢いしています。

先生は、海軍時代の友人が運営している寺子屋塾に、分け隔てなく来て下さいました。私は御名前をぞんじていたし、そのウィットに富んだお話が大好きだったのですが、他の塾生は徹夜続きで寝てしまっていました(失礼だと思うのと同時に、「え?眠たくならないくらい面白い話やん!!あれれ?」って思っていました。)

あ、また、脱線しましたね。そんなこんなで、理解されない事が多い人生なので、私は現実主義者とされたなら、そういう事にしています。本来は精神主義者なんですけれどね。何をいわずとも息子に遺伝してしまって、哲学ちっくな話になると、親子というのを忘れて、

『おおおおお!!!!その発想いいね~☆素敵だから、もう一回言ってミルク入りだな』って息子にリクエストします。

一般的には学習障害があるとされている息子だから、私にそんな事を言われるとも思わず、素の状態で言っただけなので、特徴よろしく「えっと・・・忘れちゃった☆あはは☆」って言う事が多いけれど、私はこころに刻んでいます。根幹が素晴らしいメールは大切なので、表現は拙くても、しっかり保護しています。

あ、またまた、脱線! ←早く書け、っちゅーねん!!!! 

いやいや、背景を先ずは書いておかないと、これから書くことがどれだけ私に素晴らしい事で、目からうろこなのか、認知していただけませんから。まあ、そう慌てないでおくんなまし^^

でね、ある人のブログで紹介されていた、ダライ・ラマさんの言葉に驚いたんですよ。


それは、 ↓ ↓ ↓

自分を傷つけたり 自分に嫌な思いをさせたりする人こそ
感謝すべき人です。
なぜなら その人がいなかったら
赦す という体験が できなかったからです。
ですから 感謝 できるのです。
by ダライ・ラマ


というものでした。

私や娘や息子は、何か問題がある時に、すぐ人様のせいにせず、『自分が悔い改めるべき事が表面化された事実なのではないか!?』という考えが基礎にあるので、冒頭の、

『自分を傷つけたり~・・・』でもう、最近の「自分を癒す風潮」とは乖離しているので、てっきり『ダライ・ラマさんにも叱られちゃうなあ・・・』って勝手に思い込んじゃったんです。

でも、勇気をもって、その続きを読んでみたら、上のように書いてあります。

仏教に起因しているものは、そういう解釈なのだと思います。

一方、天井高い所で歌を歌いたくて、という、それこそ邪というか、おバカな天然考えで、教会に行った事がありますが、キリスト教の考えは、自害=悪なのです。許すという経典に、悪という否定行為が定義されているんです。私にとっては矛盾でした。そうして、輪廻や、転生はありません。亡くなったら、それまでなのです。

つまり学ばないと継承できない。・・・とすると門前の小僧、習わぬ教を読む、はありません。

私は、奈良女子大学というところで、教育学を学びました。附属の幼稚園から、小学校、中等学校(中高一貫)まで、実際に足を運んで実習してきました。

そこで、生育上の資質もさることながら、後天的に与えられた環境で人は生き直せると確信しました。親が何を言わずとも、書籍好きで、本が家に在れば、気になって子どもは興味を持つ。生活圏に当り前のように、種を蒔いておくんです。

それでも興味を示さなかったら、それはそれだけの事ですけれど、私は気になりました。

親御さんが不摂生をして、子どもにだけ、品行方正になれ、といっても、難しいです。それが確信できたので、私が子どもが保育園の頃から、『まずは自分が学んで、そこで素晴らしい出逢いがある事を、実現して見せる。』事にしました。

預かっていただけるところが当時無かったので、事情を説明して、理解を求めました。理解をする事を生業としている方々の集団なので、他の場所よりは助かったと今は思います。まだ幼児用のいすがトイレに設置されていない時代に、国内会議でも国際会議でも連れて行けました。

海外では、家族を仕事場に連れて行くことはタブーでは無い国もあるのだそうです。家族なんですから。

で、子どもがなんだか難しい大人の会議の中で、シンプルな質問をします。せっかく作った10年後のプロトタイプのシステムに向かって、『このキカイ、うまくうごいてくれないねぇ。おこってるんかなあ・・・それともねむってるんかな。いうこときかへんな^^ ボクのほいくえんにもセンセーのいうこと、きかないこいるで。おんなじやな♪ははは☆』って言ったりするんです。

息子は、そのシステムを作ったのが院生だという認識がありませんから、可愛く罪のない指摘が出来ます。院生のお兄ちゃんたちは、内心「かっこわりぃ~!!!」と思いながらも、気付いていない息子のために、機械を動かしてあげようと必死です。

そうしてバグを直して動かしてあげると、息子は『わー!!!めっちゃ、かっこいい!!!ねえ、ねえ、おにいちゃん、このキカイ、○○はできる???』っと次のリクエストを言います。素人が本当に必要としている事ですよね♪

で、院生のお兄ちゃんたちは、システム上はとっても難しいことだけど、これまたその場で、云々唸って、プログラム改変をしてくれたりして、結果として、システムが向上していくのです。

それが解っているからこそ、『子どもや女性が喜ぶ(目をキラキラさせる)ものづくり』に必死です。そうすると生活が豊かになります。

そんな訳で、連れていくのがOKだったんです。学生や皆さんの勉強の種を今度は息子(子ども)が純粋な目で大人の事情抜きで見ていますから。本来研究はそういうものです。

・・・それを・・・一歩外にでると、大人の事情が優先して、大人の沽券が優先して、息子や私は、奇異な扱いを受けました。両親からも受けました。一部の学校や、教職員からも、受けました。一般の人からも受けました。

それでも、仕方ない、と、やっぱり、『自分が悔い改めるべき事が表面化された事実なのではないか!?』という気質から、精神疾患に追い込まれて行きました。

けれど、今はそれで良かったんだと思っています。マジョリティにどうしても馴染めなかった芯のある純粋な感覚が、身体や思考から離れない。

・・・だから、これから、私や娘や息子が行くべき道が、見えてくるのだと思います。

それでもやっぱり、ダライラマさんの言葉、知らなかったので、ビックリでした。


ずっと、ずっと、ずっと、否定されてきたので、自分がもう屈折しきっているのかと思っていました。苦しかったです。

だから、自分の都合のいいように動かすために、仏教やキリスト教などの、宗教を利用する人を、私は心から、嫌悪します。同じ様に人の心を利用する人、何かを利用する人、奪う人、嫌悪します。

私のこころは私のもの。この感性もわたしのもの。この言葉も私が身につけたもの。出逢ったものも出逢うべくして私が出逢ったもの。それを棚ボタのように近づいてくる人間を見抜くために、

私は、一旦、世の中で力があると思われている肩書を捨てます。すると人が一気にいなくなったり非難が始まります。それで知るのです。

その人達は、私についてきてくれたのではなく、私の周りにある権威的なものや力に引かれてきているのだと。

事実、博士号がどういうものかも知らずに、協力もせず、もうすぐ獲得できそうだとなった途端、皮算用を始めた実母や、親戚がいました。知人もいました(友人なんて呼びません)。

『これは、ストレートで・・・いや、博士号を獲得すること自体、この人たちを更に勘違いさせる危険なものかもしれない・・・』と杞憂しました。

その時、大変心痛ではありましたが、私のパニック障害と息子のイジメが発覚したのです。

もしかしたら、私は、これまでの人生以上に、人に利用される事から、仏様が解放してくださった、粋な計らいかもしれない、と、そう思ったりしました。


最後まで読んで下さって、どうも有難うございました。


最後まで読んで下さった人だけに。  ・・・私の本名には、『華』という字が使われています。派手で華美でよくうまくつきあえなくなります。けれど、華道の生りたちをしったとき、『仏に捧げるから華なんです』と、御家元がお話されていたのを聞きました。

法華経(他に知らない^^;)や、近くには蓮華という名前の地名があります。

父が亡くなって翌年、この京都に御縁があったのも、なんだか導かれている気がしていたのも事実です。ある意味懐が深くて、ある意味とっても厳しい京都で、10年三人でどうにか生きていたら、その時初めて、

京都人に来させていただきました、と言ってもいいのかもしれない、と思ったのもその頃です。


ご清聴ありがとうございました。