昨日はグッタリを無理して登校、医務室か早退する予定が、過集中スイッチ入ってしまいました(^_^;)
夜中からどうも苦しいでつ(^_^;)
昨日も息子が先生についていただいている時に発作予兆がしたので、こっそり頓服してたのでした(^_^;)
まあ、出掛けて直ぐ、人を怖がり、バスにも地下鉄にもホームの小集団からも、逃げていた私が引率というのも難儀な話でした(^_^;)
今日の法事も予期不安が満載。
実はまだ父が亡くなった事を受け入れられてはいません。
法事は時計の時間で取り仕切られる訳だけど、三回忌出たっけなぁ…七回忌は完全メッチャ鬱病でパニック障害も発作が直ぐ出て行けず(T_T)
周りの誰もが容姿が瓜二つの私に対して何だか法事に行けない病気を理解してくれないと完全孤立していました。
修士の二回生と言えば進路問題真っ盛り。旧い体質の親族は自立よりも女は先に親の介護だろ、と、
毎日の講義しか時間が取れず、後は幼児の二人の手を引いて父の所や実家に通い、保育園の行事も参加し、
修士論文研究に時間が全く取れなかった…
父の葬儀にも来て下さったのは、当時助手だった、現在電通大教授のS先生のみ。
女子大だけど薄情な気がした。
その先生は本当によくして下さって現役の若い即戦力の女子を優遇するより、
家の事情という旧い体質を背負う、どちらかというと、女子苦学生に協力的だったと思う。
仙台のご出身なので震災の時は本当に心配したが、情報屋さんは錯綜状態だったので、
手短な文章しかやりとり出来ず、あれだけお世話になっておきながら、
未だに何一つお返し出来る状態に無い事を忸怩たる想いで過ごしていた。
おそらく先生は、そのような見返り的な事は全く期待されておらず、心配性な私には、大丈夫です、皆無事です、有難う、と、
本当かどうかは解らない台詞で帰って神経を磨り減らす事から守って下さる凛とした態度を見せて下さった。
師匠も孤立ではなく、独立独歩という意味で、色んな事が深層にあったとしても堪えつつも、苦学生にチャンスを与え続けてくださり、決してこころを見棄て無いでくださる。
お偉いさんで過密スケジュールなのに事情を鑑みて調停してくださる。
まるで光速処理。だけれど知的で配慮がある。
だからこそ、母として、どんな事があっても、ドッシリ構えていられる強さを身に付けなさい、と、娘の件でかなり精神的に参っていた時に、逆に叱咤激励された。
娘を、息子を、安心させる事が優先である人になれ、と。
師匠の言葉に最後の力が振り絞れた気がした。
今は殆ど覚えていない。いや、思い出すと、おそらく腰が抜けたり、錯乱するような事だから、
私の脳が防衛本能で記憶を曖昧にしているのだと思う。
パニックを起こしかけの時は知的作業をすると落ち着く。
このブログ記事を書いている間は、大脳皮質活動が、ストレスを受けまくった脳下垂体の暴走を制御しているようである。
少なくとも私に限っての事であるが。
北京のマイクロソフト研究所アジア支部にインターンに向かった後輩がようやく連絡してきた。
スタンフォードや、バークレーにも留学をしていく。
私は家庭の事情でそれらが叶わない。
だからこそ理解ある有能な後輩達は、自ら培った力をシェアしてくれる。
理解者がひとりでもいるという有り難さ。
昨日は、息子の能力を、ありのまま、そのまま、受け入れ、やっと評価されるに至った事が何より嬉しかった。
小さな小さな小さな、ひとつの事に、10年かかった。
けれど何事も10年は辛抱と覚悟しているので、どうにかもった感じ。
その分、一気に疲れが出てきたようだ。
やっと、スタートラインに立てた。
ハンディキャップがあるという事は、こういう人生だ、と、今、ひしひしと感じている。
何故か頓服の安定剤の効きが遅い…状況分析→文章構築の際は、いつもそうだ(^_^;)
困ったものだ(^_^;)
少し仮眠を取らせて貰おう。
今日からが前期最後の追い込み。
送らせてもらった父の法事で墓前に報告が出来ます様に。
似た特徴を強く引き継いだ息子の援護は続きます。
理解者がひとりでも増えてくださいますように。
私が彼へ遺せるのは唯一諦めない創意工夫と忍耐努力という姿勢なのかもしれない。