じゅんすいにかいてたじきがあったんだけど、
これまでたくさんよんでいただいたなんにんかのうち、
ごじしんのりそうにあってないからと、
メッセージとかでわたしのありかたをきょうせいされていらい、
こころがびくびくしてまいごになって、
なにがたのしいかわからなくなってしまった。
もちろんそれから、いまままでも、たのしいことをかいてた。
でも、あといっぽで、じぶんをみうしなってた。
それはそのとききずついたせい。
わたしをなぜかしら、しかる(おとななのに、なぜしかられたり、いりょういがいにはげしくちゅういされんといかん?)ひとに、
めんくらって、そのうち、わたしのしたことをわたしがひていしてしまう。
なにをきたいしてかしらないが、よってきたひとに、そういうひとがかたよっていた。
…しらんやん。
まだなにもいけんができあがるまえから、なんでわたしでもないのに、わたしをじじつがおこるまえにきめつけられるんやろ?
ひとつだけしってることがある。
わたしはずぼしだと『んもぉ~、ばれちゃった?いわないでよぅ~、はずかしいぢゃん♪♪』か、じぶんでまだじぶんがわかってないときは『え?わたしってそうみえる?そうなんだ~☆いがい~♪へぇ~

だけど、わたしをしかったり、つよくちゅういするひと、わたしよりさきに、すんごくおこってるの。
ぜんぜんわかんない

だからといって、おこることなのかまったくわからない。
こじんこじん、かんじゅせいがまったくちがうから。
だから、ふらっとなめせんで、たがいにきょうみをもって、おはなしして、
『あ、こういうのがすきなんだ』『こういうのは、すきじゃないんだ』ってしるじかんがひつようなんだよね。
それをたんしゅくすると、はやがてんとか、かんちがいになるから、わたしはゆっくりなんだよ。
だけど、このゆっくりさんじたいが、きにいらないひとがいるの。
もう、わたしにはわかんない。
べんきょうにあてはめると、ぎゃくにめちゃくちゃはやくなって、ぐたいてきなこうどうもわかるから、
てをわずらわせないように、じぶんでやっちゃう。
すると、またすっごくおこる。
おてあげ。
せんいんじゃないけど、わりとおおかったな~。としうえのひとにおおかったな~。
じぶんのけいけんこそがせいかいにする。
ひとのかずだけ、けいけんがあって、けいけんのかずだけアプローチがあって、
くみあわせは∞なのに、そのなかのひとつ、ってきめて、いきなりおこる。
こわいから、あたりさわりのないぶろぐをかいてるうちに、
なんだかげんきがなくなっていった。
ありのままをりかいしてもらえないことが、こんなにアイデンティティーにかかわって、
うつになったり、ほっさがおこるほどのストレスになるとはおもわなかった。
もう、わたしは、わたしをとりもどして、わたしをいきたい。
しょうじきなところ、おやがくれたなまえさえ、きたいという、じぶんいがいのものさしをずっとあてがわれて、むねがくるしくてしかたない。
だから、のびのびとかかれているみなさん、すごいな~、って。
いまは、いりょうきかんじゃないところで、ミニリハビリのじっせん。
きょうかしょになんてのってない。
あはは☆ またHikkiのうたみたいだ(^_^;)
こんしゅうは、こころのリハビリいがいはぐったりだろうな~…
わたしは、じぶんのいうことだけをきいてほしい、という、いっぽうてきなひとは、
もうトラウマだ。
それこそフツーにかいわのきゃっちぼーるして、アホなこといったり、たがいのドジなほうこくを、『かわい~

それで、なかよくなれるきがするだけなのに

たんきは、そんき。
…って、きいたきがする…
ことば、あまりとくいじゃないから、じしんないけど…
だからすごいな~、って。
わたしね、ぶろぐね、ことばのれんしゅうのばしょにさせてもらってたの。
あと、たいじんきょうふになっちゃって、ひきこもっちゃったから、すこしずつ、ひととかかわるれんしゅうと。
だから、おこられると、やっぱりよのなかは、はやくてこわいなあ、って。
だから、びょうきも、かくさないでかいてたんだけど、
ただしくしるまえに、へんけんのたねにされることが、まだまだあった。
そえんになったひと、いっぱいいる。
ごじしんのとくちょうは、さておいてね。
だから、それにどうじないで、ぶろぐかけるひと、すごいとおもうんだ…。
わたしは、ビビりだから、ほんとうにからだこわして、ねこんじゃう。
かんじゅせいがたかすぎるのもこまったもんだね。
かみさまは、このからだにして、なにをまなべと…
わたしにかだいをだしたんだろう…
まだまだつかみかけ。
では、またやすみます。さいきんは、すこしねむれるよ。
ありがたい。