ワタシね、たぶん、サイテーな時、あるの。
サイテーじゃないな…う~ん…厳しい、かな…そうだ、厳しいだ(^_^;)
大切にしている事は誰だって命懸けでしょう?
軽い気持ちで挑まないよね。
だから、それに沿わせる言葉も、命懸けな時は、私は力量の遠慮はしません。
相手の力を下にみていた事になるから。
特に小生意気な人や小賢しい人や小手先の人には、
黙って見ていたら…ってプッチーン!ってしちゃうので、
時期が到来したらこれ迄に培った力を総動員しちゃいます。
私を育て教えて下さった人の力量を軽く見られた、って事でもありますから。
学歴を晒して生きるという事は、師事した先生方のこれまでのご尽力やご厚意に対して侮蔑させない、という意味もあるので、
例えば理研の問題のように現場で働いた事が無い外野が掻き回して欲しく無いんですよね。
理研も税金使っているんだから、今までの体制がこうなるまで改まらなかった事が問題です。
10年前に指導教官がある研究所に出向しある職責を兼任されました。
かつての上司からのオファーでした。
大学に帰ってくるなり『あれはアカン


任期が終わる頃には研究員はそれぞれ、大学教員に業績を挙げてポストを獲得し、赴任されて行きました。
全国の大学で准教授のポストをゲットして旅立たれて行きました。
大学と研究所も私が知るよりもっと厳密でシビアな線引きがあるんでしょうね。
思い出すと激務な現場ですから胃がとっても痛いですが、指導教官が一番、親よりも厳しいから、そうしてご自身が粛々黙々と遂行なさってますから、
私は一生、お釈迦様の掌の上の孫悟空でしょう。
そうして孫悟空である事を幸せに思っています。
歳を重ねれば重ねるほどに、頭が上がらない人の存在は有難いです。
だから、簡単に追い抜かれる親であってはならないと考えていて、
さすがに精神的に追い詰められているようならしませんが、
乗り越えた時には以前よりは力がついているんだから、アプローチは優しくとも深層でレベルアップした状態で子ども達と、向き合います。
たま~に、随分な大人でそれらが訓練されていなく、尚且つ自助努力せず、自覚すらしておらず、
私につっかかってくる、という実は甘えた行為をしてくる、利己的なだけのオジサン・オバサンには、
子ども達や若い学生に問いかけるように、厳しくいっちゃってから、
気付く時があります(^_^;)
いかん、いかん、未だ未だ修業が足りません。
意識して無視しているうちは意識しちゃっている、という事。雑念が入っているという事。
イケマセンね(^_^;)
反省!!
昔と比べたら随分としなくなったのですが、これでも未だ未だですね。
でも、滅多にしなくなった私を怒らせちゃったんだから、相手もなかなかの困ったちゃんという事でもあります(^_^;)
最低でも物事は双方向ありますからね。特に人と関わった時にはね(^_^;)
だから、私に八つ当たりしていいか、よく内省なさってから…が出来たら、こうはなって無かったよね(^_^;)
ほとけさまでも三度しか赦さないのに(^_^;)
三回までに成長しなさいよ、解りなさいよ、なのにねぇ(^_^;)
ヤレヤレ、困ったぞぉ~い(^_^;)☆
ま、休めない、って事だね(^_^;)
はいはい~
