よこしま☆ちゃん、スイッチ(爆) | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

温厚なんです・・・温厚なはずなんです・・・

だけど、我慢が重なって、重なって、経年されて行くと・・・噴火しちゃうときがあります。

先日、ボイストレーナーの先生にお逢いしました。彼女は、この歳から体力増強も含めて再開したいけど躊躇する私に、

『90歳からでも人は成長するのよ♪』と仰いました。

当り前ですが、90歳からの目標として、10代の子がオリンピアンになりたい、というのと全く同じだと無理です(爆)

けれど、シニア五輪がある。住み訳がちゃんとあるんです。それと、もう一つは、私の躊躇に対しての回答として受け容れられたのは、「再開」という形だからだと思います。

情操年代のうちにずっと音楽をしていたので、基礎が徹底的に体に染みついている。それを目覚めさせるんですから、ちょいとした刺激でいいからです。

例えば、先日、お試しさせていただきました。皆さんウェルカム状態で、息子も一緒に有難かったです。お試しというには90分の長丁場でしたけれど、色んな歌を、色んな歌唱法で、継続的にかなりしっかり声を出したんですけれど、

そのうちに声帯のうちの左側の音が割れ出したんですよ。あれ?って。結構疲労が溜まると左側と右の振動が合わなくて、声が割れる。これはゆゆしき問題。生来左利きなので左に重心を入れてしまうのかなぁ、それとも声帯に繋がっている他の部位の左側の問題かなー、あるいは転置しているなら右側に問題があるから症状として左側かなぁ・・・?

と、よこしま☆ちゃんスイッチが入ります(爆)理論でずんずん考え出すんですよね(爆)この時に多いのが実は幾何学・・・えっと・・・構造・・・えっと・・・もっと解り易い表現ないかなあ・・・

そうだ!図とか絵で捉えるんですね!体のイラストをうにゃにゃにゃ~、って書いて、「体の筋肉ってこうなっているからあ・・・骨格はこうだからあ・・・」って、ぐりぐり書いて理解するというか、

「そっか!もしかしたら、こう繋がっているのかもしれない!・・・とすると、今の困った事を回避するには・・・う~ん・・・」とまた考えます。で、やってみて、その通りだったら自分に対して、

「よこしま☆ちゃん、独学頑張りました~♪」ってなるんです(爆)へんな部分でしょ(爆)

だけど、この感性というかスイッチと言うか部分があるから私なので、これはそれこそ小さい時から備わっている小さな世界の感覚なので、他の人は真似できないだろうし、私オリジナルなので、

別に公開しても何ら怖くない! だって、同じ事をしても私のカラーになっちゃうから(爆)つまりオリジナル、って事ですよね!

で、文頭の数行に繋がるんですが、それをずっと待って居ても、「そのうち人生終わっちゃうぞ?」って待って居ても、ツンツン!しても、気付かない人、っているんですよ。

で、自分こそが唯一の正解だと思っていて、尚且つ、知識比べというか、「俺(私)これだけ知っているんだぞぉ~!」とか自慢している姿をみると、

もう、人生ずっとこうして生きて行くんですかい?ってなって憤慨するのですが、そのうち諦めます・・・

「あー・・・気付かないで終わる人もいるんだー・・・」って。

これになるのにすっごく人生を使いましたね(爆)高機能自閉症の息子でさえ10年で、大きく成長したのに、健常と言われている人が、気付きもしない、耳も貸さない。自覚が無い。

悲しいな~・・・って解ってしまう予備スイッチでもあります。

東京に向かってデコポンとばしちゃうぞ~!!!!

憧れられる人というのは、それだけの責任が伴います。実力も伴います。一定水準を維持する努力も伴います。それでも商業的にうまく行くのはほんの一握り。

なんだか切ないですね・・・ところで切ないと刹那って似てません???派生形かなあ・・・

今日のしっかり雨は、しっとり雨パターンみたいなので、じっくり考えるよこしま☆ちゃんスイッチになっているみたいです。

寂しい、の、寂は、宗教用語なんです、って。あ、哲学の道の石碑の話ね!

考える作業と言うのは、基本的にひとりです。自己に入っていくからね。それを一般的な「さぞ、ひとり、って、寂しかろう?」と混同されると、迷惑というか、「全くもって人生の機微が解ってないんだなあ・・・」と想いはしますが、

言い返したところで「はあ?」って言われるだけなのは、解っているので、言いません。なんなら通じません・・・

その状態こそが「寂しい」んですけれどね。周りにどれだけの人がいても、通じていない状態の方が、よりいっそう辛いじゃないですか。

だったら、やっと出逢えた人と、実は繋がっていた! と解る方が、私にとってはとっても充たされるんです・・・

これらの文章が既に難解だったら・・・これから先ながきに渡る御付き合いはどちらかというとこのままでは難しいですよね。

だから、人は成長という改善をしていく。高村光太郎の道程も、もしかしたら、振り返る時の妙を書いているのかもしれません・・・子どもの頃には無かった解釈です・・・


雨の日カエル