エレクトーンで「プレリュード」Prelude 柏木玲子 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~



拾いました。懐かしくて、励んでいたあの日。この曲聴いたりして柏木玲子さんにどれだけ憧れた事か。発表同時は全く打ち込みが無かった機種でこれを再現するコンクールやコンテスト上位の方と御一緒するのが最初の夢。

音圧が違うんですよ。物理的な音圧じゃなくて、音が凛としてるの。中でも柏木さんのそれらはとても難しくて、この投稿者が書いている通り、終わった後は、小鹿のように肢がプルプルしたものです。

同時に思いました。『腹筋と背筋鍛えなきゃ、両足をずっと宙に浮かせたままに出来ない。』って。15か16歳の時だったと思います。

進学校に行って親の期待がフツーの、というのもありましたけれど、最上位機種を皆自宅に持って居たのに、家は無くて。当時梅田の教室のいくつかのスタッフさんにお願いして、30分ずつお借りして、本番前は練習して、しすぎて腱鞘炎になって^^;

昔は大阪第一ビルの1階にショールームがあって、そのセンターにドドーン!と最新機種があって、閉店準備の時に御借りしていました。サラリーマンのオジサンが中途半端に暗くなっているショールームを覗きこもうとガラスにへばりついていて、じぇじぇじぇ!∑ヾ( ̄0 ̄;ノって思いながらも、練習していました。

フルスケールの機種に体が慣れるのも練習のひとつでした。懐かしいなあ・・・みんなやめていっちゃって。バンドとかにいっちゃって。親にも解って貰えなかったなあ・・・。当時はまだ音大に電子オルガン科なんてなくて、しかも音大にいくなら、親は東京って思っていて、芸大とか桐朋とかクラシックと勘違いしていたから、「今のレッスン以外に月に何十万って払って個人教授をつけられるはずがない!!!!」と勝手な論理の展開でおじゃんになりました。

本番の日に重い腎臓病の清水君へのケアを優先して、勝手にコンテスト辞退して、周囲から大目玉喰らいました。

スタッフの皆さんは私の人柄を認めてくれたけれど、業績重視の先生や学校の先生や親からは、本当に本当に「今までどんな想いで育てて来たの!!!」ってされました。

あの時から時間はとまったまま。80年代のアイドルにみんな傾倒している中、何十歳も離れた年代の音楽の基本や、リズムや、音色や雰囲気に陶酔して没頭していく私。

どこを見渡しても孤立していました。あの時ネットがあったら、遠方で似た想いをしていた人と繋がって、どうにか髪の毛一本でも切れないで居れたかもしれないのに。

・・・あれから時間が、止まったまま。何をしても手術の事故や、DVや、酷い競争論理の中に、巻き込まれて、いつも命からがら。

・・・思う処があるので、ちょっとふらっと出かけてみます。無理はしません。安定剤持って行きますし・・・

才能も無い、手も小さい、筋力も無い・・・それでもずっと芸術の世界に没入していたかった。その日の食べるものがなんとか、っていうくらいでもそれだけで幸せだった。

でも・・・言えなかった・・・今でも言ってない。サイレント・プア。私の心がね。