どちらかというと、ねむりひめ のような魔法です。
幼く人を疑う事を知らない時の魔法なので、かかったままになっています。
自己卑下はこれら数多の魔法にかかっているせいなのは解っています。
どうしたら解けるのか、いつ解けるのか、全く解りません。
自分なりに考えられる事、インスパイアされた事は全て試しました。
私が今の生きにくさを強烈に意識してしまう魔法。
やさしく解いてくれる愛を持つ人との出逢いはいつ来るのでしょう。
もう、無理に自分を奮い起たす事も止めました。これはおそらく詭弁で、孤軍奮闘努力の人生に疲れ切ったのだと思います。
安定剤の服用が少し前の分量に戻りました。体も心も努力して減らしていたのに…。
でも、この努力の度合いは私には著しく無理や無茶に近い程の大きさであった事を昨日今日あたりで、やっと悟りました。
足軽か、あるいは防具も持たずに先頭切って突進するような兵として生きる事を強いられました。
奇しくも今日は子どもの日。
子どもは子どもの夢を追えばいいのであって、親や周りの大人の巧みな思惑や野望という大きすぎる夢や希望を背負わなくていいのです。
確かに今の日本には皇族があります。という事は、以外の皆さんは高々庶民です。
皆同じ庶民です。その庶民の中に多重階層を作る必要は全く無いと考えています。
私は~の家系だ、に拘った母。父系に色をつけて侮蔑して生きていました。単なるプライドが高いというには程遠い粗雑な侮蔑でした。
子どもが生まれた時に夫婦は互いの生育からの違いからくる価値観に縛られる事も知りました。
もう十分苦しんだので解放してもらいました。
自分の人生は自分で切り拓く。
庶民にとってそんな当たり前の事が出来ない。
傷ついた人がいたら心を寄り添わせる。
そんな当たり前の事が出来る程の創造力(想像力)が無い。
特に『欲』に囚われていたら出来ないでしょうね。
母はどう生きたかったのでしょう。
父もどう生きたかったのでしょう。
心を鎮める術を見つけられなかった、あるいは見出だせなかった。
私には解りません。
魔法をかけた事も忘れてる。かける時期によっては私のそれからの人生に大きく影響する事も理解していない。
『鉄は熱いうちに打て』というそうです。
では、どのように打ちますか?
私は割れないようにだけ気をつけるだけで、どんな速さで冷めようがどんな形になろうが強制はしません。
ひとつあるとしたら人様の体や心に私がかかったような魔法を覚えないでいて欲しいという事。
それだけです。だから私は記憶に拘る。特にケアリングの知識を忘れないばかりか、益々取り入れていき、実践できるようにと拘ります。
つまり、反対の価値観は見ざる聴かざる言わざる、でいたいのです。
しかしあまりにも、あまりにも、最初から決めうちになっている。
だから親をはじめとする大人が真の賢さを身につけて子ども達に見せなければ始まらない。
自分が正しく判断して責任を取っていないのに、それらを子どもに急かして強いても徒労ですよね。
子どもは神様から預かっただけ。
自分の価値観が片寄っている事を先ずは自覚する事から親が始まるように思います。
私には魔法がかかっています。自覚しています。ただ、解く術が見つかりません。
仕方ないので最善の対処療法で凌いで生きて、せめて周りの方の中で、世間の目が怖くて言い出せないけれど同じ特徴を持った人にストレスを出来るだけ与えないよう、
そうっと地味に生き、内省をし続けているのです。
もしかしたら、それが今生での私の役割かもしれませんね…。
長文失礼しました。あまりにも、生きる事そのものが苦しいものですから、書きながら再帰的に考えるという行為を通じて落ち着かせていただきました。
安定剤もそろそろ効き始めて来たかもしれません。
皆様が幸せなものに包まれている夢をご覧になられていますように

よこしま
