PDDの辛さ | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

♪よこしま☆ちゃんの日常♪

~ ゆるゆる生きる ~




自分の色んな齟齬を、人様の齟齬を、解ってしまう。


言葉を直ぐに信じちゃう。騙されやすい。


言葉は難しくて、同じ言葉でも場面で意味が違う。


特に相手の状況が解らないと意味が特定出来なくて会話が理解出来ない。


だから少しばかり時間を頂戴して対話をしたくなる。

でも…残念な事に私の周りは慌てん坊というか思い込みが激しいというか、それでいてせっかちで、そうなるには自分が正しいと潜在的に思っているから、

多少のズレがあった時、必ず私が悪くて間違えている事にされた。


育ちながら自分を卑下するようになった。


生まれて初めて自分の意志で始めたのが、絵と折り紙と音楽。鳥と金魚が好きで露店商の金魚すくいとひよこ釣りでお家に来て貰った。

小学生の高学年になるや否や、生きる方向は全く違う方向を向いた。


フツーの学校、しかも進学校、フツーの大学、しかも有名大学、フツーの就職、しかも財閥系の都市銀行か商社…だったと思う。


これは両親が進みたかった道だと後で知る。


私は私を生きて来なかった事に気づき始めたのが、特に人生うまくいかなかった時。


感受性が高いから心が折れてしかも回復に時間がかかる。

それを人間じゃないような気味悪く私を見たのが母だった。


私は女性が生きる上でアドバイスを貰えたら助かる母から私に解る形での母性は受けとれ無かった。子どもがそんな能力無かった。


父は生前かなりモテたのでそっちの苦労はしたと思う。

そうしたら堅物さんと結婚したら良かったじゃないか、と言ったら、それじゃ面白くないといい、

じゃあ父で良かったんじゃないか、というと、あれは酷すぎると言った。


…ここまで書くと酷く映るかもしれない。でも冷静になってみると、今の私の混乱模様に似ている部分も多い。


切っても切れない実家、姻族、子ども、地域の人、子どもの学校関係の人…

決してコミュニケーションが器用でないし、家だけ親族と離れて住んでいた正に核家族の走りだったので、母は孤軍奮闘していて疲れきっていた。

事実、私が年長の時は母は臥せっていて、予算を聞いて、弟の分と出前を頼み、弟の世話をしながら、後片付けをし、お店の人が取りに来てくれるように簡単に洗って玄関の外に出す事が多かった。


当時の東京に地方からの家族には風当たりが強かった。

立派な家ほど余所者と門戸を閉ざした。

当時は東京に居場所なんて無かった…ううん、物心ついた時から、それぞれの実家から離れていたから、どの場所でも家族が新参者で本当に馴染めなかった。


母は暮らしやすいように人並み以上に努力をしていた。けれど巨大な都会で小さくひとりの女性では徒労に終わった。

それ故に東京に引っ越ししてから母はよく寝込むようになった。


父はというとヘッドハンティングで東京に引き抜かれて言ったので父だけ裕福だった。

家に殆どお金を入れなかったので、帰宅もあまりせず家で会う事はこの頃から稀有だった。

色んな事情で女性にモテた事が楽しくて仕方なかったのだろう。かつて両親を早くに亡くしたせいで大変だった人がモテたのだから、嬉しかったのだと思う。


けれど、既に独身出はなかったから流石に母を始めとする我が家は知らない土地で相当困った。

母も相談する人がおらず衰弱していき、見かねたパート先の先輩女性が、少しの間、実家に帰って祖母に甘えた方がいい、と強くすすめる始末だった。


私は言葉には出来ない位幼かったけれど今でも障害の一部として残っているように感受性が高く観察力が優れていたので深刻さは解っていた。


だから学校でイジメがあった事を遂に特に母には言わなかった。

大学受験を失敗してとある私学に行った時も大学生にもなって幼稚な人間が徒党を組んで意地悪して来た。

いざとなると頼ってきた。

私はすっかり人間不信になってしまった。


自分をよく見せるために私は使われる事があっても、反対は絶対に無かった。


リーダー格だった(大学生にもなってヤンキーか!)子が、私の直ぐ後に同じ様に結婚して、同じ様に離婚して気持ち悪くなった。

あれだけ執拗な幼稚な事をしておいて、よく連絡出来たもんだ、と思った。


あれからずっと甘え口調で実家から立派な年賀状で(彼女の父は中小だけど会社を経営している)会いたいな~♪と書いてくる。フリーズしてしまう。

お涙頂戴で懇願されたから大切な物を貸したら見事になくされた。弟との共有物だったから私は弟に心底詫びた。そんな子だった。


そんな訳で私は人や人を信じる心をいとも簡単に踏みにじる人間が怖いというより、

同じ生き物として認知できない心の傷をずっと抱えている。


私は利用されるために生まれて来たのではない。


けれど絵画も工作も音楽も私は両親がそんな思惑だとは知らずにあの時代に置いてきた。


最近初めて聞いて驚いた。


『この子は専門の先生につけた方がいい』と小学生の先生に言われていたそうである。


ちなみに母の同級生はプロの画家だ。個展も毎年開く。今の私の歳くらいで、先生に師事したらしい。メキメキと頭角を表した。


すると母は言った。


『だいたい絵をする人って家庭がうまくいってなくて、頭が変になった人が多い、って言うやん?』と。


個展の案内葉書がくるたび同じ事を言った。


そうして先日別件で話をしていたのに、ひょんな事から、『だいたい数学をする人って家庭がうまくいってなくて、頭が変になった人が多い、って言うやん?』と言われた。


悲しくていたたまれなくなって、母は未だそんな事を言うのか、と思い、気持ちの整理が出来なくなって、トイレに行きたいから、と、電話を切った。


トイレで無いた。


母といつになったら通じるのだろう。


会話が昔から通じない。


母はいつも実家や父や世の中を見ていた…。


似た特徴を持った息子はかつての私。


本当に人様を先に思い、ずっと遠慮して、ずっと耐えて生きてる。


生まれつき体が丈夫でない。生まれた時から元のパートナーに放置された。


君はかつての私。


親子というより…片寄合う歳の離れた親友なのかもね。


生きるの大変過ぎるけど、人様に余り見つからないように生きようね。


やっと見つけた大切な好きなモノ、意地悪で壊されたり奪われて棄てられたりしないように、そうっと両手で胸の前で護ってね。


私はえぐられちゃったから…。


代替の考えが欠損している私は…


大切にしていたモノ…もう修復出来ないんだぁ…


だから君はそんな目に遭わないでね。できる限りフォローするね。


あまりあからさまにするとちょっと誤解しているお姉ちゃんがヤキモチ妬くから然り気無くねドキドキ


お姉ちゃん、そろそろ無事に仕事始まった頃だね。

連絡が無いから道中無事だったんだね。


ヨカッタ…クローバー



ちょっとだけ倒れていいかな…


ちょっとだけ。


起きたら学校の課題分かりやすく説明し直すから。


待ってもらってごめんねしょぼん


もっと丈夫だったらヨカッタね。


ごめんねハートブレイク


スーパーマンに本当になりたかった。そうして君達を護りたかった。

壮絶なイジメに遭わせてごめんハートブレイク


でも、言ってくれたね、素直に表現してくれたね。


嬉しかったドキドキ


役立てずの時が増えてきてごめんねしょぼん


障害を持つ親になっちゃってごめんしょぼん


本当にごめんなさいハートブレイク


安定剤…飲んでいいかな…ご飯は作ってあるから…


ごめんねハートブレイク