…なんちゃって。あるギタリストさんの現時点での最新アルバムのタイトルに肖りました。
作成時期を知っているので、作品になった時には相当嬉しかったです。
けれど一方でかなりの淋しさとショックを感じずにはいられませんでした。
形にする事で一応の完結をしてしまったというか、キリをつけてしまったというか、
その時間の短さにある人の人生が集約されてしまうのだとしたら、
数分の作品にされてしまう事が余りにも余りにも余りにも悲しかったからです。
たった一度だけ再生して以来全く聴いていません。今も聴ける状態になりません。
驚く事に他のアルバムも他のアーティストさんの曲も全く聴けなくなってしまいました。
悲し過ぎて聴けなくなってしまったんです

心が震えるのなんて真っ平ごめんだ、ってなりました。
昨日のフローズン字幕版も心が入って行きませんでした

言語が違うので違う作品の様に感じたからこそ新しい発見も色々あったろうに…
ただ無機質になっていく自分を見つけました。
映画館を出て暫くするまで耳栓をしていた事をすっかり忘れていたくらいですから。
私は大変傷つくと心を閉ざします。
でも当たり前ですよね。震災も脱線事故も壮絶な体験をした人は内的な時間なんて止まっちゃいます。
だから、何が元気だせ!だ!って本当は叫びたい。
叫びたいけど通じないし理解されないのももう解り過ぎてる。
で、支援する側は『もういいでしょ』とばかり、止まっていない時間に戻って傷ついた人たちを置いていく。
その人たちが易々と『愛』や『感動』を口にする。
瓦礫の一つでも運べ!除線作業ボランティアしてみろ!街頭で一日でいいからどんな天候の時も募金箱抱えて立ち続けてみろ!
そんな人が義援を口にする。
そんな人達の音楽に心が自ら閉じてしまった

私から大好きだった音楽を、人生の一部だった音楽を返せ

貴方は自ら貴方の音楽を私から引きちぎる様に奪って行った。
傷つける一方で愛と言って奏でる。
それで飯を食う。
事務所が関係者がファンが傷ついてない人が賛同する。
ひとりで被災地入って、ストリートミュージシャンみたいにジャカジャカ弾く活動をする方がよっぽど勇気ある愛の行動でしょ。
何しに来たんだ、って目を向けられる体験を一杯しても、傷ついた人のそれには遥か及ばない。
いつから人は、人の心の痛みにここまで鈍感になったのだろう。
それをノイローゼというなら、鬱というなら、生真面目というなら、ウザいというなら、
指差して笑ってくれて結構

もう十二分に指を指されて来たもの。
人間の形をした独り善がりな強欲な肉の塊に、もうどんな詭弁もどんなプロモーションも裸の王様みたいなもんだよ。
だから自分の事を『かわらこじき』って言ったんだね。
聴いた時、何が何だか解らなかったよ。
でも私はそうである事そのものをどうとも思ってない。
むしろ貴方が色をつけて、色があると思って、色をつけられたからこそ、素敵な言葉でラッピングしてブランドで、色をつけた人達からお金いただいて生計を立ててるんでしょ

かわらこじきなら、かわらこじきです、ってありのまま生きてる方がよっぽど素敵だと思った。
私はブランド概念には全く興味無いから。
もう当たり前になってて、ただ音楽好きな少年の心までも亡くしてしまったのかな…
悲しいのは誰でしょうね。
真に悲しいのは…