深く考えないで。
何度言われたろう・・・
一方、深く考えない、って論外です。
これも大学院で言われ続けて来た・・・
一般的に、鬱病などの精神疾患になったとき、重圧をどうするかに焦点がいく。
その時、重圧を軽く認知して、気にしないでおく、というのが前者。
その重圧の正体が何かを見つけ、軽くしていいものと、そのままの重さを保たないとイケナイと振り分けて、人生書けて取り組んでいくのが後者。
どっちも正解だと思う。けれど、後者は前者を包含している。
普通、と呼ばれている人は、なにか一つ例を挙げると、それが集まったモノが全体だと思い込み易い。汎化と言います。
例えば、生活や医療や教育について、軽くお気楽に考えていいのでしょうか。
私は不安に思うというより、お気楽過ぎてこの世があまりモノを考えない人で溢れて来た事に悲しみを覚えるんです。それが不安の正体。
スマホになって、それらを見ないで文章が書けますか?漢字忘れていませんか?
何より母国語、正しく使えていますか? ←人に正確でありながら、やわらかいラッピングをするという意味です。
それで海外の人、ではなく、隣人に心のおもてなしができますか?
面白いのとふざけているのとは違います。
真面目と頑なとも違います。
・・・価値観が違うというなら、私の事を自分の価値観で見ないで欲しいのです。
私は・・・おそらく・・・これらの事を、たくさんの文章を通して、
「なんだかよくわからいけど、なんだかわかる気がする・・・」という観点を、
持って頂きたかったんだと思います。
それが直感になり、予感になり、「ん? なんだかおかしいぞ?」になり、
そうすると、これまでの自分の価値観に新たな価値観が付加される。
つまり物事を多面的に見ることが出来る。
そうすると、人と対話するとき、「この人はこう思う人なんだ・・・こういう体質なんだ・・・」となり、
法的規則は画一的だから脇に置いといて、その人の価値観を知るのです。
知ると、その人の心を傷つけない言葉を選ぶことができます。
これが私のしたい事です。
殆どの人が、美しい礼節あることばを喪ってしまった・・・
『おもはゆい』って御存知ですか?
私は、ある女性の先生に、この言葉をいただき、恥ずかしながら解らず、辞書で調べました。
何とも美しい奥ゆかしい表現だと拝察いたしました。
子どもの言葉が乱れているのは、乱れている集団に属しているからです。
なので、私は、生れ育った言語を捨てました。
ご近所の方と御話する時は関西弁ですが、
家の中ではアクセントは関西かもしれませんが、出来るだけ丁寧語を使っています。
相手が子どもだからといって、してもらった事があるなら、ありがとう、と声かけます。
大好き、も声かけます。
それは、私が金銭で、他人に預けられた事が多く、
尚且つ家ではスラングが横行していた心の傷だからかもしれません。
けれど、どうやら、この私のスタンスは、同じ背格好でも、同じ年代でも、同じ病気でも、
同じ音楽好きでも、かなり乖離している事に気付きました。
皆様に受け容れられないのもごもっともだと思いました。
幼いころからの、どこかしら強烈な、孤独感は、預けられっぱなしから来ているし、
生育上の疎外感は、自分の価値観以外を取り入れて下さる方が希有である事も知りました。
表面上、仲良しだとか、群れいるようですが、内心は全く、四方八方向いていて、
その中で強引な性格をしている人に、迎合している人が多い事も、もう解っています。
仕事上の付き合いなのか、自己顕示が解りませんが、もうその強引さに辟易し尽くしています。
私は研究者になる訓練をしたので、その意味を忠実に表現する言葉や数式をずっと吟味してきました。
尾ひれがついてはイケナイんです。過不足無く意味を説明できないと、それは誤植やねつ造と言われてしまう業界にいました。
人生の殆どを学問の神様と対話してきたので・・・
全くと言っていいほど、通じないんですね。解ろうとしても、解ってはもらえない。
別段、それらを期待して、ブログを始めたのではありませんが、余りにも乖離が酷くて相当なショックを受けています。
お気楽≒都合がいい≒詭弁≒無責任・・・なり易いのでご留意ください・・・も、所詮はお節介なんですよね・・・
とても混乱したので診察に行って来ます。主治医に認知を質問して来ます。出来れば主治医が話が直交する患者に対してどういう心のスタンスを持つのか、
同じ大学の人間なので、そこは自分の持っているナチュラルな言葉で通じると思いますから、(まあ、本当の専門用語は互いにつかいませんが)
早めに行って来ます・・・・
そりゃ野呂さん、話聞いてない時あるわ。不特定多数&雑多だもの、ファンなんて。
何度言われたろう・・・
一方、深く考えない、って論外です。
これも大学院で言われ続けて来た・・・
一般的に、鬱病などの精神疾患になったとき、重圧をどうするかに焦点がいく。
その時、重圧を軽く認知して、気にしないでおく、というのが前者。
その重圧の正体が何かを見つけ、軽くしていいものと、そのままの重さを保たないとイケナイと振り分けて、人生書けて取り組んでいくのが後者。
どっちも正解だと思う。けれど、後者は前者を包含している。
普通、と呼ばれている人は、なにか一つ例を挙げると、それが集まったモノが全体だと思い込み易い。汎化と言います。
例えば、生活や医療や教育について、軽くお気楽に考えていいのでしょうか。
私は不安に思うというより、お気楽過ぎてこの世があまりモノを考えない人で溢れて来た事に悲しみを覚えるんです。それが不安の正体。
スマホになって、それらを見ないで文章が書けますか?漢字忘れていませんか?
何より母国語、正しく使えていますか? ←人に正確でありながら、やわらかいラッピングをするという意味です。
それで海外の人、ではなく、隣人に心のおもてなしができますか?
面白いのとふざけているのとは違います。
真面目と頑なとも違います。
・・・価値観が違うというなら、私の事を自分の価値観で見ないで欲しいのです。
私は・・・おそらく・・・これらの事を、たくさんの文章を通して、
「なんだかよくわからいけど、なんだかわかる気がする・・・」という観点を、
持って頂きたかったんだと思います。
それが直感になり、予感になり、「ん? なんだかおかしいぞ?」になり、
そうすると、これまでの自分の価値観に新たな価値観が付加される。
つまり物事を多面的に見ることが出来る。
そうすると、人と対話するとき、「この人はこう思う人なんだ・・・こういう体質なんだ・・・」となり、
法的規則は画一的だから脇に置いといて、その人の価値観を知るのです。
知ると、その人の心を傷つけない言葉を選ぶことができます。
これが私のしたい事です。
殆どの人が、美しい礼節あることばを喪ってしまった・・・
『おもはゆい』って御存知ですか?
私は、ある女性の先生に、この言葉をいただき、恥ずかしながら解らず、辞書で調べました。
何とも美しい奥ゆかしい表現だと拝察いたしました。
子どもの言葉が乱れているのは、乱れている集団に属しているからです。
なので、私は、生れ育った言語を捨てました。
ご近所の方と御話する時は関西弁ですが、
家の中ではアクセントは関西かもしれませんが、出来るだけ丁寧語を使っています。
相手が子どもだからといって、してもらった事があるなら、ありがとう、と声かけます。
大好き、も声かけます。
それは、私が金銭で、他人に預けられた事が多く、
尚且つ家ではスラングが横行していた心の傷だからかもしれません。
けれど、どうやら、この私のスタンスは、同じ背格好でも、同じ年代でも、同じ病気でも、
同じ音楽好きでも、かなり乖離している事に気付きました。
皆様に受け容れられないのもごもっともだと思いました。
幼いころからの、どこかしら強烈な、孤独感は、預けられっぱなしから来ているし、
生育上の疎外感は、自分の価値観以外を取り入れて下さる方が希有である事も知りました。
表面上、仲良しだとか、群れいるようですが、内心は全く、四方八方向いていて、
その中で強引な性格をしている人に、迎合している人が多い事も、もう解っています。
仕事上の付き合いなのか、自己顕示が解りませんが、もうその強引さに辟易し尽くしています。
私は研究者になる訓練をしたので、その意味を忠実に表現する言葉や数式をずっと吟味してきました。
尾ひれがついてはイケナイんです。過不足無く意味を説明できないと、それは誤植やねつ造と言われてしまう業界にいました。
人生の殆どを学問の神様と対話してきたので・・・
全くと言っていいほど、通じないんですね。解ろうとしても、解ってはもらえない。
別段、それらを期待して、ブログを始めたのではありませんが、余りにも乖離が酷くて相当なショックを受けています。
お気楽≒都合がいい≒詭弁≒無責任・・・なり易いのでご留意ください・・・も、所詮はお節介なんですよね・・・
とても混乱したので診察に行って来ます。主治医に認知を質問して来ます。出来れば主治医が話が直交する患者に対してどういう心のスタンスを持つのか、
同じ大学の人間なので、そこは自分の持っているナチュラルな言葉で通じると思いますから、(まあ、本当の専門用語は互いにつかいませんが)
早めに行って来ます・・・・
そりゃ野呂さん、話聞いてない時あるわ。不特定多数&雑多だもの、ファンなんて。