昨日、JRおよび地下鉄東西線二条近くの よし廣さん に和菓子作成体験に行ってきました。

で、お家でも出来るキットを買って帰って来たんです。



その中に入っていた和菓子豆知識によると、東の和菓子は型抜きを使うらしいのですが、西の和菓子は色だけで季節感を出すのだそうです!

この色だけで季節感を出す技法がまたストイックで男前やんか~!!!って思って、

吸い込まれて行くんですよね:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

惹かれるにはそれだけの理由が私にはあるようです。

未だ言葉にならない直感といいましょうか、御縁といいましょうか・・・

一途な事に惹かれるんですよね・・・ストイックにも惹かれます。

「寝食を忘れて研究に没頭したい」と思ったら本当に寝食を忘れちゃうのです。

素直というか、通り越して馬鹿ですよね(^▽^;)

最短年限3年で博士号、本気で獲りに行ってたんです。

そのために生れ育った土地を離れ、子ども達もそれまでの環境から突如引き離すという辛い選択をしました。

本当に申し訳なく思っています。

その歪みが不登校という形になって出て来たのだと思います。

転居があると新参者は奇異な目で見られる洗礼を受けます。

私が子どもの頃からなんら、変わっていません。

東京に引っ越した時も、東京から戻って来た時も、洗礼を受けました。

大学院に行った時も奇異な目で見られました。

一生懸命であればあるほど、「何カッコつけてるねん」「何いきってんねん」「暑苦しい」「ウザい」一杯言われました。

親も知人も頼れなかった。必死で必死で本当に必死で。32歳でまだオムツが外れていなかった子どもを連れて大学院に勉強を再開し、奨学生にしていただきました。

皆さんに助けていただいて学生ができるのですから、変な成績は獲れません。

子どもを送って、授業の合間にアルバイトをして、寝かしつけて9時から課題をしたり、ついてイケナイ部分を勉強していたり・・・。

そうして奈良女子大学の修士号を取るのですが、地方の女子大では、常勤には成れず、まだ精進しないとイケナイ、と、そのまま進学を目指しました。

どこも受け容れてはくれませんでした。門前払いなんてどれだけ喰らったか。唯一、今のボスが拾ってくれたのですが、おそらく試験受からないだろう、と思われていたと思います。

それが、必死になってすがりついて教えて下さい!!!ってしてたらギリギリで合格しました。

通知を受けた時、子どもに合わす顔がやっとできたと思いました。

このうえは、精進して、必ずや最難関の京都大学の博士号を取得し、高等教育機関の職員になって、親にも知人にも奇異な目で見られる事無い人生を送りたかったし、子どもを泣かせたお詫びもしたかった。

・・・けれど、D3になって、福知山の脱線事故もあったり、専攻長が急逝なさったバタバタがあったり、とんでもない事務員に巻き込まれて(気の弱い人って巻き込むよね)、

子ども達も親が決めた中学受験の塾についていけない子の憂さ晴らしを集団で受け、

私が進学したのは子ども達を育てるというのが第一の理由でしたから、研究そっちのけで休学したり留年したりして、孤軍奮闘し、学校関係や病院関係、行政に至るまで立ち向かいました。

・・・これが学位を取れなかった理由です。

一般的には、私には親が居て、子どもがそこまで頑張っているなら、力を貸そうものでしょうが、母は自分の学歴や生育などから実子である私に嫉妬をしていたのでしょう。

私は感受性が高く、それ故進む研究もあるのですが、同時にショックも受けるので、実母が内実私に、子どもの様に依存的に頼って来た逆転現象は、自立する邪魔以外の何物でも無かった。

あ・・・和菓子の比較から、この展開ですね。

そうです。私は親子関係が上手くいっていません。特に親は自我を持つ私を疎ましく思っていました。持論で私を説き伏せられないのです。私からすれば、矛盾だらけの詭弁でつまりは自分の思う通りに迎合してほしい意図が透けて見えていた。

だからいつも「何を言っているか解らない」と答えていました。するともう一度同じことを細かく言うのです。通じませんでした。

「論理が破たんしているから、そのような考えに迎合も賛同も出来ない。私より人生うんと長く、しかも社会でそれなりの役席についているのに、それくらいの発想しか解決方法を見つけられないのか?しかも矛盾しているし、現実問題、それをどう具現化したらいいのかのアイデアが話されていない。」が言いたい事でした。

両親はいつも、思うままに言えば、私が考えて実現していましたので、勘違いして自分の発想が素晴らしいと思っていたようです。

和菓子を作って、説明通りでは出来ない時、「これは言っていない技法があるぞ・・・?」と解るもんです。そこで練り切りに飾りをつける「へら」の形状を観察し、どのような角度でどのような方向に向かって、どのように入れて、どのように抜くか、お手本をこれまた観察して、試してみるんです。数回すれば出来るようになります。

素人がそれだけ短い間に観察して、それなりに実現したらダメなんでしょ!
(`(エ)´)ノ_彡

だって、仕方ないじゃん!!!好きなんだから!!! 昔から図画工作得意だった、ちゅーに!!

音楽も教員になろうとして、小学生の時には演奏と並行して楽典勉強していました!!

親の意向でフツーの学問にシフトしたけれど、小学校でアンサンブル譜書いたらダメだったんでしょ!!
(`(エ)´)ノ_彡

だけど高校生の時、ダイエットして、お洒落して演奏したら、ずんずんオーディション合格していった・・・なんじゃそら!って思った。

売り出すだめに見栄えだったんだ・・・とその時知るのです。同僚のとっても美人さんは、それを知って、ミスコンに出るようになりました。テレビでオーディション見て「そこに行ったか~」って思いました。

所詮、女性は、見栄えで評価されちゃうんだな~・・・って思いました。

研究論文発表学会などでは、一応アーカイブされたり被写体になるので、研究と同時に絞ります。

わたしゃ、芸能人か!!!!

そんな事・・・みなさん、知らないでしょうね・・・今や、かっこいい、今時の京大生多いですよ! イケメン先生も多いです!

学食や売店では、彼らは食品のカロリーや成分が知識として入っているので、スイーツ男子でも「あ、これ、意見体に良さそうだけど、糖質が必要以上に多いんだよね!」と言ってます。

ま、そんな事したら、脳の活動にエネルギーが足りないから本当は摂取してほしいし、ちゃんと消費するから気にしないでいいんですけれど、テレビもNHKが本当は2020年に8Kでアーカイブや放映したいから、今の4Kは過渡期なんですけれどね・・・

そう言えば砧公園から見えた、NHKの研究所・・・行きたかったなあ・・・砧公園素敵なところだった・・・あのまま帰らなくてよかったら、研究所行きたかったなあ・・・

知り合い働いているんだよね~・・・うんとご無沙汰しちゃってさ・・・

簡単に実現できるものにはあまり惹かれない。これこそ贅沢な話だよね。

でも困難があるからこそ、チャレンジしたいのも人の情の一部でもあると思うから、

「そんな程度で自慢するなよ~」が横行している研究室では、簡単に御礼が言えません。

”そんな事で喜んでたら、僕の力がその程度だと勘違いされるから嫌だ。謝辞は書くな。”と言われます。

は~・・・厳しいなあ・・・でも、Mっ気があるみたいで(笑)、もう簡単なのは、何の興味も持てないんだよね~・・・

和菓子は愛でて、素敵なお庭見て、御抹茶と頂こう。そのような御店あるから。

また、このブログでもご紹介しますね。観光客メインじゃ無くて、地元の人こそが知る、歴史を考えたら親切に提供してくださる御店を。

本来、京都の人は、歴史的に戦が長く合ったり、自然災害があったりして、倹約な町で、困っている人を放ってはおきません。

「そんな程度で困ったって言われても・・・」の場合は却下されますが(苦笑)

人をよく見ている町なんですね。都だったので、雑多な人が昔から流入してきました。

自然災害や戦があるだけでももう致命的なのに、それ以上、反乱が起こっては、

とんでもないダメージだったからだと聞いています。

以上、いろいろ蘊蓄でした♪

(興味無いよね~・・・)