実父は自分の身内を見てた。
実母も自分の身内を見てた。
つまりそれぞれが身内からどう思われるか必死だった。
きょうだいが多いと親を取り合いになるよね。
そのままで形が大人で結婚して子どもには目を向かなかった。
だから昼寝してたら直ぐいなくなった母。
隙があったら出張を直ぐに入れた父。
人を縛りつけながらも自分は解放されたい両親だった。
昔は特に男子を優遇したので私は常に蚊帳の外だった。
親が家に揃うと大喧嘩しか無かったから、留守番が安息だったし、勉強が安息だった。
心を閉ざす事で私は安息を保った。
両親はそれぞれに田舎では評判な子どもだったらしい。
けれど東京に住んでいた時も大阪に住んだ時も、両親はそう映らなかった。
あっちむいてこっちむいて向かいむいて裏をむいても、
開業医、銀行の頭取、チェーン展開している塾の経営者…
お付き合い大変だよね。
で、父の実家はお商売屋さんで、店の屋号が入った軽トラでなんか来ないで欲しいと陰口をいっていた母。
そりゃ周り全部ベンツだのベンベだのアウディだの。国産でもクラウンだもの。
センチュリーのお迎えがご近所に来た時は、流石にひっくり返った

私は幼少の頃からずっとお菓子は駄菓子で、たまにお小遣いためて、当時のお友達と数ヵ月に一度ケーキ有名店に言って、
大好きなケーキとポットサーブのお紅茶とで恋ばなしてた、っけ。
社会人になって会社の仕事が忙しくなってシステムエンジニアで雇用機会均等だから、徹夜も出張も作業室缶詰めもあって。
もうあの頃には時間の流れが人とは違う気がしてたなぁ。
その友達も私も長女でね、引き受ける事は家族のために自分の夢を諦める事だった。
進学校で京大にも阪大にも現役合格出来たのに、弟がいるから四年生大学は諦めてくれ、とかね、
あるいは弟が大学行っても馴染めなくて引きこもりになって、友達が阪神淡路で半壊した家のローンを負って結局結婚した弟は出ていって友達は年を取ってきた両親の世話をしながら家のローンを払って暇を作っても自分を休める事で精一杯。
なんだかな~…って思うの。
方やお父様が阪大の教授の友達はテキトーに神戸のお嬢様短大に行って、お父様のご紹介である研究室の事務補佐員やって、
研究室の性格に難はあるけれど出世しそうでお父様のお眼鏡にかなった配偶者を探し、
三人の男の子をもうけ、それぞれに北海道と九州の全寮制の進学高校に入れて、
末っ子だけ連れて配偶者の留学についてカリフォルニアに行き、
その間配偶者の実家が全面的にバックアップ、といった同級生もいる。
同級生が乳癌で亡くなっても弔電すらしなかったし、心も痛めてなかった。
在学中はお父様が怖いから皆でアリバイ作ったり言い訳いっぱいしたり…異性関係が一人だけ派手な進学校の生徒とは思えない子だったなぁ

見かけや肩書きのライフスタイルじゃなくて、前者の引き受けて生きてる友達の方が生きざまがカッコイイ思うのは気のせいだろうか…
だから『どうにかなるさ』って言える人って辛抱して迎合している人の真相心理に激しく鈍感な様に思ってしまうのです。
私が深読みしてるんじゃない。多くの人が浅すぎなんだよ

もう障害者枠で結構。
どうとでも解釈して下さい。
バカの壁は無いものだと思っていたし、あってほしく無かった(T_T)
人生に愕然としています…
色々疲れちゃって…
一旦リセットしたい気分です。