一昨日の夜半からの豪雨。 音とランデブー…どころじゃなかった。 この感覚過敏どうにかならないかなぁ・・・困った障害です。
それとブログを読んで下さっている方はもううすうす察知されていると思いますが、かなりの感受性の高さです。いちいちかなりのショックを受けます。
先ずは、昨日訪れた、和菓子体験をして下さっている、よし廣さん前の玄関。
集団ってどうして、ああ騒ぐんですかね。もうその時点でぐったり。以前に、なんで群れるんですかね。それも私にはまったく解らない概念です。
で、15時15分スタートで、消毒や何やら注意事項があるので、15時にはついていて欲しいとの事でした。口に入れるものですから、当り前だと思いました。
で、一階で前払いをするんですけれど、そこは店舗になっています。手づくりの日持ちのしない商品のうり、どら焼きを見つけたオバサン、「わ、これ、300円もするんやって!」と大声で言いました。
店内で。ビックリを通り越してショックでした。欧州からお越しとおぼしき観光の方は脇に鎮座されていました。値段だけで言えば、まだ よし廣さんは好意的な御値段です。 わらび餅200g近く入っているのに、300円です。
これ、福○堂吉宗さんとかだったら倍しますよ!! そんな時、どう言わはるんやろう・・・
なのに、連れて来た、チビ怪獣(これにも困ったもんでしたが)に「京都は和菓子多いんやで~♪」と知ったかぶり。もう怖い( ´(ェ)`)
耳栓でこうだから、外していたらどうなっていたでしょう・・・和菓子は芸術作品だと思っているので、真摯に集中して向き合いたかったんです。
まあ、お店の事情もあるんでしょうけれど、講師がいて、講義形式なのに、嘘でしょ、っていうくらい、ウルサイ。 素人が説明を聴かずに、めちゃくちゃする。
下に落ちたら自分で拾わないように、との注意なのに、聴いてないオバサンがまた拾い・・・だから口に入れるもんだ、って言ってるのに・・・
職人さんの気遣いや神経の張り具合なんぞ、全く感じない次元で生きておいでなんやろうなあ・・・って思いました。
なので論理的(思考)でオバサンたちや、怪獣連れ、能天気カップルなどを分離し、ただひたすら技能に着目して体験して来ました。
そんな簡単に取得できる技能じゃ無いし、しかも職人の世界は未だ男社会やのに、どれだけの事を精進なさって獲得なさったか・・・解らんのやろうなあ・・・
なので修了証書も「センセーと一緒に映りたいです」とお願いしたのは私だけ。それでもセンセーは「受講なさった方への証書ですから」そりゃそうですね。立派な賞状と記念のメダルを既にお持ちですから。
折角の人生なのに、折角の体験なのに、折角の稀な女性和菓子一級技能士の講師さんなのに、その御縁を噛みしめるように真面目に取り組んでいない方が、まったく理解できないのですが、いつでもできる~」というモチベーションなんでしょうか。
生きている事自体も当り前なんでしょうね。家族があるのも、怪獣がいるのも、パートナーがいるのも、当り前なんでしょうね・・・
これらぜーんぶ、に、相当、メンタルダメージを受けてしまったし、昨夜もその雨でメンタルダメージ増幅してしまって、コンスタン0.4mgでは足りなかったのでしょうけれど、私の判断で倍量くらいは医学的に何の問題も無いのですが、
私が女性だからか、オバサンだからか、背が小さいからか、白衣を着ていないからか解りませんが、何度説明しても、今度は担当医までがオカシイみたいな言われ方をする事が恒で、解ってもらおうと啓発活動の一環も兼ねていたのですが、もう諦めます。
私の母校のひとつに、奈良女子大学という学校があります。東のお茶ノ水大学、西の奈良女子大学と言われて久しいですが、実は奈良女子大学は、旧制高等師範学校の流れで、確か広島大学、鳴門教育大学、兵庫教育大学・・・とあともう一校どちらでしたっけ・・・(詳しい方補完してくださいませ)の流れを汲む学校なんですね。
それだけに教育に関してはずっと、子ども達を見ています。
歴代学長のうち、木下竹次先生という方がいらしたんですが、奈良女子大で教職免許課程を履修し、附属中等学校で勤務されている先生の講義を受けるのですが、初回に、この木下先生の教育哲学を徹底的に仕込まれます。
木下先生は子どもの分離不安を起こさない親代わりとなる事が教育者になる事とされ、自分の家庭を持って居るようでは子どもに親身になれない、自分の親の不幸に立ち会っているようでは同じく教え子の親となれない、とありました。
なので、これらを理解した学生は、多感な時期の子どもを生徒に持つ学校の先生を目指す時、心の奥底に刻むのだと思います。私もそう思います。
もし、今でも伴侶がいたら、その伴侶が自分構っての人だったら、自分の淋しさを埋めるために家族を持ったとしたなら、私は奈良女子大学附属中等学校の先生たちのその講義を受け容れられなかったでしょう。
奈良女子大学の近隣は大変な境遇の女性と子どもが沢山いる歴史的地域でもあります。佐保会というOG会を設け、短大設立や保育園設立など、国が思うはるか以前から地域住民のうち、とりわけ弱者であった女性や子どもの受け皿を持って来ました。
その根幹は『慈しみの心』です。私が修了した際の丹羽学長の御言葉です。若い子は修了そのものをゴールとして羽根を伸ばすと言うか能天気になって浮かれて学長の言葉を聴いていたかどうかは疑問ですが、少なくともひと回りも下の女の子とは私は違う志で入学したので、しっかり人生の先輩であり、研究者・教育者の先輩であらせられる丹羽学長の言葉に聴き入っていました。
だからこそ、最先端であっても、慈しみの心が基盤にしっかりあるように、との教えに真摯に向かっています。
それ故、こどもの表記も、その際に学んだので、子供と不用意に書く人は注意します。先日、京大の学生にもかなり厳しく注意しました。命をしっかり意識しなさい、と。
最先端の研究をしている向こう側に必ず人がいる。困っている人がいる。自分は代表で学ばせているだけだ。たまたまだったかもしれないけれど、真摯にお引き受けさせていただく今生の使命がある。
たとえ相手が、嫌悪してきた能天気集団であっても、いざとなって頼ってきたら貢献するでしょう。
そのような意味でも、今日は雨上がりといっても、まだ時折降りますから、晴耕雨読ではありませんが、自宅にてじっくり鎮かに、自己対峙します。
京大の名誉教授であり、西田学派という御名前が初めてついた学派の主である西田幾多郎先生は、哲学の道に石碑があるので、御名前だけは存じていましたが、旧字体で書籍を拝読したのは、どなかたが寄贈してくださった京大病院本館3階にある、文庫コーナーにおいてです。
私は字があまり読めませんでしたが、筋肉がトレーニングで細かく断裂し修復する際に次は太くなる仕組みを応用してパンプアップするように、脳トレもゲシュタルト崩壊を起こすくらい(字を字として認識できずただの線の集合体としか見えない状態)まで論文を私なりに詠みこまされました(苦笑)
「脳ミソちぎれるー!!!!!」と叫んでしまったのはおおよそ嘘でもありません。国産の軽自動車がいきなりフェラーリのエンジンつまされたみたいなもんです。ボディはバラバラになりますよね(^^;)
そんな訓練は意外な所で功を奏して、西田先生の御本も旧字体で何故かスラスラ読めたのでした。
哲学と数学は相通ずるところがかなりあるので、難解な数学の書籍に目が慣れて来て世界に入って入って、その世界で泳がせていただいている、まさに夢心地の時間でした。タイムスリップしたような感覚。
病院を出る頃には、新鮮な目で、ありきたりな世を俯瞰できたように思います。
それ故、非日常は日常を生きるのに必要不可欠なんだと解っています。解っているので、非日常を真剣に体験してもらいたいんです。
生きるために。
だから、昨日は、生きているのが当り前過ぎる人ばかりだったので、その人達が30程ガヤガヤといましたから、相当メンタルショックを通り越してダメージを受けています。
本来なら、研究会議に出て、研究会議では実は哲学的な言葉の応酬をしています。例を挙げると「あなたの言う、○○とは、一体どういう事なのですか? あなたの言葉であなたの定義で説明して証明してみせなさい。仮説通りにならなかったのは、どこにどういう考えが足らなかったのか、次回までに徹底的に分析し再度皆に理解していただけるようにしてきなさい。」の連続です。
学術的に新規性を求めつつも、伝統はしっかり継承する。日本文化や芸術とも相通ずるところがあります。
それ故、最先端を、The State Of The Artと表記します。芸術の域なんですよね。秩序と混沌の境界ギリギリってところでしょうか。
とても難しい事ですよね。それだけ人生を掛けるに値するという事です。そうして、「ここまではチャレンジしました」の奇跡を後世に残す。そうすると後に続く人は「ここまではやっていらしたんだ・・・昔にここまで考えられた人がいたんだ・・・ならばこれを踏まえて尚且つ新しいものを・・・」と皆がそれぞれにパイオニアになっていくんです。
これが私のパイオニアの定義です。皆さんが思われるボイジャーじゃなくて、パイオニアという概念に近いと思います。
研究会は学生の思考を汲んであげて、研究として昇華させてあげる刺激を与えてあげる作業をする場所なので、今日は余裕がないので、自分の混沌としたショックの集合体を、こうして文章にする事で、私が私のために、概念の階層構造を明白にし、次元を分離し、更に細かくしたり、入れ替えたり、見る角度を変えたり、没入したり俯瞰したりしながら、心を整理してあげたいと思います。
後で、息子の勉強を見てあげると思います。欲する料理も真摯に作ると思います。絵も描くかもしれません(描きかけの絵があります・・・細部に拘るで何日もかかっちゃいますね・・・)。
そうして練って行く。そうですね。私は時間を一人占めして自分に贅沢に使いたいのだと思います。
その行為が学びなのかもしれません。
京都に来たのは学問の為ですから、まずは吉田神社に入学試験の頃に御参りに行きましたが、合格して機会をいただいてからは、北野天満宮に御参りに行きました。特別な日ではなく、普段の日に、参拝し、お庭をぐるっと回らせていただきました。
観光の方が滅多に入らない、ハレとケがあったら、もしかしたらケに私は生きているのだと思いました。
地味でイモ臭い人間です。 父が付けた名はとてもじゃないけれど、体を表していません(苦笑)
父は派手なモノが好きでしたから。御姉さんも蝶々のような人が好きで、外遊びが年齢と病気で自身が機能しなくなるまで大変でした。
私が傷だらけで病院で診断書をもらって二階の子機で弁護士に電話相談をしている最中、普段は糖尿病の末期で歩けない目が見えないと行ってた父が、そうっと二階に来て、廊下を通り弟の部屋からエロビデオを持って降りようとする光景を目の当たりにした娘です。
・・・小さい頃に両親に死に別れ、かまってあげないと辛そうだったので、かまっていましたが、なんのこっちゃない、私は父の母や父の妻や父の女性の役割を担う娘であったように思います。
が! 父を想う祖母の想いは継承できても、官能的役割の妻や女性の代役は出来ません。
・・・晩年、「俺は…早熟だったから、困ったんや・・・」とおそらく誰にも相談できなかったであろう事を告白されました。
『父親のそれを相談されても困りますから!!!!(`(エ)´)ノ_彡』
ホント、困ったとぉちゃんでした・・・・もう死に別れた皆と一緒のところだから淋しくないでしょ。
死ぬ間際になって頼ったのは、母や私や弟じゃ無かった。
何のための妻や子ども達だったんでしょうね・・・。
迷惑かけるだけかけて、心の拠り所は、そうじゃないなんてね。
ま、いいけど・・・そっちでまたおねーちゃんおいかけてるのかー???
おねーちゃんも好みがあるんだぞー。仕事で相手してたんだぞー。
あっちにはお金は六文銭しか持っていけてないんだぞー。
・・・誰と遊んでるのかな??? いつか行ったら、構ってあげるよ。
・・・・・仕方ないなあ・・・やれやれ。
いつになったら構いなさい、は、それこそ神様しか知らないもんね。
やれやれ。
(レクサプロとコンスタン飲みます~。息子がまーちゃんのお世話してくれてますー。
ありがとー。チャージしっかりするねー。)