しっかりしてきてくれた息子。
明日も同行して対策を練ってくれると言ったり、今ある環境のポジティブな部分を列挙してくれて安心させてくれた。
そう思えました。
それより、もし、向こうの書いている事が、万が一、本音なら、15年以上もそう思ってたんだね。
だけど・・・自分の名前・・・ローマ字で激しく間違えているので・・・すいません、あの時「知り合いとしてはいいけど、大切な子どもの父親としてはどうだろう?」の判断は正しかったと思います。
お姉ちゃんの自傷事件や、二人の不登校に、冷静にどーんとして立ち向かえなかったでしょう?
行政や、病院や、学校に、言葉で理路整然と対峙出来なかったでしょう?
子ども達は預かったのですから、私が誠心誠意、あるいは、子育てのために、自分の潜在能力を最大限に引き上げる努力をするのは至極当たり前だと思って、通うところや、相談するところを、自分なりに熟考して、生きているつもりです。
親も知人も先に偏見からかパニックを起こすだけでしたから、放り出されて乖離しながらも子育てしなくちゃいけなくて、孤軍奮闘してきたからこそ、子ども達が背中を見ていた。(お母さん、子どもの目線の先はお尻だよ♪という息子ですが・・・^^;)
そう思ったらこんな雨でもありますが、落ち着いて来ました。
実は偶然、まーちゃんが、慌てて餌を喉に詰まらせてしまい、呼吸が危なかったんです。子どもが小さい時にしたように、逆さに向け背中をたたき、痙攣をしてはいなかったので、指を突っ込み吐かせました。
まーちゃん、復活。最初は私の毅然とした態度を叱られたと思って顔色を伺っていましたが、そうではないと解ると、いつものようにちょっと遊んで、自分から寝床に行って寝てしまいました。
こんな小さな幸せなんて想像できなかった逃げた日。
小さな寝息が二つ。命が二つ。重圧で膝を抱えて夜中じゅう泣き明かしたあの日。
忘れない。そうして、もう、二度と、絶対味わいたく無い。
靴下ひとつ買ってあげられなかったあの日。
保育園の着替えの方がブランドのお古だったあの日。
息子のズボンがお姉ちゃんの友達のいただきもので、ピンクだからとからかわれたあの日。
絶対、忘れない。