だから意識しちゃって怖くて眠れなくなっちゃったよ(^_^;)
子育てもさ、誰も助けてくれないけど、
私が久しぶりに一日中役立たずでも、
二人はどうにか生きてるし(^_^;)
不思議だね(^_^;)
なんか、みんな、責任、って言葉使いすぎだと思うよ?
頑張って生きようと思ってもそうなれない事もあるし、
当時娘自身は真面目に…だったけれど搬送先から出逢ったスタッフさんまでもが生かしてくれたし。
人間の考える事なんてどれだけ頑張っても天才っていわれても、
たかだか知れてるんだよ。
そう思うなぁ。
前に、病気もあって、急激に何もかもが出来なくなっていく怖さに耐えられなくてね、
ある人の胸を借りてため息と涙を出させてもらったの。
そんな事ないよ、って慰めてくれたんだけど、
実はもうひとつ意味が含まれていてね、
『あなたは期待してくれたけど、その形をそのタイミングで実現する力は私には無いの。頑張ってみたの、いっぱい考えてみたの。他より最優先にしてみたの。でもそれでも届かないし至れないみたい。折角私の潜在的な力を信じてくれたのにごめんね。現実は残酷だね。』がもうひとつ言いたい事だった。
シンプルに生きる事を望む人だったから、後半の方が私としては本当には伝えたい事だったんだけど、こっちは呑み込んだ。
通じない、ってどこか悲しくて、でも傷つけたくなくて、遠慮もあって、
せいいっぱいの表現がそうだった。
世の中にはもっと図々しい人がいる。人のモノまで盗る人もいる。盗ったら味をしめて、麻痺しているのか、正してくれる人がいなかったのか、強引になってくる。
困った上での機嫌を損なって欲しくない私なりの配慮だった。
でもそれは、相手には私が心を完全に開いていないと映ったようです。誤解です。悲しいです。
心を開くからこそ、受け入れているからこそ、相手の負担にならないように振る舞うのだと私はそのように礼節をとらえています。
これは幼い頃に厳格な母に言われた事です。
『例え親でも別人格の人間で、時代背景も生育も違います。だからこそ解りもしないうちからズカズカ心に入り込んではいけません。親しき仲にも礼儀あり、を忘れてはいけません。』と。
私は両親に礼を尽くす様に躾られて育ちました。
年功序列が厳しかった世代の影響です。
それゆえ、いきなりフランクすぎたり、心の距離を時間をかけずに縮めたり、自分の価値観のみを押し付ける人はかなり怖いのです。
同じ言葉を使っても理解は千差万別。
おおよそ日本語から日本語への意味通訳が出来てからやっと少しずつ近くなれます。
それでも意外な一面は見えますもんね。
みんな、みんな、急ぎすぎるように思います…
今年度は久しぶりに極端な変化が無いようです。
ゆっくり考えたいのですけれど、生きていれば人と関わります。
マイペースはそうそう出来ません。
ですので、どう心身を休ませていいか、解らないのです。
困りました…

